毎回いちいち日記にしていられないぐらいの出来事があるのですが
どうしても書きたかった、トラジャでの学び。
スラウェシ島の州都マカッサルの空港から車で8時間ほど北に上がったところ。
トンコナンと呼ばれるこんな建物で有名な街です。
日本でいう合掌造りのような昔ながらの伝統技術で建てられている一般家庭。
そして何より冠婚葬祭の時に現れる宗教観がとても面白くてですね。
基本的にトラジャ地方ではイスラム教徒とカトリックが共存しています。
でもそれは他の島も一緒。ジャワ島だって立派なモスクもカテドラルもあります。
面白いのは宗教は違うのに葬儀の方法が一緒ってとこ。
トラジャに住んでるものは皆トラジャの宗教も信仰している。
信仰しているというか、風習ですよね。
日本の熱心な仏教徒じゃないのにお盆にだけお坊さん呼んだり
親戚集まって墓参りするようなもんだと思うのですが。
先祖は山に還ると信じられていて、お墓は皆山の中。
(※基本的に古くからインドネシアはそういう宗教観だったらしいんですけど
きっとトラジャは山奥の秘境でそれが色濃く残っているんでしょうね。
あの世界七不思議のボロブドゥール遺跡も、山に還った先祖に祈りを捧げる場所だったと云う説もあり。)
土に埋められることもなく、焼かれることもなく
掘った岩の中に遺体を放り込むだけだから
「お墓」と呼ばれる山を探索するとそこらじゅう遺骨だらけなのです。
なんかあまりにも当たり前のように転がってるもんだから、
そういうもんなんだろうな、人間の死って。と妙に納得。
不思議と全然怖くなかった。ピーンと澄んでる山の空気に癒されるくらい。
自然に還るってこういうことなんですかねえ。
ぼーっと散歩できました。
お墓ビジネスやお墓が増えることで土地の問題
作るだけ作ったけど後継者がいない、嫁いだ先が遠くてお墓に参るだけで一苦労
これから日本で起こるであろう死にまつわる問題を考えながら。何てこと。
トラジャの死に対する考え方で面白いのが
死人を生きているかのように扱うこと。
お墓にこんな風にご先祖様の人形作って飾っちゃって。
よっ! って窓から顔出してるみたいになっちゃって。
お金がある人は遺体をホルマリン漬けにしてミイラにします。
お盆になるとお墓から引っ張り出してきて服着せ変えたりして
親戚集まって集合写真を撮ります。(写真は自粛)
日本だとゾッとしちゃうようなことが普通に行われてます。
歯も生えない乳児で亡くなった場合、水子供養は
岩じゃなくて木に穴を掘って遺体を入れます。
ドアをつけてあげて、お部屋みたい。
木の成長と赤ちゃんの成長を重ねて。胸が痛い。
トラジャ宗教では「水牛」が聖なる動物。
人生での一大イベント!葬式の時に何と!!
24頭も殺されるのです。
そんなバカな!!! と思いません?
トラジャ人は特段お金持ち?もちろん違います。
田んぼが多くほとんどが農家さんです。
水牛がめちゃくちゃ安い?そんな訳ないです。一頭10万超え当たり前です。
日本と同じように、お葬式に200万〜300万かけるそうですよ。
はて、、、こんなに物価の安いインドネシアでどうやって。
ジャカルタで外資系勝者でブイブイいわしてる孫が一家に一人?んな訳ない...
トラジャではお葬式が人生での一大イベント。
お葬式に備えるトラジャ人はとっても働き者、
農家でも織物もしている兼業農家さんがほとんど。
若い者は出稼ぎに行って。家族総出で働きます。
そしていよいよ、最近元気がなかったおばあちゃんが死んじゃった!(とします)
でも慌てなくていいんです、1年〜1年半は猶予があります。
死んだことを認めず(?)床の間に遺体を寝かせてあります。
おばあちゃんを訪ねてくる人がいたら「ああ、今病気でね。奥で寝てるよ。」と。
床の間に案内されます。ずっと寝てるんだ〜って。笑
そしていよいよお葬式、お葬式は3日間行われます。
1日目:香典がわりに寄付される水牛や豚などの家畜が集められる日
2日目:集められた家畜を屠殺してお肉にし、オークションをしてお金を集める日
(遺族がカトリックなら教会に、ムスリムならモスクに寄付されます)
盛大にお葬式をして最後の一日、3日目は遺体を山に還します。
先祖代々入っている岩に遺体を入れるその瞬間、
ウワァァァァァーーーーン!!!! と泣き出す。
もうお別れだぁぁぁぁ〜!!! って叫びまくる。
さて、余談でした。笑
こういった独特な文化に触れるのは本当にいい経験です。
ジャワ島に住んでいた頃にもイスラム教の「犠牲祭」に参加し
牛やヤギが屠殺される現場を見て、記事も書きました。
その時もいろんな反応がありました。
野蛮だとか、人間らしいとか。
正しいとか、間違っているとか。
下の写真【閲覧注意】です。
こうやって聖なる水牛の血でその地を清めるのだそうです。
勿論お肉は全て内臓も食べられ、骨や角も全て大事に使われます。
首になたが入って、血を吹き出しているときは本当に苦しそうでかわいそう。
早く楽になりますようにって必死に手を合わせていた私。
普段手をあわせることなんてほとんど無いのにね。
たくさんのギャラリー。
結構オープンに葬儀を観光客にも見せるもんだから、
動物愛護団体とか過激派のお前ら神かよ!ってノリの他国の食文化とか否定する人たち
からの攻撃はないのかと一抹の不安がよぎったのです。
私が見渡す限り大丈夫そうだったけど。
だけどよくよく話を聞いてみると、残された遺族の負担があまりにも大きく
もう24頭の水牛を生贄にするとかもうやめようよー。っていう流れになってるらしい。
若い子たちには葬儀のために働き詰めになるのが納得いかないみたいだし
倫理的な観点からも、象徴として一頭の水牛で十分じゃないのかって政府も提唱してて。
このお葬式を見られなくなるのも、時間の問題だね。って言ってました。
それでもこの世代ぐらいまではこの葬儀が全てで
見栄を張ってでもやりたいっていうのが本音で、
死んだおばあちゃんも喜んでると信じているのです。
おばちゃん、快く見せてくれてありがとうねー。
どんな辺境の地にも、時代の流れはやってくる。
残す、残さないも伝統であり文化である。
古き良きとか、悪しき文化とか。
それを決められるのはやっぱりその土地に住んでる人だけだと思いました。
その文化が人権を侵害するものだと話は別ですが。自論過ぎますか。
そういえば、地元で今年地蔵盆が復活したのです。
今までなくなってたのに、ひょっこり現れた。私と妹の提灯がぶら下がってた。
その下ではおじさま方が泥酔もいいとこ。
ここは昭和かよ!という空気感の中ガハガハ笑ってお酒を浴びてた。
話してる内容はまあ生産性のないことばかり。笑
私が子どもを持つ頃までまた続くのだろうか・・・
うーん、ノーコメントで。
死があまりにも近い、トラジャでの体験記でした。
love and peace