残留争いの柏にも大敗を喫した浦和だが、不思議と思った以上の絶望感はない。
チームを作っている最中という部分が大きいのだと思う。
将来性がある試練といった連敗地獄、いわゆる生みの苦しみになっているのだろう。
ギド・ブッフバルトが浦和レッズを世界の舞台へ一気に引き上げ、オジェックが結果を残し、エンゲルスがその負の財産を一気に背負わされた後に、突如やってきた白髪の監督は日本では無名の存在だった。
無名がゆえに、マスコミ内部に多数存在するオシム信者によって作られた日本オリジナルのフィンケのニックネームは「ドイツのオシム」。
突然のニックネーム誕生に、フィンケは日本のマスメディアのレベルの低さを痛感した事だろう。
しかし、この先ずっと付いて回るであろう「ドイツのオシム」のニックネームは結果で「ドイツのフィンケ」にかえていかないといけない。
話がそれるが、なぜマスコミはそのようなニックネームをつけたがるかというと、極めて簡単で、読み手にとってわかりやすからである。読み手が知っているような人間を無理やり引用すれば、人々は理解しやすい。
つまり、素人でもできる手法ともいえる。
プロの書き手が自分の言葉で表現できないが為に、このような惨状になっているのは悲しいばかりだが、一部の記者を除き、ほとんどのサッカー関係の記者のレベルは残念ながらこのレベルなのだろう。
プロ野球に「日本のジーター(ヤンキース)」などといったメジャーリーグからの引用をするような表現がここ数年ぐんと減ってきた。WBCでの世界王者というプライドが、日本のプロ野球こそ世界最強でメジャーを引用するまでもないという記者の中のプライドとなって、そういう記事を書かせなくなっているというのもあるだろう。
つまり、記者の中にある母国のスポーツへの愛と誇りの差が、記事の差になっていると思われる。
自分の国を愛してこそ真のフットボーラーとこのブログを立ち上げた当時から掲げているが、現在のサッカー界のプロの物書きたちに、どこまでその愛や誇りがあるのか。
さて、話を元に戻してフィンケのマネジメントという部分に注目をしてみる事にする。
現段階までのフィンケのパフォーマンスを見る限り、フィンケは小さなチームを作るという事にこだわっているように見える。裏をかえせば、今までの浦和レッズが大き過ぎたと捉えているように見える。
そして、少数精鋭を作る為に、そこにそぐわない選手が「自分からはじき出されていくのをまっている」感じにもみえる。この辺が一部の選手に誤解される部分となっているのではないだろうか。
マネジメントに正論はないけれど、そういうマネージャーは確かにいる。それが悪いとは思わない。
そもそも1人の人間がマネジメントできる人間は10人に満たない。7人~8人が限界だろう。ましてやピッチの上。監督が気持ちを入れる選手と、ある程度放任にしても結果をだしてくれるだろうという選手にわかれていく。
若手は監督が気持ちを入れる選手の域にある。育てがいを感じているのも事実だろうし、なにより自分がピックアップしているから思い入れも強い。
一方、ベテランは育てがいという部分では魅力を感じる事はない。選手として完成されつつあるわけで、当然ながらベテランの場合は、監督のサッカーにベテランが合わせられるかどうかという部分になってくる。
つまり、一歩間違えばベテランが、自分は必要とされていないと感じてしまうリスクもある。
そこに不信感を抱くか、それともそこにむかって努力をするかがベテランとしてチームに残れるか否かの分かれ目になってくる。まさに名古屋へ移籍したアレックスと現在も主力として活躍する山田暢はそれぞれのわかりやすい例といえる。
恐らく監督は現在の状況に悔しさは半端ないかもしれないが、本音のところでは重度の危機感は感じていないのではないだろうか。
ドイツ時代の情報を見ても、フィンケは褒めて伸ばすタイプの監督という印象をうける。
自分が選んだ選手のいいところを、どんな小さい部分でもピックアップしてポジティブに褒めていくことを大事にしている。新チームなのだから問題点はあって当然くらいに思っていることだろう。
あのオフィシャルのコメントでもとことんポジティブなのは、フィンケには見えている昨日よりも今日の成長というのがあるのだろう。
自分の選抜した選手たちを子供のように愛しつつ、そして親のように選手と接しながら小さいながらも精鋭部隊というものを作っていこうとしているのを感じる。
そもそもあのような部下に愛情を注ぐタイプのマネージャーは大世帯にはむいていない。自分色に染めるには1人に対してそれなりの苦労がある。それができる限界人数ってものがやはりある。
ビッグクラブを目指す浦和レッズとそれを取り巻く環境という中で、小さなチームを作ろうとしているフィンケのチャレンジは、いつか両者の間で埋められない溝ができるリスクがある。
フィンケにアドバイスをするならば、彼の中にあるスケジュールを公開したほうがいいだろう。今はやりのマニフェストではないが、この頃までにこういうサッカーにチャレンジしていきたいというものを。
今のサポーターの声を見ていると、愛するチームの現状になんとかしたいという焦燥感が見え隠れする。
焦燥感は先が見えないからうまれるものでもある。
どこが我慢のしどころで、どこに期待のしどころがあるのかがわかれば、「よーし、俺たちもそれまではチームが我慢せざるを得ない分、気合いれてサポートだ!」と割り切る事もできる。
選手の方向性を同じ方向に持っていくのがうまいと言われているフィンケなら、サポーターもそこにもっとまじえて、共に同じ方向性を共有していくほうが、効果的なサポートを受ける事ができるのではないだろうか。
それによって、浦和レッズという1つの塊がもっとコンパクトにまとまっていくことができると考える。