こんにちは!
くれマリンちゃん菜々子です(・ω・)/
今日は私がマリンクイーンを目指した「理由」についてお話ししたいと思います。
去年2011年の8月14日。
旅行で山口県を訪れていた時のことです。
「おじいちゃんが危ないよ!早く帰ってきて!」
と母からの連絡がありました。
肺炎をこじらせて入院していた母方の祖父が
熱が下がらずかなり弱っていたので
「ついに来たか…」
という感じでした。
急いで高速道路を通って1時間半で呉芸南病院に駆けつけました。
まだその時は息もあり、
祖父は私を待つために頑張ってくれていたと思います。
もう、いつ心臓が止まってもおかしくない状態でした。
病室では無機質な機械音が鳴り響くだけでした。
その音だけが、祖父の生きている証でした。
大切な人を失くしたことのない私は、
その場にいる事がとても辛かった。
「いつまでも病室にいても仕方ないので、
子供たちは家に帰りなさい」
と言われて、
旅行の帰りで服も着替えていなかったので
一旦家に帰って着替えようということになり、
帰宅しているその間に祖父は亡くなってしまいました。
病院に戻って祖父を見た時、
涙も出なければ言葉も出てこなかった。
大切な人の死を受け入れる事ができなかったんです。
遺体となった体に処置を施す為に葬儀屋さんが入ってきて、
私たちは部屋から出なければなりませんでした。
祖母が祖父の手を握って
「お父ちゃん!こんなに早く逝ってしもうて、
私はこれからどうしたらいいん」
「辛いのによく頑張ってくれた、ありがとう」
そう言っているのを聞いて
やっと祖父は死んだんだと理解した私は、
堰を切ったように涙が溢れ
「おじいちゃん!」
と強く手を握って、
まだ少し温かい祖父の体温を感じるのが精一杯でした。
そこから少しずつ祖父の死を受け入れていきました。
祖母も母も、
「おじいちゃんはよく頑張った」
と口々に言っていたのが印象に残りました。
約1年の闘病生活、
祖母は毎日欠かさず朝から晩まで病院へ行っていました。
時々祖母を迎えに病院へ行くくらいしかしていなかった自分は、
深い深い後悔だけが残りました。
今でも葬儀の時にお配りしたお礼状をいつも持って歩いています。
その中に書いてある言葉は家族みんなで考えました。
一部を載せたいと思います。
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「行く道を照らしてくれた 大きな背中に感謝」
私達が幼かった頃の父といえば、とにかく厳しくて近寄りがたい存在。
箸の持ち方ひとつで叱られることも しばしばでしたので、
食事の時間さえ気が抜けなかったものです。
そんな父の気持ちがわかるようになるまでには随分時間がかかりましたが、
孫達のことを気にかける姿に その愛情の深さをしみじみと感じました。
~中略
一年間の闘病生活に堪え、命の限りを尽くしてくれた父が、
これからは安心して休んでくれるよう願い、
感謝の思いと共に見送ります。
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祖父が、如何に皆に愛された存在だったかを感じました。
同時に、「自分がそうあれるのか?」という疑問も感じました。
毎日病院へ通っていた祖母は、
することもなくなりとても寂しそうでした。
私は49日がくるまで、
毎日祖母の家へ欠かさず通い、仏壇に手を合わせました。
それしか今出来る事はないと思ったからです。
それから半年間、
祖母に喜んでほしい、元気になってほしいという気持ちをずっと持っていました。
一緒に墓参りに行ったり、
週に一度は必ず祖母の家に行き、仏壇に手を合わせたり、
一緒に買い物に行ったりしていました。
そんな時に、
フラワーフェスティバルのフラワークイーンの募集を見つけました。
すぐに応募しましたが、
後になり色々と考えました。
広島までは遠すぎて祖母が来られないこと、
より祖母に喜んでもらい、祖父に見てもらうためにはそれでいいのかということ、
私なんかがフラワークイーンに選ばれるわけがないと
自信はこれぽっちもありませんでした。
でももし選ばれなかったら困る、今年じゃないと意味がないんだ!
という気持ちだったので、
フラワークイーンは辞退しました。
くれマリンクイーンの募集を見て
より思い入れの強いこの「呉」という地で活躍し、
そして貢献していきたい!
それに加えて、
「呉で活動すれば祖父の墓からも近いし、
見てもらえるじゃないか!」
と思い心強く感じたので、
くれマリンクイーンに応募しました。
傍から見たら
「フラワークイーンになれないからマリンクイーンにした」
と映るかもしれませんが
私はとにかく今年じゃなければ意味がないと思い、
また 落ちても来年は応募する気がなかったので、
フラワークイーンは辞退してマリンクイーン一本に絞り、
面接の日まで色々と準備して出来る限りを尽くしました。
結果的には面接では思いもしないような質問が出てきたり、
面接練習していた内容も意味を成さない感じになりましたが、
もともと呉で遊び、呉で食べ、呉で飲む習慣があったので
自ずと日頃から感じていることが言葉となり出てきました。
好きなスポットや、紹介したいこと、PRしたいところ・・・
それが好と成したんだと思います。
そうでなければ、
背も低いしスタイルも悪いし顔も並でしかない自分が
マリンクイーンになれるわけがないと自負しております(笑)
ということですので、
私は美人ではないけど愛嬌がある、2012 くれマリンクイーンとして
1年間精一杯くれを応援して、
天国にいる祖父に手を振り
そばで見守ってくれている祖母と家族にエールを送りたいと思います。
先日運動会の件で触れた弟が、
意外にもとても喜んでくれて自慢しているようなので(笑)
それが嬉しかったです♪
祖父は墓で涙を流し喜んで、
祖母と母は、
「こんなことってあるんだね!」
と驚き喜んでくれて、
弟と父はニヤニヤしながら「マリンクイーンだ」と弄ってきます。
ホントに
家族が喜んでくれて、マリンクイーンになれて良かったです!
長文乱文読み辛いのに最後までありがとうございました。
2012 くれマリンクイーン 中山菜々子