もちろん、私の今の年を考えると、
私はもう『若年性アルツハイマー』になる事は無い。
この歳では『老人性認知症』or『老人性アルツハイマー』しかない。
若年性アルツハイマーは、
『若年性』の文字通り、若い頃に発症し、進行速度も速い。
発症してから数年から10年余りで生命を落とすところまで行きついてしまう。
生命活動すら忘れてしまうんです。
映画化されたもの等あるけど、
あんなもんやないよね。
綺麗な俳優さんが演れるようなものではないです。
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発症したら恐怖しかないよね。
自分がどんどん自分でなくなるんやもの。
理性が外れてしまう。
正体不明のものに自分を乗っ取られていくような、
侵食されて自分を失っていくような感覚だと思う。
自分が言ってることや思考、行動も認識できなくなって自分に責任が持てなくなる。
そうなりたくて なっているわけではない。
自分が選んで決めたワケではない。
なんでこんな酷な病が存在するのだろう…。
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今、おふたりの人と関わっていますが、
いろいろ考え込むとかなりキツいモノがあるので、
対応をマジで考えないといけない。
と強く思っています。
・
共感しないと上っ面だけの対応になってしまうから、
それなら関わる意味がない。
共感がないと信頼関係が築けない。
でも、感情移入してしまうと自分が揺れてしまってベストな対応を考えられなくなる。
共感し、理解はしても、自分の感情だけは統制しなければならない。
めちゃめちゃ難しい。
『中庸で在る』ための特訓を受けてるみたいですワ。
感情てば、自然自発的に発生するものだから
いくらでもポコポコ湧いてくるけど、
(ほんまにコレが始末に終えない)
どないかして自らを律しないと話にならない。
日々、修行です…
高村光太郎の妻 智恵子も
おそらく若年性アルツハイマーだったろう。と思う。
高校生だった頃、
智恵子を愛しく思いながら、ひとりでの介護を諦めた光太郎に
「やっぱりボンボンやから?」と疑問を持っていたけれど、
今は分かるよ。
ひとりではムリだったよね。
高村光太郎も大変やったね…
どんどん異世界に向かっていく智恵子の世話をしながら共に生きて行くのはどんなに辛かっただろう…
智恵子抄、レモン哀歌…
最近、ほんまに『生きていく』ということを考えます。考えさせられています。
この年になっても、日々、修行。
いくつになっても、日々、修行。
壊れん程度にガンバるしかありませんワ