25年前の今日、阪神・淡路大震災が起きました。

当時、私は25歳。

パニック障害を発症し一人暮らしができなくなって兵庫県南西部の実家から遠距離通勤していました。

 

私がいた兵庫県南西部は被災することはなく、翌日から姫路から西へ再開された新幹線で通勤できるようにはなったのですが、同じ兵庫県南部なのに被害の差があまりにも違っていて驚きました。

地震から10日くらい後に、介護福祉士国家試験を大阪で受験することになっていたのですが、本来なら1時間くらいで行ける大阪に姫路から播但線に乗り、和田山で北近畿タンゴ鉄道に乗り換え京都経由で4~5時間かけて到着した大阪の街は神戸で大地震があったことが嘘のように何事もなく見えました。

電車と代替えバスから見た紛争の後のような長田区の景色は今でも忘れることができません。

歩道橋にはそんな長田区の街を写真に撮って喜んでいる人の姿もありました。

同じ日本人なのに大変な思いで過ごす被災者の気持ちに寄り添うこともなく、写真を撮る無神経さに涙が止まりませんでした。

 

25年たち、復興をとげたようにみえる神戸ですが、被災して大切な家族を失った人の悲しみは癒えることなく心に留まり続けていると思うと胸が痛いです。

 

この日だけは忘れないように生かされていることに感謝しながら生きていかなければと思います。