甲子園は辛かった。 | 3度目の腰椎椎間板ヘルニア手術で不全麻痺になった私の日常

3度目の腰椎椎間板ヘルニア手術で不全麻痺になった私の日常

2021年3回目の腰椎椎板ヘルニアの手術を受け後遺症で右足首不全麻痺と診断され杖歩行となりました。
その他、多くの病院へ通院しながら生活する私の日常を綴ります。

みなさん、どうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>

昨日の夜19:00ごろ車で明石海峡大橋ルートで大阪のホテルへ向けて私の運転で出発。いつもなら

もう少しスタミナがあるのに、ちょっと運転しただけでガクンと体調が悪くなり脱力感と共にハンドルを握る腕に力が入りすぎて蛇行運転になってきたので、慌てて小さなPAに入り、仕事で疲れて後部座席で寝ていた主人に

運転を代わってもらう。


夜に運転することがほとんどないのと毎日夕方になるにつれ疲れてくるので、そのせいもあったのかなと思うけど運転しながら恐怖を感じることは初めてでとても怖かった。


あのときPAがなければどうなっていたか考えると今もゾッとする。


線維筋痛症になってからも甲子園だけは何の不安もなく行けてたのにどうしたのか体力が落ちたのか

病気のせいか年のせいか分からないけど、脱力感と共にパニック障害の発作まで起こりかけて、とても

しんどくて、「もう来年からは甲子園は私はいいや」とまで思ってしまった。されない


パニックは発症してもう12年になる。最近は発作が起きたことがある場所には必ず頓服を飲んで行ったり

することで発作自体は起きてなかったのに筋痛症を発症してからそんなことは関係なくどこでも

何をしてても突然息苦しくなり酸素を吸いすぎて冷汗、吐き気、脱力感がセットになってやってくるように

なってしまった。パニックになって一番困るのは先々のことを心配しすぎてしまうことだ。


今回は今月23日にあるイベントと10月のアリーナツアーに一人で来なくちゃいけないことが

もう心配でたまらない「。


どうかどうかいけますように。お願いします。線維筋痛症の神様。もう無理はしませんから。