この先すずの妄想です。
💜J
「ひとはだ…人肌ってなんだよ。えっ?くちびる?唇で測んの?」
そう言って顔を大いにしかめると、翔くんは人さし指をおもむろに自分の唇に当ててフリーズした。
ゲストルームの扉を開ければ、リビングを挟んで対角に位置するオープンキッチン。
普段、酒を取りに行くぐらいしか立ち入らない翔くんがそこに立っていた。
「何やってんの?」
疑問しか浮かばないその光景に、俺は寝癖もはなはだしい髪を片手でかき混ぜながら声を発する。
すると、
「うぉっ…!」
文字通り肩をビクつかせ飛び上がった翔くんが、
「起きたなら起きたって言ってよ。びっくりしたな、もう。」
尖らせたってチャーミングでしかない口でブツブツと文句を言う。
ゆるゆると近づいてみれば、キッチンのカウンターに立てられたスマホ。鍋にボール、まな板に包丁。
翔くんはひとしきり並んだ調理器具と対峙していた。
「ふ〜ん?」
クーベルチュールに生クリーム、無塩バターね。
一通り見渡す俺の視線を、気まずそうにチラ見する翔くん。
そんな彼を、俺はカウンターに肘を預けて覗くように見上げるのだった。
酔ってチャイムを鳴らした午前2時。
「ニノいる?」
まずは最重要事項を確認し、
「アホか、かずを探してんならあいつの家のチャイムを鳴らせ。」
問題無しと知れば、
「なら、開けてよ。」
いくら酔っ払いでも、恋人の居る部屋へ上がり込むほどデリカシーを失ってはいない。
「自分ん家帰れって、大した距離じゃねえだろ。」
扉を開けながらもたしなめる。
そんな兄貴ぶってる翔くんならば、
「ふふん、ここの方が近いの。」
俺は酔いに任せて甘ったれな弟を発揮するだけだ。
年に数えるほどのゲリラ訪問。
文句を言いながらも鍵を開けてくれる。
それが翔くんだ。
「チョコレート?」
尋ねても無言で、
「参考が雅紀の番組なの?」
スマホに流れる画像を目を細めてチェックした。
「ニノに?」
「まあな。」
やっと取り付けた短い返事は俺の心をチクッと刺す。
「手伝おうか?」
どう見ても混乱してるみたいだけど、
「大丈夫。」
だよね。自ら作るからこその手作りチョコレートだもんね。
即答にまたチクリ。
だけどそんなことはおくびにも出さず、カウンターの縁を回って翔くんの横に立った。
2月14日。St. Valentine's Day。
年が明けてから、番組の企画で料理する機会が立て続いた翔くん。
こと、俺による俺のための俺のバースデーケーキの出来栄えには自信がついたみたいで、そこからのニノへの手作りチョコレートって流れなんだろうな、というのは俺の推測だけど、あながち間違ってもいないと思う。
それにしても、
「ゆせん…湯煎?え?30度…ってどーやって測んのよ。」
既にグラグラ煮え立つ小鍋を2度見してるし。
がっくり肩を落とすだろう、すぐそこの未来が目に浮かんで、手伝うのが駄目ならばと、
「俺も自分の分、一緒に作っていい?」
参加を申し出れば、
「おお、いいよいいよ。材料余りそうで困ってたのよ。」
ススっと奥に詰めて、俺のためのスペースを作ってくれた。
相葉くんによれば、
ボールに刻んだチョコレートに生クリーム、バターを入れて湯煎で溶かす。
ポイントはお湯の温度。
高いとチョコレートはゴワゴワしちゃうからね。
それから、
「あ、翔さん。ボールにお湯が絶対入らないようにね。」
湯煎にかけてる翔くんの手元がチャプチャプいってる。
「お湯入ると分離しちゃうから、そっとそっと。」
すると翔くんは、俺の手元をチラチラと見ながら、真似て手をそろっそろっと動かした。
天板に流して…
「って、天板なんて持ってるの?」
現れたピカピカのそれに驚けば、
「買ったの。」
「ぅえ?」
「製菓セット、ネットで。したら…」
翔くんがキッチンの隅のダンボールを顎で指す。
「わかんないもんが、めっちゃ入ってた。」
覗けば、ケーキの型が丸から長方形からシフォンから。バットも大中小。泡立て器に刷毛に…ラッピング材料まで。
「翔さん、ケーキ屋やんの?」
俺はぶぶっと笑った。
そして、
「はい、これで…2時間、冷やし固めます。」
図らずも俺は、翔くんとの2時間を手に入れたのだった。
出来上がった生チョコの詰まった箱の上で、リボンと翔くんの不器用な指先が格闘してる。
ついつい手を伸ばしかければ、
「ちょ、ちょっ…と、」
静止され、
そうだよね、
俺による、ニノのための、ニノのバレンタインチョコレートだもんねと、くすくす笑いながら指を引っ込めた。
翔くんが悪戦苦闘してる間に、俺は手のひらに乗るほどの小さなセロファンの袋を、ひとつふたつみっつよつ。
愛らしい飾りクリップで閉じて並べた。
「できました〜。」
子供の様に声を上げた翔くんの手元には、黄色いリボンも誇らしげな焦げ茶の箱が、ピカピカと胸を張っていた。
「じゃ、帰るね。」
俺はタクシーを呼ぶべくスマホを開く。
「え?飯食ってけよ、付き合ってくれたお礼に奢るよ。」
泡だらけの洗い物からびっくり顔を上げた翔くん。
「だって、ニノ来るでしょ?」
「来るけど、いいじゃん3人でさ、最近集まれてないし。」
「そんな野暮なことはしませんよ。」
誘いは嬉しいけど、ぼくの翔くんに、残念彼氏のレッテルは貼られたくないよ。
タクシーの配車を済ませ、昨夜ソファーに投げたままのコートとストールを掴む。
「じゃ、翔さん。ハッピーバレンタイン、お幸せにね。」
「まじで?」
ココアパウダーを擦り付けたTシャツで追ってくる翔くん。
その向こうのキッチンカウンターには、セロファンの小さな袋をひとつだけ置き去りにした。
連れて帰る3つより多めに包んだ、貴方だけのためのスペシャル。
俺は翔くん越しのそれに、一瞬視線を留める。
決して伝えない、愛ってやつを込めるために。
「送ってやれなくてごめんな。」
「ううん。また飲もうね。」
軽く手を上げて、翔くんの部屋の扉を押し開けば、2月とは思えない暖かな風が、ストールの先を優しく揺らした。
fin