小休止。
音楽にもそれが必要不可欠なように
人生にも同じことが言える。
私は
何から逃げたいんだろう
何を掴まえたいんだろう
これ何のゲームなんだろう?
..
春の植物たちは
滑稽な人間たちをみては呆れ笑っている様で
可笑しかった。
阪急沿線にて🌸
母校(高校)の裏の線路沿い
毎年桜が美しい
❤
この春は久しぶりに自律神経大乱れで
今も日によって波が激しい。
完全にセロトニン欠乏症![汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
![汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
またブレーキの壊れた自転車の如く
息するのも忘れて何かに向かってたみたいやな。。
身体からのサイレンが鳴ってしか気づけない、癖は未だに変わってない(*_*)
なんでそんなにがんばるの?
「居心地の悪さを解消するため」
私の場合、これに尽きる。
たぶん潜在意識下にはいろいろと理屈で説明できる原因があるのだとは思う。
ティアラが亡くなって以来、
とにかく悲しみを感じたくなくてがむしゃらに動き回ってた。
退職したこともまたどこかで焦りとなって、この役に立たない"余計モノ"が少しでも誰か(≒母)の役に立てるようにと、毎日ご飯作りに没頭した。
これにはそもそも、
無条件には自己価値を感じられなかったり
何もできてない自分自身を赦せなかったり
そんなセッショク要因がまだ根底にあることのあらわれなんだろう。
私は典型的な制限型。
とにかく快楽禁止癖というか、アメとムチのムチだけのやつというか、栄養や休息をなるべく自分に与えずに業務に励むみたいな![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
この悪しき癖ともここ数年はだいぶ寛解し、ちゃんと自分にも労りと優しさを与えてあげられるようになっていたはずが。
ちょっとまた再発気味な近頃。。
拒食症(完全制限型)の人って制限(≒我慢)することが自分自身へのお清めというかおゆるしというか、そゆとこあるでしょ?
対義語に近い"我慢"と"許し"がなぜイコールで結ばれるのか謎な病
"今日もちゃんと清められた感"が、制限する行為によって感じられるのよね。
昔はここに+アルファで体重が減っていることの達成感もあった
もしかしたらその、清められた感であったり達成感が感じられる瞬間にドーパミンが出てて
それに依存してるのかなって思ったりもする。
現代人はみんなドーパミン中毒だからね![ドクロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif)
![ドクロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif)
酒に溺れ
薬に浸かり
性に沼り
すべて、人間の持つ苦しみを一瞬だけ解放してくれる対処療法ではあるから
すがりたくなる気持ちもわからんでもないが
そこに本当に求めてる何かは無い。
一瞬の解放の後は
ただ遺る虚無感と、孤独..
しんどいのに
幸せでないのに
それでも清めたい
あらためて、おかしな病気になったものだと想った。
そんな私の自問自答が天に届いたのか、
最近ものすごくドンピシャな動画を見つけた。
YouTuber精神科医の益田先生の動画だったんだけどね、
まずサムネの「自分だけは許せない!」が的を得すぎててワロタ![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/015.png)
![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/015.png)
動画全体の内容としてはざっくりと病気の説明をされているものになるのだけれど
お肌に化粧水を塗りながら聞いていて思わず手が止まったわ(笑)
5:35〜
『地に足をつける。つまり、平凡、いや、平凡よりちょっと弱い地味な自分を受け容れる』ことが重要です。
ま、まさに、、
(T_T)
ぐうの音も出ない、とはまさにこの感覚だった。
そして私がずーっと探し求めていた言葉かもしれなかった。
私が初めて摂食障害を診てもらった大学病院の先生は私に
「あなたにはゆるしが必要なんですよ」と言った。
それは、後からわかったことには間違いない真実だったのだけれど、若かりしあの頃の私には全く腑に落ちず母への憎悪と自分への憎悪で心も身体もいっぱいだった。
「平凡よりちょっと弱い地味な自分を受け容れる」ことがある意味、その"ゆるし"という偉大な言葉の持つ抽象性を日常レベルに落とし込めるように噛み砕いた具体というならば、こんなにわかりやすいことはなかった。
そして
7:13〜
「摂食障害の人の持つその優しさを自分にも向けてあげましょう」
という2つめのゆるしを添えて。
きっと益田先生は、心から臨床に取り組んでらっしゃる方なのだと思った。
じゃなきゃ、あの鋭い助言は出てこない。
それはセッショク経験者だから、すぐにわかる。
どっかのメンタリストみたく論文を読み散らかしてるだけ人とは、言葉の温度や愛の深さが違うわ
何事にも「真実は臨床にあり」、と常々考えている私だけれど
益田先生を知りあらためてそのことを痛感させられた。
どこでもドアがあったら益田先生の外来受けたいところだけどなぁ![笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/664.png)
![笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/664.png)
(摂食障害の初診は今は休止中みたい)
それにしても。
どうして自分だけはゆるせないんだろう?ーー
永遠の問い。
お金を稼げばゆるせるようになるのかな?
両親の元を巣立てればゆるせるようになるのかな?
ってずっと思ってきたけど。
それが答えなんだろうか。
今はまだわからない。
「働かざる者食うべからず」ってあの言葉の呪縛が私を苦しめ続けているのは事実
摂食障害も、一時的でもいいから障害年金の対象になる仕組みがあったなら
(例えばBMI13未満は貰えるとか
私はあそこまで自分を責めることなくもう少し気楽にこの15年を生きて来れたんだろうか?
(親の負担を減らせられる、という意味で
とか、そんなタラレバ論がふとよぎったりもする日もあるけれど
如何せん
現実として大切なことは
『今すでにじゅうぶんで、私はゆるされる価値がある』ということを肚に落とすことだ。
そう頭ではわかってる。
でもね、その一方で
今ここにないものを求めて
ここには未だ居ぬ何者かになりたくて
体重コントロールに向かう者たちの"真の哀しみ"を
私は今でもとてもよく、理解できるんだ。
...
もう、疲れた。
自分との闘いに。
ゆるそう、こんな、自分を。
家族全員大集合の日には
たくさんのおでんを仕込んだ
🍢
料理は楽しかった。(過去形(笑)
でも、母にゆるされたくてやっているならそれはセッショクの再発でもあることに気づいたから。
身体のしんどいうちはしばらく離れようかなって思ってる。
ペットロスもほんとは全然乗り越えられてないのかも、って思うし
なかなか復職の目処さえ立たない今日この頃で
はぁ、、
生きてることに疲れた時は
お決まりの
菜穂さん
♪♪
わたしが究極に求めていることは
わたしの終わり
![オーナメント](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/655.png)
このからだの中には誰も居なくって
個人とは幻で
この世のすべてがただ愛のあらわれ
...
何者にもなれなくても。
話聞いてくれたり
心配してくれたり
そんな人が居てくれることこそ
有り難く、そして、幸せ
![ピンクハート](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/083.png)
一瞬のドーパミンばかり欲してると
身体も心もガチガチになるからネ
これを機に再び、
セロトニン+オキシトシン活動はじめたい。
(今すぐ犬を飼いたい!!←本音![えーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/018.png)
![えーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/018.png)
自分にも優しさを向けてあげよう。
ナチュラルな笑顔があらわれるような
ゆるんだ身体と心で生きていこう。
もういい加減、
『幸せなほうを選ぼう』
自分と約束。![赤薔薇](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/197.png)
![赤薔薇](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/197.png)
yu-co