傲慢なヤフーショッピングは衰退 使いにくい、態度悪い、愛想悪いの3拍子のヤフー | 真実は何処にあるのブログ

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 インターネット業界の名門は時代の最先端から取り残されてしまうのか。日本最大のネット企業ヤフーが難局を迎えている。足元の業績はかつての勢いを欠き、斬新なサービスを繰り出す先進イメージも薄れた。本家である米ヤフーの不振もひとごとと言い切れない。16年ぶりのトップ交代で発足した新体制の実力はなお未知数。日本のヤフーは憂鬱(ゆううつ)を跳ね返し復活できるのか、それとも……。


 4月1日に11歳年上の井上雅博から最高経営責任者(CEO)の職を引き継いだ宮坂学(44)は派手な花火を打ち上げ続けている。


 オフィス用品EC(電子商取引)最大手アスクルへの出資、レシピ投稿サイト最大手クックパッドとの提携、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)とのポイント事業統合――。不振サービスからの撤退も進める。人気曲をネット配信する「ヤフー!ミュージック」、金融の「ヤフー!ネットバンキング」、投稿型検索サービス「ヤフー!くくる」などが次々とメニューから姿を消した。


 「ヤフーはスマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)時代の課題解決エンジンになる」。宮坂はパソコン時代に築いた事業構造からの脱却を叫ぶ。弱点は他社と組んで補い、相手ブランドへの切り替えもためらわないという。6月21日の株主総会では「営業利益を201×年までに2倍に引き上げる」とぶち上げた。


■冷淡な株式市場


 だが、いまのところ株式市場の反応は冷淡だ。


 バークレイズ・キャピタル証券のアナリスト、米島慶一は「今までのヤフーは『石橋をたたいて渡る』企業で、リスクをとらない傾向が強かった。経営陣が変わりアグレッシブ、迅速に決断している点は変化を感じる」と評価しつつ、勝負どころのスマホ戦略は「具体的な姿が見えにくい」と指摘する。営業利益2倍計画についても「今までの柱である広告事業だけで到達するとは思わない。具体策が出てくるかどうか」と様子見の構えだ。


 「消費者のスマホシフトが進むにつれ、ヤフーは安定した収益源を確立しづらくなる」。こう語るのはゴールドマン・サックス証券のアナリスト、小池隆由だ。スマホでは利用者が自分の好みに応じて取り込んだり外したりするアプリがネット利用の「入り口」になる。「まずはヤフーのようなポータル(玄関)サイトからネットに入る」というパソコン時代の「常識」は通用しなくなる。パソコンでのネット利用を前提に、広告と課金の2本柱で組み立ててきたヤフーの事業構造は壁にぶつかるというわけだ。「ヤフーは最近、年率で営業利益が2%程度しか伸びていない。遠からず減益方向に向かう」と小池は読む。


 ヤフーは創業以来15年続けて増収増益を達成し、一見業績は堅調だが、足元では失速を隠せない。


 2012年3月期の営業利益は前の期に比べ3.4%増えたが、ここ5年でのピークだった08年3月期の17.5%増に比べれば5分の1以下の水準だ。四半期ベースで見ると、鈍化はさらに鮮明。12年3月期の各四半期の増益率は1~5%台にとどまり、11年3月期の9~13%台から急ブレーキがかかった。


25日に発表した4~6月期決算は営業利益が前年同期比8.6%増えた。「業績が急に悪くなったり、体制の変更で混乱したりしないように注意してきたが、(旧経営陣からの)バトンを落としたりこけたりということはなかった。最低限のことはできた」。決算発表の席上、宮坂は3カ月を自己評価した。


 しかし、懸念払拭(ふっしょく)とはいかない。広告事業は13%増と2ケタ増収を保ったが、EC事業の取扱高はわずか0.7%増と振るわなかった。比重の大きいオークション事業が1.9%減と前年割れになったことが響く。「EC市場は2ケタ成長が当然の世界で、今回の結果は残念だった。自分たちのやり方に問題があって市場全体の伸びに追いつけていない。取扱高を伸ばすべく、てこ入れに取り組んでいく」。宮坂が反省の言葉を述べる場面もあった。


 ヤフー株価は宮坂の就任後も一進一退で、伸び悩み傾向から抜け出せない。投資家はヤフーを「成熟期に入った銘柄」とみなしている。


■前CEOが託した「ヤフーの破壊」


 2月上旬――。


 「ちょっと来てくれる?」。EC部門を担当する執行役員だった宮坂は、社内連絡に使うパソコンのチャットで、井上から呼び出しを受けた。ECサービスで何か問題があったのか。思いを巡らせながら足早に役員フロアに向かう。だが、ガンダムの巨大フィギュアが飾られた独特の雰囲気の執務室で、井上が発したのは予想外の言葉だった。





 「CEO、COO(最高執行責任者)、CFO(最高財務責任者)の3役ともに経営から退く。時期は4月。ついては次の社長職を君にお願いしたい」


 井上は淡々と続ける。「僕ら3人だと思い入れと愛情が強すぎてヤフーを壊すことはできないから。今のヤフーには、これまでつくり上げてきたものをいくらか破壊しながら次のステップに進むことが必要だ。体育会系の君ならできるだろ。チーム宮坂をつくってくれ」


 16年に及ぶ井上時代の幕切れ。振り返れば、井上は絶好の追い風が吹くなかで、ヤフートップの仕事に乗り出した。


 もともと井上はソフトバンク社長、孫正義の秘書役だった。1995年11月、孫は米国で開かれたハイテク展示会「コムデックス」に立ち寄った帰り、創業間もない米ヤフーの共同創業者ジェリー・ヤンに会いに行く。資金調達先を探していたヤフーに対し、孫は2億円の出資を即断した。このとき孫に同行し、大金を工面したのが金庫番の井上だった。


 96年、井上が経営のかじをとり、日本デビューを果たしたヤフーはネット企業の先駆けとして疾走を始める。米国で生まれた最先端の検索エンジンを土台に、ニュースからメール、買い物までワンストップで提供するポータルサイトの地位を確立した。ヤフーは有力ブランドに育ち、ITバブルが盛り上がった2000年、株価は1億6000万円台という驚異的な値をつけた。





ヤフーの主な動き1996年1月 米ヤフーとソフトバンクが合弁でヤフーを設立
4月 国内初の商用検索サイト「ヤフー!ジャパン」開始
1997年3月 「ヤフー!株価情報」開始
1998年6月 「ヤフー!ニュース」が地域ニュースの配信も開始
1999年9月 「ヤフー!オークション」を開始
2001年4月 米グーグルと提携。「ヤフー!ジャパン」にグーグルの検索結果も表示
7月 「ヤフー!メール」立ち上げ
2004年4月 Q&Aサイト「ヤフー!知恵袋」を公開
2009年2月 ソフトバンクからデータセンター子会社を450億円で買収
4月 USENから動画配信会社のGyaoを約5億3000万円で買収
2010年4月 DeNAと提携。「ヤフー!モバゲー」立ち上げで合意
5月 中国最大のEC企業、アリババグループと業務提携
7月 米グーグルの検索エンジンと広告配信システム採用で同社と合意
2011年6月 ツイッターと提携。ツイッターの「つぶやき」をヤフーの各サービスと連携
2012年1月 米ヤフー共同創業者のヤン氏が日本のヤフー取締役を退任
4月 宮坂学執行役員が最高経営責任者(CEO)就任
アスクルと業務・資本提携を発表。筆頭株主に


 しかし、連結で従業員数が5000人近くに膨らんだ2000年代後半になると、少しずつヤフーの歯車が狂い出す。圧倒的なサイト訪問者数を持つ業界首位との立場から、新しい分野に挑戦するより、守りの姿勢に傾くことが多くなった。優秀な人材がライバル会社やベンチャー企業に流出する事例が目立ち始める。


 一時はヤフーの独壇場に近かった日本市場は今、グローバルプレーヤーがひしめく激戦区。技術、資金の両面で世界をリードする米グーグルは日本での投資を加速し、交流サイト(SNS)最大手の米フェイスブックや、ミニブログ大手の米ツイッターも存在感を増す。日本のヤフーは米ヤフーとの契約で、日本以外ではヤフーブランドを使った事業ができないが、ライバルは国境を軽々と越えるネットの特性を生かし、日本攻略に突き進む。


■自ら先導したネット革命に揺れる皮肉


 ヤフーが先頭に立ち、切り開いてきたといえる日本のネット市場。先駆者であるヤフーが本格化したネット革命の渦に巻き込まれ、存在感を失いかねないという皮肉な構図が生まれている。


 劇的な競争環境の変化が「井上CEOの限界」を浮かび上がらせた。業界の潮流の本質を見誤ったのではないか――。そう疑わざるを得ない出来事があった。


 「未公開企業だし、ろくに利益も出ていないが、利用者だけは増えた。どこまで飽きずにユーザーがついてくるかな」。フェイスブックの利用者が日本国内で500万人に迫ろうとしていた11年春、井上は冷ややかに話した。「だれが昼に何を食べたなんて知りたくもないよ。僕は2回しか使ったことがない。面倒くさいし」。フェイスブックを「デジタル交換日記」と呼び、一過性のブームと切り捨てた。


 しかし、井上の読みは大きく外れる。1年後の12年春、フェイスブックの利用者は世界で9億人を超え、日本でも1000万人の大台に乗った。世界が注目した上場では、上場初日の終値ベースで時価総額が約1046億ドル(約8兆2000億円)に膨らみ、ネット通販の世界最大手、米アマゾン・ドット・コムを上回った。


■ソーシャル分野での判断ミス


 ヤフーも前々からソーシャルメディアに挑戦はしていた。06年に一般ユーザー向けSNS、08年にはビジネス向けを始めた。だが、いずれも不発で、11年までに撤退した。「若手の社員はSNSを個人的に使いこなしていたが、会社としては波に乗れなかった」。ある幹部はそう振り返り、経営陣の判断ミスをほのめかす。





トップ交代の記者会見をする(左から)宮坂氏、孫氏、井上氏(3月、東証)


 「携帯電話は発信専用で、いつもかばんの中」という井上。ヤフー会長でもある孫は「君は電話してもなかなかつかまらない」と半ばあきれ顔だった。ツイッターを使いこなし170万人のフォロワーを抱え、最近フェイスブックも始めた孫にしてみれば、最も信頼を寄せるべきポジションの井上が、ソーシャルやモバイルと距離を置く姿勢を崩さないことに、やきもきしていたに違いない。


 それでも井上率いるヤフーが快走できるほど、日本市場にネットサービスが浸透する勢いは猛烈だった。しかし、強豪がひしめき、ネット世界の動向を先読みするセンスが厳しく問われる局面となれば話は別だ。井上はかねて「ヤフー!ジャパンは創業以来、『自分自身が1ユーザーとして考える』という基本を貫いてきた」と社員に言い続けてきた。自分自身が業界トレンドに疎くなり、このままではヤフーが時代遅れのネット企業になりかねない――。井上はそんな危機感を募らせていた。


 「非常に残念です」。米ヤフーのヤンが日本のヤフー取締役を退く意向を示した今年1月、井上は早朝にもかかわらず社員にメールを送った。


 米ヤフーはグーグルやフェイスブックなど新興ライバルの急成長に押され業績が悪化。コストのかさむ検索エンジンの開発から手を引いたこともあり、イノベーションの担い手とのイメージも薄れた。ここ数年、世間で話題になるのは新サービスや技術ではなく、度重なるトップ交代による経営の迷走ぶりばかり。一時代が終わりを告げるようにヤンは「引退」を表明した。


 業界内での存在感の低下は米ヤフーだけでなく、日本のヤフーにとってもひとごとと片付けられない問題だ。盟友ヤンの後を追うように井上は「古いヤフーの破壊」を宮坂に託す決断をした。井上はヤフーだけでなく、6月22日の株主総会をもって親会社ソフトバンクの役職からも退いた。今は悠々自適の暮らしを送るという。


 では宮坂は「時代遅れ」の汚名を着せられることなく、ヤフーを再び勢いのある会社に変えることができるのか。


 宮坂はひとりを除いて執行役員を一新、井上時代に比べ平均年齢を10歳若返らせた。スマホ対応を加速するため、チーフ・モバイル・オフィサー(CMO)という新しい役職をつくり、ヤフーを飛び出しベンチャーを設立していた人材を呼び戻すなど、体制固めに腐心する。





「爆速」Tシャツで社員大会に参加したヤフーの宮坂CEO(6月、都内)


 「モバイルを持って海でも山でも働ける環境になります。どこでも働ける会社として、日本で最も先進的でイケてるワークスタイルの会社にしたい」。6月21日、全国から約5000人を集めて都内で開いた社員大会。宮坂はスピーディーに仕事に取り組もうとのメッセージを込め「爆速」の文字をプリントした真っ赤なTシャツ姿で声を張り上げた。「突き抜けた人材が私より給与をもらってもいい。メジャーリーグ級の処遇も用意します」。これまで8段階あった承認プロセスを2段階に減らすなど権限委譲も進める。


 宮坂は4月以降、菓子を食べながら社員と対話する茶話会「菓子ミヤ」を本社や全国各地の拠点で開く。東日本大震災の被災地に足を運び、東北の食材を使った「復興弁当」をプロデュース。社員向けに販売し始めたほか、同業のディー・エヌ・エー(DeNA)にも納入を決めた。


 ヤフーブランドを使わなければ海外展開もできる点に着目し、宮坂は海外事業に本格的に踏み出す姿勢も打ち出す。6月、インドのバルティ・グループ(ニューデリー)と合弁会社を設立しインドでスマホ向けポータル・検索サイト構築に乗り出すと発表した。


■「成功体験」を持つアイデアマンの手腕は…


 前任の井上とは異なるアイデアマンの宮坂。しかし、アイデアや戦術だけで、大企業のかじ取りはできない。ヤフー設立2年目に出版社から転職し、金融情報やニュースサービスの立ち上げにかかわってきた宮坂もまたヤフーでは強烈な「成功体験」を持つ。創業以来の苦しい局面を乗り切る経営者としての力量はいまだ読み切れない。


 ヤフー幹部が言う。「大がかりな改革に手を付けたいま、大きく失敗するか、成長スピードを上げられるかのどちらかだ」。仮に古いヤフーを壊せても、新しい成長パターンを創出できなければ、真のヤフー復活は望めない。それは日本のネット業界が世界で一定の存在感を維持できるかどうかの試金石でもある






http://ameblo.jp/pronet1995/entry-11315806380.html



とにかく、ヤフーグループは態度が悪い。


間違ったことを認めない


誤らない


最後は無視する