強制退会や削除 | 真実は何処にあるのブログ

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経済から、実態社会まで、表からと裏から両方で書きます。こんなことかいてやばくない!まで出来るだけ書きます。

ネット上では、ブログの削除が頻発している。


このアメブロでも、記事削除から強制退会まで数知れない。只、強制退会の傾向としてある一定の共通点があるようだ。その共通点は、朝鮮の歴史事実暴露系と民主党政権と朝鮮との関わりを証拠を突きつける事もNGのようだ。


まず、このアメブロを運営する株式会社サイバーエージェントに関して調べてみる。


社名
株式会社サイバーエージェント
CyberAgent, Inc.

本社
〒150-0043
東京都渋谷区道玄坂一丁目12番1号
Tel:03-5459-0202(代表) Fax:03-5459-0222
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代表者
代表取締役社長CEO 藤田 晋

設立
1998年3月18日

資本金
7,203,328,882円 (2011年12月末現在)

発行済株式数
  852,000株

総資産
  111,791,000,000円

有利子負債
   1,696,000,000円

株主
  藤田 晋  115,972(23.9%)
  日本トラスティ  41,120(6.3%)
  日本マスター   38,685(5.9%)
  Goldman&Sax   31,841(4.8%)
  日本TS信託9   12,360(1.8%)
  資産管理信託投信 11,080(1.6%)
  BONY・GCM     9,199(1.3%)
  JPモルガン     9,000(1.3%)
  ステート・S・BT  7,900(1.2%)
  オーエム      7,405(1.1%)
 <特定株>51.0% <浮動株>15.2%


決算書を見ているわけではありませんのでなんとも言えませんが、表に見える借金は殆ど無く、年々売上を伸ばしているので数字上では優良企業です。


まず、問題となっている、アメブロでの不当とも言える削除や強制退会ですが、契約内だけを考えれると運営側(営利企業)の運営に妨げになると判断した場合削除する可能性はあるということでしょうね。くだらない記事は削除しませんね。

「本当の日本の歴史」が強制退会させられたのは、Ameba側にとって不都合な真実が多く記載されたからである事と、そのブログにアクセスが集中していたからでしょう。もちろん、サイバー事態にとって朝鮮の記事が問題なのではなくて、サイバーを間接支配している電通にとって不都合なのであったのでしょう。そして、民主党政権にとっても。

知っているかと思われますが、電通はネット広告の利権を獲得する為に、ネット広告大手のオプトを参加し、サイバーも株を利用して間接支配している。


電通が朝鮮と繋がっているのは周知の事実であるが、電通が意地でも真実を捻じ曲げなくてはならなくなってきているのはネットのおかげである。このネットにより数多くの日本人が覚醒し日本の政治に関心を持ち自分達の未来を踏みにじっている黒幕に対して怒りをもつようになり、本民主党政権でその怒りが頂点に立っているにも関わらず、その怒りがあたかも無いようにメディアを通して伝え歯止めが効かなくなると力でねじ伏せようとする国家とメディアに既に怒りが爆発寸前なのである。


この状況は既にアメリカで起っており、クーデター寸前である。アメリカ内部では政府の軍部への統制が全く利かなくなり、今や、アメリカ軍がいつ暴走を起こすか分からない状況になっている。日本の場合、現状、軍に当たる自衛隊や海上保安庁では尖閣諸島沖での中国エセ漁船との衝突による政府の隠蔽工作に多くの国民に怒りが噴出し、神々が宿る神社を管理する神社界では政府に対する怒りが爆発した。もちろん海上保安庁も怒り心頭である。


今や、日本においても民主党政権に対していつ自衛隊が銃を向けるか分からない状況である。まさしく226事件の直前と同じである。




二・二六事件

 

1936年(昭和11年)は動乱の年だった。軍国主義の風潮が社会を取り巻く中、2月26日には陸軍の過激な国粋主義の青年将校たちが「昭和維新」を旗印に蹶起(けっき)、重臣を殺害し、首都の中枢部を4日間に渡って占拠するというわが国近代史上初のクーデターを起こしている。いわゆる二・二六事件である。

歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛歩兵第3連隊の下士官兵1400人は行動を開始した。

1936年(昭和11年)2月26日午前5時過ぎ、栗原安秀中尉、林八郎少尉、池田俊彦少尉、対島勝雄中尉率いる300人は、雪が降りしきる中、首相官邸を襲撃。警察官4人を射殺し、岡田啓介首相と間違えて秘書官の松尾伝蔵大佐を射殺してしまった。岡田首相は女中部屋の押し入れにもぐり込んで難をまぬがれたらしい。

坂井直中尉、高橋太郎少尉、麦屋清済少尉、安田優少尉率いる150人は、四谷仲町の斎藤実(まこと)内大臣私邸を急襲。機関銃から弾丸40発を発射して殺した。

このあと、高橋、安田両少尉は、30人を連れて、上荻窪の渡辺錠太郎教育総監私邸へ行き、ピストルで応戦した同総監を射殺した。

中橋基明中尉、中島莞爾少尉率いる100人は赤坂の高橋是清(これきよ)大蔵大臣私邸を襲い、「天誅!」と叫んで同蔵相を射殺した。

安藤輝三大尉率いる150人は、麹町三番町の鈴木貫太郎侍従長官邸に乱入。侍従長をピストルで撃ち、軍刀でとどめを刺そうとしたが、夫人に懇願されて思いとどまり、侍従長は一命をとりとめた。

また、他の兵400人は警視庁を占拠し、朝日新聞も襲撃した。

この事件には実は伏線があった。青年将校が横断的に結合して国家革新をはかろうとする皇道派と、総力戦体制の国家をめざす幕僚を中心とした統制派の陸軍内部の主導権をめぐる確執であった。

前年の1935年(昭和10年)、皇道派の真崎甚三郎(まざきじんざぶろう)教育総監が更迭されたことに怒った皇道派の相沢三郎中佐が、統制派のポープの永田鉄山(てつざん)軍務局長を刺殺するという事件が発生した。

青年将校たちは相沢裁判をテコに「昭和維新」決行を心に誓い、荒木貞夫大将や真崎ら皇道派将官は、青年将校の運動を陰にバックアップし、自派の影響力拡大をもくろんだのであった。

午前8時半ごろ、占拠した陸相官邸に真崎が勲1等の勲章を佩(は)き、意気揚々とやって来た。磯部浅一元1等主計が「閣下、統帥権干犯(かんぱん)の賊類を討つために蹶起しました」と語ると、真崎は得意げに「とうとうやったか、お前たちの心はよお、わかっとる、よおー、わかっとる」と言った。

実際、皇道派軍人は蹶起部隊を擁護し、「穏便な解決」に奔走した。「諸子が蹶起の趣旨は天聴に達したり」とする説明文を作成、占拠を解けば不問に付すという妥協案が作られ、また、「勅語」を与えて帰順させるなども検討された。

しかし、事態は真崎や荒木の思惑通りには運ばなかった。何よりも天皇自身が激怒し、「暴徒、叛乱軍」と明確に規定したからである。天皇は事件を報告する川島義之陸相に対し、「叛乱軍を速やかに鎮圧するのが先決」と叱責の声をあびせた。こうした中で、流れは「叛乱軍鎮圧」に傾いていくのであった。最初は蹶起部隊に同情的だった杉山元(はじめ)参謀次長も、第1師団の甲府および佐倉部隊の首都投入を指示した。自軍出身の岡田首相、鈴木侍従長、斎藤内大臣を襲撃された海軍の行動も早かった。横須賀の第1水雷戦隊を芝浦に上陸させ、土佐沖の連合艦隊のうち第1艦隊を東京に、第2艦隊を大阪に向けた。

2月27日になると、さらに、蹶起部隊の旗色は悪くなった。天皇は「朕(ちん)が最も信頼せる老臣をことごとく倒すは、真綿にて、朕が首を締むるに等しき行為なり」と述べ、事態の収拾に手間取る陸軍首脳に対ししびれを切らし、「朕自ら近衛師団を率い、これが鎮定に当たらん、馬を引け」とまで言い切ったのである。午後4時、第1艦隊は東京湾で艦を横1列に並べ、すべての砲門を市街に向けた。

2月28日午前5時8分、ついに「叛乱軍は原隊に帰れ」との奉勅(ほうちょく)命令が下され、この時点で青年将校たちの「昭和維新」の夢は完全に破れたのだった。

2月29日朝から、「兵に告ぐ」の放送を始め、飛行機、戦車、アドバルーンを繰り出して「今からでも遅くない」という帰順勧告が開始された。

投降が始まり、最強硬派安藤輝三大尉のピストル自決(未遂)を最後に、全員投降した。

この事件後、参加部隊は満州に送られ、多くの戦死者を出した。

3月4日から緊急勅令による特設軍法会議が開かれ、すぐに結審した。

7月5日、安藤輝三、栗原安秀、村中孝次、磯部浅一ら17人に死刑判決が言い渡された。

7月12日、村中、磯部を除く15人の死刑が執行された。

翌1937年(昭和12年)8月15日、黒幕とされる思想的指導者の北一輝(本名・輝次郎/1883年4月3日生まれ。事件のとき「数え」年齢で54歳)、西田税(みつぎ)に死刑判決が言い渡された。現在では北一輝は指導者ではなかったとする説が有力のようだが、、、。

8月19日、北一輝、西田税、村中孝次、磯部浅一の4人の死刑が執行された。

9月25日、真崎大将に無罪の判決が下り、事件の全てが終わった。彼らの運動に理解を示し、利用もした皇道派の将官たちは不問とされた。特に、事件の黒幕の真崎の無罪は “昭和史の謎” とされる。

事件後、行方の知れなかった「二・二六事件裁判記録」を発掘・閲覧した弁護士の原秀男(元陸軍法務官)は、公判記録を次のように読み解いた。真崎は天皇の怒りを知って震え上がり、さっさと手の平を返して保身をはかったのではないか。また、統制派は、この粛軍裁判を利用して皇道派を完全におさえ、軍の主導権を握っていったのではないかと。

そして東条英機に代表される統制派の手によって、日本はファシズムへの道を本格的にたどることになるのである。

約2ヶ月後の4月18日には国号を「大日本帝国」と統一。翌1937年(昭和12年)7月7日には蘆溝橋事件が勃発し、日中戦争が開始された。



アメブロだけでなく、他のブログサイトでもこのような不当な強制退会はあるが、およそ、大企業ほどこのような不当強制退会は多いようだ。つまり、株主や広告主の意向で排除されたりしている傾向が強いと思われます。

結論を言えば、大手が運営するメディアは重要な事は教えない、戦後日本を白痴化させてきた3S政策を軸に更に、朝鮮毒(間接的にエセユダヤ)に犯された情けない腑抜けであると言う事であろう。


このような企業は、真っ先にクーデターが起った場合には戦車などの砲弾を浴びればよいだろう。