皆さま、おはようございます🌞
私も家族のことをいろいろ収束させましたので、
とりあえず後々のためにまとめておきたい、と思っておりましたの。
友人と同じようなコトを考えているときってあるのでございますよ。
今日は弟のことをここに記しておこうと思います。
彼は孤独死、をしました。
一応、診断は心筋梗塞。要するに心臓麻痺やからあっと言う間に逝ってしもたはず。
めちゃくちゃショックでした。
弟がいなくなってから、
それまでの弟に対する私自身の不甲斐なさが日々コタえました。
弟は、孤独の中で怯え、
自分を持て余し、
心から笑い合える友もなく、
ひっそりとひとりで死んでいきました。
何のために生きてきたのだろう。
何のために苦しんだのだろう。
と思えば思うほど、
余りにも無念で残酷な一生だったと思います。
弟の名誉のためにココで言及しておきたい。
彼は幼い頃からハンサムで頭もよく、4〜5教科から図画工作、音楽まで何でもこなすクラスの人気者でした。
女子にキャーキャー言われても微動だにしないし、先生にもしっかり意見が言える子どもだった。
先生達さえ手放しで褒めちぎった。
だから、母は特別やと信じ込んでいた。
私かて眩しい弟が自慢でもあった。(私ジミ子)
私が忘れたときのために、ここで小学生の頃の逸話をふたつ紹介しておきます。
ひとつ目。
担任の先生がエコ贔屓をする人で、
弟はもちろんエコ贔屓される立場だったが、いつもそれを嫌がっていた。
或る日或る時、逆贔屓の子を、いつもの通り先生が屁理屈をねじ込んで過度に叱った。
弟は怒ったんだ。先生に。特に親しくもないその子を本気で庇った。
弟の方が正当な意見だったから結局は先生が謝って、
その先生はエコ贔屓をやめたそうだ。
この件で弟は学校中のヒーローになる。
だからといって偉そうにはしなかった。
ふたつ目。
弟はリトルリーグで正捕手・4番・キャプテンをしていた。
時々ピッチャーもしてたけど、
「全体を見渡しながら投球を組み立てて考えるのが面白いからキャッチがええねん」
と言っていた。
私ね、一度だけこっそり試合を見に行ったことがある。
そしたらね、行ったとたんにピンチだった。
2点差で勝ってはいたが、
最終回、二死満塁、ツーアウト。ギャクテンカ…
自分のことのように心臓がバクバクした。
なんで、こんな時に見に来たんやーと思った。
弟はキャッチャーマスクを額に上げて何度もナインに声を掛けていた。
ピッチャーはビビッて弱気になっていた。
審判は恥ずかし気もなく相手チーム優先の判定を続けていた。
ピッチャーがどこに投げても「ボウールッ!」と言ったアホチャウカ
弟はタイムをとってマウンドに走り寄り何かささやいた。
ピッチャーは「え…?」という顔をして弟を見たが、弟が何か言うとゆっくり頷いた。
で、バッターは勢いのあるゴロを打ち、帰って来た三塁走者と弟が交錯した。明らかに弟の方が早かった。ベースに足もしっかりついていた。3アウトで試合終了のはずだった。
が、判定は「セーフッ!」エー⁉︎
私より、応援してる保護者達がめちゃめちゃ怒ってすごいヤジとブーイングだった。(小学生の試合やのに白熱し過ぎた下品な関西弁で!)(笑)
弟は審判やギャラリーなど全く意に介さずマスクを上げて「落ち着いていこう!ドンマイ!あとひとり!」と両手を上げて叫んだ。
ナインはひとりひとり手を上げて弟に答えていた。
弟にサインを返しながらナインが冷静さを取り戻していくのが分かった。
私は、弟ってマジですごいなぁ!と思った。
で、結局、次のバッターはキャッチャーフライ。
上がったボールを目で捉え、ボールの下に体を移動させる弟の対応の素早かったこと。
めっちゃ巧いやん…めっちゃすごいやん…と驚愕した。
チームは勝ちました。審判にも屈さず。ギャラリーにも揺れず。
弟が所属するチームの試合は、弟目当てのお母さん達だけでなくお父さん達からも圧倒的支持を得て、応援人数が半端やなかった。先生まで何人も見に来てはった。
弟は名実共に華だった。
こんな人がその後、転落すると思います???
私も、きっと親も、もしかしたら本人も「そんなはずはない」と思いながら月日だけがアッと言う間に過ぎていったのかもしれない。
弟がはたちの頃、諸々の全てがびっくりするほど悪く暗転して彼を追い込んだ。
母のこと、父のこと、親友の死や闘病や諸々の重大事項に重ねて不運が続いた。
たぶん、弟は心の何処かがポキッと折れてしまったんやと思う。
高校生の頃にその片鱗は見えてはいたが。
親友の死に関して、私は「彼の分まで生きなあかんやん…」と言った。
弟は頷いたが、私の在り来たりの言葉など響かなかっただろう。
私が実際に親友を失って七転八倒したのは50代やった。その私でさえ立ち直るのに9年かかった。
私は今も、
繊細で、正義感が強く、なんでもできた弟を懐かしんでいる。
もっとナンとかしてやれなかったか…と、空を見上げて悔やんでいる。
いや、ほんとうは私、誰よりも弟のために動いた。
有りとあらゆる事をしたつもり。
でも、それでもナンともならず、
弟とも意思の疎通は図れず、結局は私も彼から距離を置いた。
弟は、人を求め、人を廃し、誰よりも孤独だった。
「人生なんでもありよ」
弟が亡くなる数か月前、私は弟に言った。
マツコの "月曜日から夜更かし" 見てごらんよ。
変な人、いっぱい出てきはんねん。
(今はどうか知りません)
あ、こんな私でも大丈夫や、私ってマシやん🎵って思えるねん。
弟は久しぶりに笑った。
そんで「マツコ好きやから見てみる」と言った。
ナン十年ぶりの姉弟らしい、たわいのない会話だった。
弟の笑った声を、ほんとうに久しぶりに聞いたんだ。
もっと早く言えたら良かった。
母の身勝手な愛に絡め取られてしまった弟の人生。 (厳密には愛とは言えないが)
弟はどんなに足掻いて溺れて辛かったろう。
マツコ、見て笑ってくれたやろか…?
弟のため、とか、今は時期やない、とか、なんやかやと理由をつけて、
母は結局、弟に本気でかかわろうとはしなかった。
囲い込むことで、いつまでも自分が必要とされている状況を作りたかったのか、それとも、弟を側に置いて自分は安心していたいって方を優先したのか?
母の元で続く人生は弟にとって何の足しにもならへんし、苦しみが続くだけやのに。
弟の未来、弟の人生に何故目を向かなかったのか?
母は子どもの未来より自分がラクな方を選んだ。
弟は分かっていたと思う。
そんな親やから弟は突っかい棒が折れたのかもしれない。
でもね、死をもって、
弟は諸々のことからやっと解放されたんやと思うのよ。
自分の人生から自由になれたのよ…
手を合わせながら私はそう思っている。