今日の今頃。
仕事場から夫と合流し、車で自宅へと向かい大渋滞に巻き込まれやっと自宅に着いた頃。
車の中で自宅にも津波がきて床上だと知り、一体世の中がどんなことになっているのかまったく分からなかった。
一緒に乗車していた私の同僚の旦那さんは多賀城ジャスコに避難していて、ジャスコの2階で膝ぐらいまで津波がきた。と聞いてますます信じられない気持ちだった。
やっと着いた自宅は暗闇に包まれていて、津波で流された車のクラクションは鳴り響き、自宅の向こうからは爆発音が聞こえ空がオレンジに明るくなっていた。
自宅ではろうそく1本の明かりの中、家族全員毛布にくるまって2階で過ごしていた。
義父は右半身に軽く麻痺がありベッドでないと寝起きが難しいこと、乳児がいること、犬が2匹いることから、自宅で過ごすことを決めた夜。
余震は続きまたくるかもしれない津波の恐怖でいっぱいだった。
ラジオでは息子の幼稚園に160人の園児が取り残されいることや、コンビニで胸まで津波に浸っています。助けてください。津波にのまれて全身濡れた状態でどこいます。助けてください。・・・そんな悲痛なメッセージが延々と読まれていた。そのメッセージはただラジオで読まれるもので誰かが助けに行っている保障もなかった。
暗闇があんなに怖いものだとは思いませんでした。
暗闇の中の地震は昼間よりもずっと怖い。
眠れない夜でした。
本当に人生で忘れることが出来ない1日でした。
あれからもう1年なのかやっと1年なのか。どちらの想いも。
3.11の大震災で亡くなった方がたくさんいます。
うちも一歩間違えば…。いつもそう思う。
津波が来た場所はどこもいつも買い物する場所ばかり。
もし私があの日仕事が休みだったら。私達が、義父母が津波にのまれていたかもしれない。
息子の降園前に地震が来ていたら。幼稚園に迎えに行って流されていたかもしれない。
本当に偶然が重なって助かっただけなのかもしれない。
正直幼稚園で地震がきたらどこに避難するのかなど明確には分かっていなかった。避難経路も。
すべて震災後に知ったこと。
YOUTUBEや震災の特集番組などで感じた人も多いかと思う。
津波から逃げる人達を見て、なんでもっと高い場所へ逃げないの?なんでもっと走って逃げないの?って。
でもそれって結局これだけ大きい地震と津波があったと知った今だから言えること。
現実は大きな揺れの中でキャーキャー泣き叫ぶ人なんていない。
みんな「強い地震。どれぐらい揺れるの?いつまで揺れるの?」ってただただ茫然と立ち尽くす。
津波もそうだ。きっとここまできたって、ちょっとひたひたくるぐらいじゃないか。とか、どこでとまるの?って初めはそう思ってみてるの。ただ目の前にある現実を。
それがどんどんどんどん目の前が信じられない光景になって、これからどうなっちゃうの?って・・・・。
おそろしい現実はゆっくりと迫ってくる。
恥ずかしながら津波って映画みたいに波が立ってくるものだと思ってた。でも現実は違うんだね。
ゆっくり海から溢れてきたと思ったら、いっきにどんどん水が溢れてきてあっと言う間にありえない光景になってしまう。
これも震災後に知ったこと。
津波は30cmでも流されてしまう。
これを多くの人が震災前に知っていたら、それだけも違ったんじゃないだろうか。
これから絶対に忘れてはいけないことだ。
震災から1年経った今も原発は収束しておらず、心配事は多い。
原発の問題で気になっていること。
子持ち以外の人から放射能を心配する声があまり聞こえないこと。
平凡で幸せな毎日は健康な体があってこそ。
みんなみんな健康でいてほしい。
命ある限り、笑ってみんなで過ごしていきたい。
どうかみなさんご自愛ください。
ちょうど1年の今日。
家族みんなが健康で暖かい家の中で過ごせていることに感謝。
当たり前の幸せがこれからも当たり前に続いていきますように。