おはようございます🎵
しがない主婦の自己満、浄化ブログにお立ち寄り、いいねありがとうございます。
アホな私が体験したゲスな過去のお話を
一つずつ思い出したとこから書いていきます。
現在、再婚して幸せになっています。
過去があるから今がある
無駄な経験はない
その言葉を信じて、反省し学び
淡い記憶から言葉として起こし
確実に成長するべく世間様に汚い私の過去をさらします。
簡単に自分の説明をしますと、
これまでの私は、人の言葉を100%疑うことなくストレートに受けとるタイプでした。
田舎生まれ田舎育ち、分校と呼ばれる少人数のなかで育ちましたので、みんな家族のような関係でした。嘘をつく必要もなく、騙されることもない幼少時代を送ってきたので
大人になってから、簡単に人を騙したり人を踏み台にしたりする人をよく見て
衝撃を受けることが多かったです。
いろんな経験を経て、
人の話は話し半分
くらいの感覚、距離感でいくのが一番
人間関係がうまく行く方法。
友達に悩み相談をされて
私まで相当落ち込んできて悲しくなってきて。
ひきづってたんですが、当の本人は人に話すことでケロッと忘れてた
人とはそうゆうものなんだと、学びました。笑
恋愛においては拗らせまくりますね。
駆け引きというものが理解できないから。笑
このブログでは
汚い言葉、不倫、浮気など赤裸々に書くことにしています。苦手な方はスルーをよろしくお願いいたします。
さて。
今回は精神病を患ったことを書いてみましょうか。幸い、今は落ち着いています。
はじめの結婚をして子供が産まれてから発症しました。モラハラ夫との2人だけの世界に泣いてる日々。自分が悪いと罵られ若くて無知なぶん、自分が悪いんだと責めて親にも相談できなかったとき。趣味に没頭する夫を横目にワンオペ育児。
自覚はなかったのですが、
水が触れない。手を濡らすことが体の中の血すらいやがると言いますか。。ものすごい嫌悪感に襲われるのです。
なので、料理も嫌悪感。
洗濯なんて赤ちゃんの濡れて汚れたものがさわれなくて、赤ちゃんの服はすぐカビました。
洗濯できないから、服のストックもなくなり
自分の服も下着もカビました。
そして捨てました。
なんとか耐えて洗濯機を回しても
今度は干せない。
パンパンもできないからずっとぐしゃっとなったまま干していました。
この異常なことに自分は気づけないほど心がまいってました。幸せな結婚像が
こんなことになるなんて。
仲良しな両親を見て私もそんな結婚がしたいと子供の頃から思ってました。
好きな人と結婚をすれば当たり前のように
しあせになれると信じていました。
ですが、恋愛ベタな私が選んだ人は男らしく見えた、ただの『モラハラ夫』
虐待を受け育った人は虐待を繰り返すと噂を聞いたことがありましたが、私はただ前夫の寂しそうな目を幸せにできると変な自信があり
モラハラ夫と気づいたのも10年後ぐらいです。
暴力こそはなかったけれど
ネグレクト、放置、暴言
辛さを訴えても
『自分は虐待を受け育ったから愛を知らない、だから無理』
平行線でした。
ずるいですよね。
普段、鳥かごの中の鳥な私は自分の食べたいもの、いきたい場所は否定され
モラハラ夫のサーフィンに付き合わされるのが休日の過ごし方でした。
俺の写真を撮れと。赤ちゃんをつれ
県外の穴場へ毎週つれていかれ
車のなかで一日過ごした日も数えきれないほど。モラハラ夫がサーフィン満足するまでして、SNS用の写真を私が撮って
やっとで帰れます。
車のなかだけで(外は入れ墨のお兄さんお姉さんがわんさかいる)赤ちゃんと二人で過ごす大変さは、女性なら想像できますよね。。
家事もワンオペ育児でなかなかできるタイミングのないときもある。そんなとき『食器洗いしてくれたら助かるんだけどなぁ、、』って
いったら『俺くらい稼いでこい。そしたら俺が主夫になったるわ』
SNSではイクメンのイメージを作り
家ではそんな感じ。
夫婦生活も、毎日そんだけストレスを感じてる私は、モラハラ夫を愛せるわけはなく、モラハラ夫が晩酌するとかならず迫ってくるので、夜になると寝込むくらい体調が悪くなるようになりました。
ですがおかまいなし。私が寝込んでても
なにか言葉をかけるわけでもなく
ズボンを脱がし下着を脱がし、股を広げ舐めてくるのです。
寝たふりをしてても構わずです。
自己中に進め自己中に満足して自分の部屋に帰ります。子供が寝てる横で犯される私でした。
ある日、断りました。
すると『夫婦生活は義務。断るなら訴える。離婚の原因としても認められている』と。
やらざるを得なかった。子供の横で。
『中学の時は想像できんかったなぁ、いつでも自由にやれることになるなんて、結婚てええなぁ』とモラハラ夫は言ったのでした。
誰にも話せず、こんなものなのかもしれないと自分を納得させる日々。
今世はもう諦めよう。子供のために。
来世は幸せになれるはず。
その想いが自分の支えでした。
こんな生活が13年。
ストレスでじんましんが出るようになり
眠れない、発狂してしまいそう、ところ構わず泣いてしまう。毎日もうろうと過ごしてたので『死』も数えきれないほどよぎりました。子供がいたから保てた部分もありました。私が守らなきゃと。
珍しい病気にもなりました。
ある日突然顔がピリピリして数分後にあり得ないくらい腫れるクインケ浮腫という病気になりました。離婚まで頻繁に続くのですが
離婚したとたん、不思議なくらいパタリと
出なくなりました。
そんなこんなの13年間は
鬱のお薬、睡眠導入剤を飲みながら
なんとか生き抜けました。
孤独感がすごく、周りの人の幸せな姿が羨ましく、何をどうしても空虚感に苛まれる。
けど離婚は子供がかわいそうと
八方塞がりな毎日でした。
そんな中
癒してくれたのが、生きる活力をくれたのが外の男の人たちです。
次回、はじてての不倫相手について書きます。