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「ゆめのおと」〜プロローグをお読みいただけます。

 

 

 

 

 

 

 

東京タワーを背にレーシングコースみたいな首都高に飛び乗ったシルバーのコンバーチブルは、緩いアップダウンを繰り返しながら、窓々に恒星を宿した高層ビルの森を、ペーパーナイフが紙の上を滑るように切り裂き進む。

 

やがて道は空に抜け、見えてくる橋架。

港を遥かに見下ろすベイブリッジだ。

 

「あ…」

 

それまで助手席で前だけを見つめていたニノが、小さな声を漏らしてウインドウに頬を寄せる。

 

俺がきみとの初めてのデートに選んだ地は、きみが知らないと言った横浜。

 

眼下の紺色の海とそれを縁取るオレンジの光。ぽつぽつと浮かぶ船のあかり。灯台のサインはF。

 

「綺麗だろ?」

 

俺が見せたかった景色に見惚れるニノに、気持ちは昂る。

 

だけどこれはほんの前菜。メインディッシュはこれからだ。

 

 

高速を降りて、ノスタルジックな西洋式の建物をいくつかやり過ごせば、俺はウィンカーを左へ出して大桟橋へとハンドルを切る。

 

目指すのは、「くじらの背中」と呼ばれる展望デッキ。

車は言ってみればその腹の中、地下駐車場へと吸い込まれていった。

 

ギアをリアからパークに入れ換えてエンジンを止めれば、

 

「え、降りるの?」

 

ニノは不満そうに眉をひそめる。

 

「まあ、そんな顔すんなって。」

 

まだ見せたい景色があるんだ。

 

俺は宥めるようにシフトレバーの向こうのニノの手を軽く叩いて、後部座席を振り返ると、シートに放り出されたコートを鷲掴みした。

 

「羽織るもの持った方がいいよ。海風は案外冷たいから。」

 

「そんなの持ってないよ。ドライブって言うからさ、外歩くなんて聞いてないし。」

 

ぶつぶつという割には、ほぼ同じタイミングで車のドアを押し閉めて、肩を並べてくるニノに、くすぐったい嬉しさが込み上げる。

 

7つの海を渡る大型客船を思わせる美しいウッドデッキが海の先へと伸びる大桟橋。

駐車場から螺旋階段を登って顔を出せば、思った通りの海風に、ふたりの髪は大きく煽られた。

 

「うそ、ほんとに?」

 

細い身体を両腕で抱きしめ、背中を丸めてぼやくニノを従えて、俺は振り向きもせず、立ち止まることもなく先端へと急ぐ。

足下を照らすのは、所々に置かれたランタンの灯。

いく組もの恋人たちやグループが、囁き合ったり、笑い合う中、早足で進むのは、気づかれたくないからだけじゃない。

この景色を初めて見るというニノの感動を最高のものにしたくて、ニノが、あの先端に着くまで岸を一度も振り返ることのないように暗い海めがけて進んだ。

 

「しょおちゃん待ってって。」

 

背中に縋るような情けない声に振り返れば、薄手のシャツも寒々しく、ニノは眉を下げて立ち止まった。

 

「どこまで行くの?」

 

「いちばん先まで。」

 

「まじか…」

 

「ほら、来いって。」

 

俺はニノに向って片手を伸ばす。

するとニノは驚いた顔をして、

 

「ばかなの?こんなとこで手なんか繋げるわけないじゃん。」

 

そう言って、スタスタと俺の横を掠めて進みだした。

 

慌てて追いかけて半歩先をキープする。

感動の瞬間まであと50メートル。

 

 

辿り着いたそこには、冷たい金属の柵だけが

暗い海と俺たちを隔てて横たわっていた。

 

 

それに片手を触れて、ニノを振り返る。

 

「タイタニックごっこでもするつもり?」

 

乱れた髪で、苦笑い気味のニノ。

 

「それもいいけど…」

 

俺はその手首を引くと、

 

「ほら…」

 

胸の前でニノの身体を反転させた。

 

 

 

 

「わ…ぁ…」

 

 

 

 

上がる小さな感嘆の声。

それっきり黙ってしまったニノは、暗い海を縁取る光の帯を端から辿るように、つむじをゆっくりと回した。

 

 

「だめじゃん。こんなのトキメいちゃう。」

 

 

振り向き様に見上げたニノの瞳。

それは、今夜見た灯を全て集め取ったほどにキラキラと、それでいて慎ましく揺れていた。

 

ビュッと音をたてて、一段と強い風が裾から背中を吹き上がる。

 

「さっっみぃ!」

 

膨らんだコートにできたスペースは、きっと身を縮めたきみを囲うためのもの。

俺は、一瞬にしてニノを胸の中へと抱き包んだ。

 

 

 

 

 

 

ああ…夢よ。どうか醒めないでくれ。

 

 

 

 

 

「ニノ…好きだ。」

 

「しょおちゃ…?」

 

弾かれるように上向いた瞳も頬もそしてくちびるも、あまりに近くて、咄嗟にうつむこうとするニノ。

だけど、俺が一際強く腰を抱き寄せれば、もうそんなスペースも残ってやしない。

 

「好きだ。」

 

鼻先が触れ、何かを感じ取ったように、ニノのまぶたがゆっくりと降りてゆく。

絹糸のまつげが震える音さえ聞こえそうなほど、辺りは静寂で、温もりは近くて、空も海も遠く輝く街の灯も、全て濃紫に溶けていった。

 

そして俺たちは…

 

 

 

 

 

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「ゆめのおと」〜エピローグ 本日23時アップ予定です。

お楽しみください。