故・斉藤康之さんに捧ぐ | THE LOVEROCK VIOLENT

故・斉藤康之さんに捧ぐ

自分はミュージシャンであり、腐ってもアーティストというものの端くれである訳だから、伝えたい事は曲の中で表現するべきだという姿勢で生きている。

それが何故ここに来てアナログを地で行く様な人間がブログなぞ始めるに至ったのか。

その経緯には勿論理由がある。
今までいくつかのインタビューを受け、自分の気持ちや考え方をライターの方などを通し伝えて来た訳だが、音楽活動を再開させた事で、曲や詞に込める情熱以外にも自分の言葉や文章で伝え残しておきたいものがあるからなのだ。


大袈裟かもしれないが、THE LOVEROCK VIOLENTというバンドの核を担っている[木村直樹]という男の本音、魂とでもいうべきものに触れてみて貰えれば幸いである。


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時は俺がアマチュアでバンド活動をしていた頃に遡る―。

ソニーレコードで俺個人をデビューさせる話が持ち上がった1991~2年の事だ。

REACTIONのギタリスト故・斉藤康之さん(以下は敬意を持ってヤスさんと省略させて頂く。)はバンド解散後、ソニーレコードでディレクターをしていた。


そう、正にBODYの担当ディレクターだったのだ。

当時、血眼になってBODYのヴォーカリスト探しをしていたヤスさんは社内で俺の資料を事前にチェックし、ある日俺がやっていたバンドのライヴ会場に現れた。


初めて明かす事だが、実はその頃、俺はBODYとは別に某有名バンドの某ミュージシャンとユニットを組み、ソニーレコードからデビューする話が進んでいた。
ライヴ終演後、ジーンズにTシャツでキャップというラフな出で立ちで楽屋に現れたヤスさん。

俺が中高生の頃大好きだったバンドのギタリスト。

緊張しない訳がない。

「初めまして、ソニーレコードの斉藤です。」と握手。

これが兄貴分であり恩師でもあるヤスさんとの初対面。

「突然なんだけど、BODYというバンドがヴォーカリストを探していて。直樹、やってみないか?」と切り出される。

「ここじゃゆっくり話も出来ないから、俺の車でどっか移動して話そう。」と、当時ヤスさんの愛車だった真っ赤なカマロに二人で乗り込む。


余談になるが、この時一緒にやっていたバンドのメンバーの顔が今でも脳裏に焼き付いている。

羨望と嫉妬、裏切りものへの言葉なき攻撃の表情‥。

まるで熱血バンド物語の小説や漫画の様な話だが、俺にもそんな経験があった。

これについては又の機会に話そう。


そして二人はライヴ会場を後にして颯爽と駆けてゆく。

地面に張り付きそうな車体で重低音を響かせるこの車、ロックンローラーにはぴったりだと思った。

どこの場所のなんて店に入ったのかは記憶に残ってないが、静かに話しが出来る店に入った。

ヤスさんは勿論俺のデビューの話が進んでいる事を知っている。

その上で「とりあえず一度スタジオでBODYと音出してみないか?直樹にとって絶対にこっちでやる方が良い。」と断言されてしまった。

そこで初めて俺にとってのデビュー曲である“I LOVE YOU”のデモテープを手渡された…。




(※文章が長くなるため、続きは改めてアップします。)