7月27日(水曜日)
夕方に熱を上げる点滴はまったくと言っていいほど効いていない。
突然、おむつ交換で廊下に出されている隙にストレッチャーに乗せられている。??何急に?と聞くとCT取りに行くとのこと。前もって言っておいてくれるとビックリしないで済むんだけど。
7月28日(木曜日)
病院に着くと途端に、「先生が話があるから、部屋で待ってて」と言われる。そう言われていい話だったためしがない。嫌だな~
昨日のCT の結果を見せてもらう素人目にも肺が入院時よりも悪くなっている事が分かる。
痰を取って検査をしていても結核の菌は今は出てきてない。でも、その痰を培養して結核が出るかどうかを待っていられるほどの猶予がない。 そこで急な話だが、●●病院(結核病院)に明日の朝転院して下さい。
そこの病院名ははじめて聞く名前で、どこにあるのかも分からず、救急車の手配は病院がやってくれるとのことなので、そこからの帰りを考えなくてはならない。 急遽、明日旦那に休んでもらえるかどうか聞く。
7月29日(金曜日)
朝10時までに向うの病院に来て下さいとのことだったので、9時前に病院へ用意をし、救急車が到着したのでさぁ旦那の車で出るぞと思ったら。。。救急隊員さんが「病院どこですか?」
へ?コッチが聞きたいぐらいだったのに、市をまたいで転院するのでわからないそうで、あわてて電話帳で病院名、TEL、住所を教え、ナビで見つかったとのことで母を救急車に乗せ、自分の車に乗る。
どうせ、ピーポーやってしまえば抜かれるから先に出ようと出発したが、1個目の信号でいきなりぶち抜かれ
た。
そのあとやっと信号を抜けた時にはもう救急車の姿は見えなかった。(やっぱり早いのね)
ナビに説明されながら、病院に付いたら救急車が無かったので、部屋に入ってしまったのだろうと思った。受付で話をするとどうも話が食い違う。なんで?と思っていたらあっという間に抜かれたはずの救急車がまだ着いていないという。???(どこで抜いたんだ?)迷子になりあっち行きこっち行きしたらしい。(母談)
入院時にいろいろ書かされる書類をほとんど書き終わったあたりでやっと着いた。
7月30日(土曜日)
熱が出たりさがったりしているらしい。だんだん話す事も少なくなってきてそれだけ辛いのだろう。
主治医に「歳も歳なので急変すると呼吸が止まることがあるその時は人工呼吸器をつけて延命しますか?それとも呼吸器まではせずにゆっくりしてもらいますか?決めておいて下さい。」とキツイ質問をされた。
今までの病院は車で5~10分の間で歩いても30分かからずに着く所だった。ところが今度の所は車で40分かかり、山(こやまだけど)を二つ越えて、しばらく走った先の山の頂上にある。 ずーっとペーパードライバーだった私にはキツイ山道である。(旦那は楽しくて好きらしい) 病院の行き来だけでもきついのにとんでもない質問をされてしまった。
7月31日(日曜日)
夜になると高熱を出すので、困ると看護士さんから言われる。熱を出さないようにしてあげたいんだけどねぇと。
病院の隣に 旧■■邸 という順日本家屋があり、300円で中を見せてもらえる。無料でボランティアが説明しますがどうしますか?と聞かれたのでお願いし、説明を聞きながら見てまわる。 大正天皇が皇太子時代にお越しになっているんです。と説明された。
ノンビリした、日だった。
8月1日(月曜日)
先生が話があるので何時ごろ病院に来ますかとTEL 。やっぱりいい話じゃないだろうと思いながら向かう。
案の定先日のキツイ質問の答えを今日中に出して帰ってくれと迫られる。母と相談して決めろと。
先日の話だとお願いしようかと思っていたがよくよく話を聞くとただ、息を引き取るのが先延ばしになるだけで本人はきつかろうという事がわかった。
旦那に相談のTELをした所早退して病院に向かってくれると言ってくれた。
合流後、人工呼吸器をつけないでもらう。という重大な決定をした。
旦那が先生に、正直な所あとどのくらいだと見てるの?と聞くと この2週間が一つの山場だろう。それを越してくれるとある程度落ち着くんだけどと言われた。
正直、あと2週間が山だって聞き驚いた。
8月2日(火曜日)
きのうの、先生の話から母はそこらじゅうにTELをした。
結果、ヤダ様の姉(伯母)が病院に行くと言い、昼前に病院に着いたらしい。
合流後、ヤダ様のところで話をしていたら、ヤダ様は「悪いね。疲れるだろうからもう帰れ」と伯母に途切れ途切れで話した。
なんだか、話のできるうちに会っておけと言わんばかりで嫌だがなんで会わせなかったと後から言われても困るので着てもらった。
昨日、今日と2日間、胃ロウから入れていないので熱は下がったみたいだ。だけど胃腸を使わなくなってしまうのも困るので白湯と薬(胃薬等簡単なものだけ)だけを胃ロウから入れている。と説明された。