おはようございまぁ〜す!🌞


 

神戸名物の瓦せんべいって知ってはる?

全国レベルでの知名度は存知ませぬが、

地元ではかなり旧知なシロモノです。

で、本日は瓦せんべいのお話。

 

これ、ダウンダウンダウン です。

亀井堂HPより拝借


 

米や餅ではなく、

小麦粉・卵・砂糖が原料のおせんべいです。

この手のものは、

高松や大阪にも郷土土産としてあるらしい。びっくり

 

土産の話、はさておき、

瓦せんべいが神戸名物になった由来について、

ちょいと書き留めておきたいと思います。

 

『平家物語』からの抜粋、やと思いますねん。

平安時代末期(私の大好物)、

源平の戦いの折の、河原兄弟 という坂東武者の言い伝えが由来

という説が有力だと思っております。

 

平家物語は琵琶法師が語り継いできたもので、

信憑性ははてなマークはてなマークですが、

昭和40年代くらいまではなかなかの人気でした。

人気作家が『現代版』を出したりしてね。

  

私は近年、

河原兄弟を祀る書物(文化六年・1809年)を実際に見せていただいたことがありましてね、

(古文書にめっちゃ感激しました!)

文化六年って江戸時代なので、平家物語からの抜粋・投影やとは思いますが、

神戸の瓦せんべいは、

生田の森の、河原兄弟物語、からの洒落煎餅やワ、

と思うております。

 

瓦せんべいは、瓦が由来や!

との別説もあるにはあるけど、

神戸は瓦の産地でもないしね、

瓦なら古い時代は淡路島ですねんワ。

 

その、埼玉 辺りから徒歩(カチ)でやって来た河原兄弟は

貧しい武士で家来もいないので、

生田の森(現 生田神社辺り)に陣する平家の大軍に

自分たちだけで先陣をきり、二人とも討死してしまった、

という、半ばヤケクソのような、

今なら大問題になるお話です。

総大将の源範頼、監督不行き届きで責任とって更迭、かな…汗


武蔵国の住人、河原太郎私市(さきいち〜私市党のこと)高直、同じき次郎盛直…(平家物語 巻第九 一一 一三六 二度駆 より)

   

(この頃は日本にもミドルネームがありましたえ)

     

原文は前後もっと長いけど、はしょります。

  

右の二人が河原兄弟

まだ20代の若者です

 

   

敵の勇将、平知盛は

『あっぱれ剛の者や、これらをこそ一人当千の兵とも云ふべけれ』

と褒めちぎったそうな。

   

正義の基準や価値観とて、

時代とともに変遷していくものでございますよ。

   

神戸には源平合戦の史跡がたくさんあります。

   

福原に遷都してる間、

平清盛が通っていたと言われている源泉の辺りに

天然温泉のお風呂屋さんが今も在り、

友人がその『現・湊山温泉』をいたく気に入って

わざわざ近くに引っ越して

毎日通ってはりますねん…

神戸ってモダンなイメージがあるかもしれませんが、

千年昔とも交錯している街でございます。



  

ロマンやなぁ…昇天キラキラ