父は昭和22年、福岡県の生まれ
祖父は八幡製鉄の真面目なサラリーマンで祖母は医者の家から、何故か普通の祖父のところに嫁いだ
父は三男
長男、次男と年子で生まれ次男は1歳になってすぐに亡くなってしまったらしい
何故、父は不良になったのか
中学を卒業してから高校も行かずにフラフラしていて「竹田のとこの三男坊は入れ墨を入れてヤクザになった」と噂になったので上半身裸で町中歩かされた、と言っていた
既に両太腿には鯉や牡丹が彫ってあったというが、いつからヤクザの道に入ったのか
亡くなった今となってはわからない

母は昭和24年、北海道生まれ
祖父は高身長でハーフのようなカッコいい人だった
勲章を付けた写真を何枚も見せてもらった事があるが仕事は何をしていたのか聞いた事がない
祖母は無職だったと聞いた
たくさんお酒を飲むイメージが残っている
母は長女で本名は公子だが何故か祖母は敏江と呼んでいた
2歳下の妹がおり姉妹は仲良くて高校時代は2人共、新体操部で活躍したと聞いた
何故、ストリッパーの道を選んだのかわからないが高校卒業後まもなく踊り子として舞台に立ったらしい
学生時代は新体操の選手としてトレーニングする傍ら日舞も習っていたと聞いたから、その日舞を活かしたかったのかもしれないが厳格そうな祖父母が裸商売を認めていたのが不思議だった

父はやがて何処かの組の構成員となりストリップの興行師としてのシノギを得る

当時は北九州に妻と子供が居たらしいが踊り子である母と知り合い、私が出来た
直後、父は九州の家族を捨て母と私を選んでくれた
とても感謝している

不衛生な楽屋で育てられたせいか生後半年も経たない頃、結核性髄膜炎を発症し隔離病棟での治療を余儀なくされた

当時は死ぬか植物人間か、といわれた大病でその治療費も莫大だっただろう

懸命な治療のおかげで身体は弱かったものの4歳で完治し後遺症も残らなかった事は

本当に感謝しかない