2022年11月22日

 

最愛のティアラが、17年10か月の一生を終えました。

 

 

 

 

 

 

 








 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

あまりに急すぎて未だに信じられない気持ち。

なぜここにティーちゃんが居ないのか?わからない。

気がつけば涙が流れてくる。

 

ついこの間まで歩き回って元気にもりもりご飯を食べていたのに。

 

 

 

 

 

 

思い返せば10月15日

珍しく食事量が少なかった。

でも、全然食べないわけでもないしその他の様子はまったくいつもと変わらないから

そこまで心配はしてなかった。

 

そして翌日16日

私がコロナになってダウン。

その日もいつもの半量ほどしか食べなかった(私がしんどくてティーちゃんが満足するまで与えてやれなかった、という方が正しいかもしれない)

でもその後は、波はあるものの徐々に元の食事量に戻っていってたのでひとまずは一安心していた。


そして11月3日以降

また少しずつ食欲が減退していっていつもよりさらに寝てばかりの日が続いた。

でもちゃんと歩いているし全くしんどそうな表情は無かったし、ご機嫌は良好で。

ちょうどこの頃、皆既月食の満月が近く私自身も吐き気や頭痛が激しかったので、きっとティーちゃんもそうなのじゃないかと思ったりしていた。ここ最近は特に私の体調とシンクロすることが多くなっていたし、わりと(飼い主に似て)宇宙の動きに敏感なところがあったから、もう少し時間が経てばまた元気になるだろうと楽観視していたのだった。

 

ところが、11月7日夕方

私がピアノレンタルから帰ってくるとリビングに嘔吐の跡(黄色い胃液よようなものに少し白い塊があった)があった。

この時点で初めてちょっと真剣に心配になり、もしかしたら持病の子宮蓄膿症が再発したのでは?と懸念が生まれたのだけれど、父曰く毛づくろいして吐くことはこれまでもあったというし、夜には元気になってご飯も少なめだけれども食べてくれたので、とりあえずまた様子見にすることに。

翌日は吐きもせず、初めて食べるポークカツをもりもり食べてくれて、またもや安心してしまった。

 

ところがだ。




11月10日にまた黄色い胃液を2度も吐いた。いよいよ受診しなければというわけでその翌日、かかりつけ動物病院へ。

でもその日はあいにく担当医がお休みで違う先生で、あまりコトの流れを理解していないみたいで正直よくわからなくて、エコーしますか?と聞かれたけれど、うちの子怖がりなので極力検査はさせたくないという思いが根底にあるのもあってつい億劫になってしまい(しかもエコーして子宮が腫れていたところで出来ることは抗生剤投与のみ)、その日は皮下輸液(点滴)だけしてもらってまた一旦様子見ということで帰宅した。

12日、13日はますます元気が落ちてご飯を食べずおまけにまた吐いて、この時私はいよいよ青ざめる感覚がしたのを覚えている。

今までものすごく楽観視し、「こんなに元気になったティーちゃんが病に伏すわけなんてない!」「18歳の誕生日は余裕!」と高を括っていた自分にゾッとした。

 

そして、水しか飲まなくなった14日。

再度受診のため病院へ。  

この日は担当医がいらっしゃたので改めて経過報告と相談をさせてもらい、子宮蓄膿症には膿が外に出るタイプ(開放性)と内側に充満するタイプ(閉鎖性)の2通りがあり、今まで開放性だったティアラがもしかしたら閉鎖性に変わった可能性があると仰り、膣細胞検査をしたら+3と判明した為、いつも飲んでいた抗生剤を貰って帰宅後すぐに飲ませた。

5時間ほどあけて2度目の服用後、嘔吐。その10分後、褐色の便を垂れ流した。 

形もないほぼ液体の便で結構な量だった。お腹が痛そうで不安そうであまりにかわいそうで..私が泣きそうになった。

もしかしたら抗生剤のせいかもしれない。胃腸が強く、この犬生で下痢などわずか数回しかしたことのないティアラがこんな大量の下痢をするなんて、点滴か抗生剤の副作用としか思えなくて翌日からはお薬を一旦中止することに決めた。












(16日の夜、私がコンサートから帰ってきたら
起きてきて珍しく母に抱っこをおねだりした。
不安でいっぱいだったんだろうな..)







 

まだぐったりはしていなかったけど、日に日にボーっとして怠そうな感じが増していった。

使っていたタオルにぽつぽつと血液と見られる小さな点が付いていたので間違いなく子宮蓄膿症の症状が再発しているのだと思った。

水のガブ飲みが増え、そのたびに吐くようになった。 

それでも、15日~17日はほんの少し口から食べるようになっていて、すりおろししんご3口、チーズ1個、かぼちゃやおかゆを小さじ3~5という風にちょっと良くなったようにも見えた。

この時もまだまさか亡くなるなんて想像もしていなかったし、必ず起死回生の突破口が見つかるはずだと信じていて、エナジー500といういわゆるエンシュアの犬版みたいなものを買ってシリンジで飲ませたりもしていた。



そして、18日。

どうすることがこの子の救いになるのか?毎晩ほぼ徹夜で調べて考えて..苦渋の決断の末、まだ歩けて体力の残っている今のうちに最後の望みを賭けて、再度抗生剤を服用させることにした。その日は前回のように便を垂れ流すこともなく、このまま続けていけば体内に浸透していってちょっとはティアラがラクになれるんじゃないか?と思ったのも束の間、19日のお昼ごろ、また嘔吐と前回同様の便垂れ流しがあり、私はいよいよ絶望に陥った。

 

「やっぱり抗生剤が逆にこの子の負担になってたんだ..間違った選択をしたせいでティーちゃんにものすごく苦しい思いをさせてしまった!」と、強烈な罪悪感が湧いてきて泣いた。

朦朧としてフラついているティーちゃんを抱き上げて、おしりを洗ってあげながら、『ティーちゃんごめんな。お薬嫌やったな』とあやまった。

もう1週間もご飯を食べていないのに嘔吐と下痢を繰り返し疲れ果てたのか、ガクんとなだれ込むようにマットを枕に体を伏せたあの日のティーちゃんの背中が今でも目に焼き付いていて、思い出すたび胸が締めつけられ苦しくて涙が溢れてくる。代わってやれるものなら本当に、代わってやりたかった。










この出来事以降、私は静かにティアラの死を想像するようになった。

まったく実感などないし、そもそもこの一連の事件自体悪い夢でも見ているんじゃないかってほっぺたを叩いて早く目を覚ましたい気持ちだったけど。

何日眠って起きてもティーちゃんは治ってなくて、冷たい現実に押しつぶされた。


この日の夜、昨年と同じ一晩中歩き回る症状にも見舞われた。

もう歩く体力などどこにも残ってないはずなのに、残便感があるのか?膣がむず痒いのか?..そわそわとずっと床におしりを擦り付けたりうんちのポーズをしてみたりと忙しそうで、私はもうかわいそうすぎて見ていられなくて、ティーちゃんのそばでずっと落ち着かせようと抱っこして寝かしつけたりしたんだけど、こちらも連日の睡眠不足で夜中3時半までが限界。心配ながらも床についてしまった。

翌朝父から聞いたことには、そのあとも朝8時まで歩き回り、力尽きて床の上で倒れこむように寝静まったらしい。

それを聞いて私は、「寝ないで朝までついてやればよかった」とまた胸が苦しくなった。






20日の朝、歩くこともお座りすることも出来なくなった衰弱しきったティアラの姿をみて私は覚悟した。ああ、もうこの子はほんとうに助からないんだな. .と、悪夢が現実であることを思い知らされた。

それでとにかくこれからは、この子が少しでも苦しむことなく天へ帰れるようにと緩和ケアに切り替えることにした。

今思えば、なんとも遅い決断だ。

もう少し早く、ティーちゃんが終活していたことに気づけていたら. . 無理にエンシュアを与えることも抗生剤を与えることもなかったのに。


「きっと死ぬ前に体を空っぽにして毒素も排泄物もぜーんぶこの世に置いていきたかったんだよね?ごめんね、ティーちゃん。気づくのが遅くて」

そんな自戒の念に苛まれながら、藁をもすがる思いで犬のオゾン療法というものをやっている病院を見つけ、車を走らせた。

家から1時間ほど、堺にある病院までティアラはすやすやと落ち着いて眠ってくれていた。

担当してくれた先生はすごくわかりやすく説明してくれて、オゾン療法はもうこの状態ではこの子の負担になるのでやめた方がいいと仰り、皮下輸液(点滴)を薦めてくださった。

吐き気止めや鎮痛剤を混ぜることもできると言われたけれど、私は何も入れないで単に水分と栄養だけの点滴にしてくださいとお願いした。

先生は、もしかしたら痙攣発作を起こすかもしれないからと念のためにダイアップ座薬を1錠持たせてくださった。私は正直心の中で、「発作なんて起きるわけないし使うことないけどな」と思っていた、のだが―― 


その日の夜中、まさに、痙攣発作を起こしたのだ。私は初めて見る犬の痙攣に、どぎまぎしてうろたえてしまった。

かわいそうに、眼球がいまにも飛び出そうなほど目が見開き、体が硬直し、口が大きく開いてガタガタと震えて..私はただただティーちゃんの体をさすり名前を呼んであげることしか出来なかった。先生は5分以上痙攣発作が止まなければ座薬を入れてと指示されたので、その時は座薬を入れなかったのだけど、朝方に3度目を起こした時にわりと長めだったので、入れた。

その後はだいぶ落ち着いた感じになってきて安心した。

この頃から、ティアラの瞼が閉じなくなっていることに気がついた。かかりつけ医に聞いたところ、神経系のバグが起こると目が閉じなくなったりすることもあるらしい。数日前の呼吸の荒さが嘘のように、スーピースーピーと穏やかな腹式呼吸になっていたので、きっとこれは眠っているのだろうと思ったけれど、目はぱっちりと開いていた。

私はティーちゃんの顔や目の周りを優しく撫でてみた。すると、撫でているうちに筋肉の反応が見られ、今にも瞬きできそうなくらいにピクピクと目の周辺が動いた。












(1人にすると泣くので私が抱っこ)


(こうやって寝てくれていると安心だったな..)









あまりに突然やってきたティーちゃんの看取り。心の整理などまったくつかないまま、ただただ私は愛する娘のそばで時間を過ごした。

私も母もリビングに布団を持ってきてティーちゃんと一緒に寝た。

2人っきりになると、私はたくさんティーちゃんに話しかけた。嗚咽をもらしながら、一生分のありがとうとごめんねを伝えていると、寝たきりで意識朦朧としているはずのティーちゃんが私の涙をまるで舐めに来るかのように口を私の頬に近づけて、そして微かな声で『ワン、ワン』と言った。

「ティーちゃん、何を言いたかったのかな?」って、、今でもずーっとそのことを想っては、涙を流している。




21日の夜は、弟に急遽来てもらうよう連絡して来てもらった。

大好きな弟に撫でてもらっていつになくめっちゃ嬉しそうだったティーちゃん。これまでにないほどのイキイキした声でワンワン!(もっと撫でて~♡)と催促していた姿は、家族みんなに笑いと笑顔をくれた伝説級の出来事だった。























その晩は、どうしてかわからないけどほぼ一晩中夜泣きをした。私は出来る限りティーちゃんの体をさすってあげて、ちゃんとそばにいるよって伝えてあげてたつもりなんだけど、夜中2時半過ぎから5時頃までうっかり寝てしまって、そのあいだもずっと泣いていたようだった。その後は、抱っこしてやってまるで人間の赤ちゃんみたいに私の腕の中で揺られて.. 少しでもティーちゃんが落ち着き穏やかな呼吸で眠られるように、大好きなショパンノクターン17番を流したらすーっと気持ちが落ち着いたように泣き止んでまたスーピースーピーと安らかな寝息をたてて寝始めてくれたのだった。

こうして11月22日の朝はショパンの音楽から始まって、私がティアラのそばを離れる時は必ずノクターンをかけておこうと決めた。

 

 

 









 

 

 







ティアラは心臓が強い。堺の動物病院の先生からも、『この状況では信じられないくらい心音がめちゃくちゃきれいでとても強い脈ですね』とびっくりされたんだ。

だから、激しい痙攣が起こっても不思議と呼吸がまったく乱れない。

寝たきりになって目も開いたままでも、深い呼吸をお腹でしっかりしていて、本当に強い子だなあと感心したし、この時点でもまだ私は、この子が最期の時を迎えていることをにわかに信じがたかった。


この夜、妹が姪っ子と共に夕食をしに家に来た。いつものように、姪っ子がどすどす暴れたらぴくぴくと目を動かして迷惑そうな表情をしたから、まだ昏睡になどなっていなくって意識もあってちゃんと認識力もあるのだと私は確信した。










(亡くなる数時間前、姪っ子と)







しばらくして、ティーちゃんのお尻から黒い液体が流れ出た。ここ暫くしっぽを振ることもなくなっていたけれど、この時はしっぽを振って私に知らせてくれた。(今思えばこれがいわゆるおしるしだった)

洗面器にお湯を張って、何の力も入らずぐにゃぐにゃになったテーちゃんの体を抱き上げお尻を揺らすようにお湯につけ、洗ってあげた。

タオルで拭いてあったかいドライヤーで乾かしてあげた。

前日と比べてガクンと体温が下がってしまっていたので、カイロを布で巻いてそれを体を覆うようにしてかけてあげた。

 

妹たちが帰宅した後、私はノクターンをリピ再生に設定し、ティアラの枕元に携帯を置いて急いでシャワーを浴びて、化粧水もつけずにまたティアラの元へ走った。そろそろお薬がきれてくる頃かもしれないと思ったのもあって、様子を確認し落ち着いていればゆっくり化粧水をつけようと思った。


その時のティアラはまったく異変なく、落ち着いて呼吸をしていた。私は体をさすりながら「ティーちゃんティーちゃん」と声をかけた。父が部屋に入ってきたドアの音にピクーっと耳を立てて反応したのを見て私は嬉しくなって、「ティーちゃんちゃんとわかってるわあ!お父さん来たんわかって耳動かしたわ!」と言った。父も母も寄って来て、「ティーちゃんわかってるんやなあ!賢いなあ!ほんまにティアラはすごいなあ!」と3人でティーちゃんをベタ褒めし始めたその瞬間、――


ゆっくりとまるでバンザイするように前足を上げていって、大きくのけぞるように首を後ろへ反らせた。私は一瞬また痙攣発作が来たのかと思ったけど、痙攣の時とは違う何とも穏やかな表情で、歯をカタカタ鳴らせることもなく、ぐーんと伸びをするようにゆるやかにのけぞったのを見て、「ああ、(これがワンちゃんあるあるの死ぬ直前ののけぞりか..!)とうとうお迎えが来てしまった」と覚った。

私は少しパニック状態で、大きな声で「ティーちゃん!ティーちゃん!」と叫んでいた。母も私のそばへ来て一緒にティアラの体を揺すって必死に名前を呼んだ。数秒くらいしてまたゆーっくりと上がった足が元の位置に下りてきて、反らした首もゆるやかに元の位置へ戻ってきた。お腹を確認したら、今まで膨らんだりへっこんだりしていたお腹の動きはもうそこには無かった。咄嗟に「ティーちゃん!ありがとう!!」と泣きじゃくりながら叫んだら、少しティアラの下顎が動いた。まるで何かを言わんばかりに。

私はまだ少し信じられない気持ちが強く、ティアラの体に耳をあて心音を聞いてみた。いつもなら自分の心音とティアラの心音、2つ聞こえるのに。自分の心音しか聞こえないことを確認し、ようやく、ティアラの肉体と魂が離れたことを受け容れたのだった。

 






11月22日 22:36頃

私と、母と父が揃ったタイミングで、私に撫でられながら、褒められながら、18年の命の最期を迎えた。

なんともティーちゃんらしい最期。

そして、【いい夫婦の日】を命日に選んだこともまた、家族のことが大好きなティーちゃんらしく、そして宇宙のご加護を厚く受けながら天寿を全うしたことのあらわれだと、心底納得できる最期になった。

 

お葬式はあえて1日置いて、11月24日に行った。

ティアラの肉体とお別れするまでの1.5日、みんなでたくさん撫でて話しかけて一緒に寝て、じゅうぶんに愛を感じさせてあげることができたと思う。母は「アイスノンをたくさん当てとかないと腐敗する」と言ってめっちゃ冷やそうとした。私は「ティーちゃん寒がりやねんからそんなめっちゃ冷やさんとって!」とか言って←母の用意したたくさんのアイスノンのうち2つだけ残してあとは冷凍庫に戻した。 

火葬するのがとても嫌だった。亡骸までも可愛い、こんなに愛しいティーちゃんを焼いてしまうなんて、考えられなかった。出来ることなら剥製にしてずっと私のそばに置いておきたかった。

 

でもお葬式の当日、いつものようにティアラを抱っこして顔と顔を近づけると、少し酸っぱいにおいがしたのを感じた。その時私は痛烈に「役目を終えた肉体は天に還さなければいけないんだな」と、大自然の理を思い知らされると同時に、頑なに嫌だった火葬への想いが緩く溶かれていって、最終的にはとてもすっきりとした気持ちでティアラを送り出すことができてよかったと思っている。



(※以下、亡骸写ります)


















片時も家族と離れた経験のないティーちゃんが安心して天へ還れるように

お弁当を持たせたあげた。













大好きだった
鶏の照り焼き・金目鯛の煮付け・白いご飯・クロワッサン・リンゴ

ティアラのためにこれまでたくさん料理をしてきたけれど、これが最後の料理かと思うと悔しくて悲しくて

だからティアラには
『またいつでも作ってあげるからな。またな。何が食べたいか考えときや。』
と伝えておいた。


















みんなで掛け布団に
メッセージを書いた。

姪っ子に「ティーちゃんの絵を描いて」と言ったら、本当に上手に描いてくれた。

私は、これがお別れだと思いたくなくて、いや、実際お別れではないのだし、また会える日まで『ちょっと待っててや』と書き遺した。
家から出かける時はいつも『ちょっと待っててや』と言って出かけたし、そのたびちゃんと賢くお留守番してくれていたからね。

父はいつもティーちゃんの大好物を調達してきてくれる役割だったから
『梨と金目鯛、宅急便で送るよ』って書いていた。なんとも父らしいな。


















可愛い。。

亡骸には見えない。
毛もつやつやで、体も全然固まってなくて柔らかくて。
どう見てもいつものティーちゃんのまま。 
今にもムクッと起き上がってきそう。

この一連の出来事がまぼろしであればいいのに、と、1週間経った今でもまだ悔しさに唇を噛む私が居る。





亡くなる2日前頃から亡くなった3日後くらいまでは、得も言われぬ喪失感から身体が虚脱感でいっぱいになって四六時中泣いていた。
"自分の半分がもぎとられたように"、ぽっかりと穴があいてしまった感覚がした。

ティアラの体調不良が始まったあの時からの経緯や自分の行動を何度も何度も振り返っては、「あと10日早く受診していれば結果は違うかったのだろうか?」「あの時早くティアラの終活に気づいて抗生剤の服用をさせなければ、あれほど苦しませることはなかったのではないか?」「エコーも血液検査もしてちゃんと原因をつかめていればもう少しティアラにとって最良の選択ができたのではないか?」と後悔の念が絶え間なく私を襲った。

父や母に「後悔はないか?」と聞いたら、私とは正反対で、「やれること全てやったし、何よりティーちゃんが苦しまずに大往生できたことが嬉しいし満足している」と言う。
"同じ現実を見ていても解釈は千差万別"。そのことを強く感じさせられる。



悔やんでばかり、憔悴しきっている私を見て周囲は心配した。

何度も何度もティーちゃんノートを見ては泣いている私を見て母は、『自分を責めることになるんやったらもうノートみんとき。自分責めたらティアラが心配するで』と言った。

父は、『悔やんでばかりいたら逆にティアラに失礼やで。あの子は大往生で一生を終えたんやから。』と悲しみを引きづらないように言った。

実は、私にはもうずっと、ずっと前からティーちゃんに対する悔いがあった。
赤ちゃんの頃、いたずらっ子なティーちゃんをなんとか"しつけ"ようとして、ヒステリックに怒ったり、ひどい時にはベランダに出したりしたこともあったらしく(らしい、というのは、後になって妹から聞いた。病気で頭おかしくなってて全然覚えてない)
そのことを猛烈に責めて、その懺悔の気持ちも大きな原動力となってこの半年ほど全力で介護に尽くしたのだけれど、やっぱり、どんなに尽くそうとも私の中の罪悪感は消えなくて。
亡骸になったティアラをみてまたさらに、罪の意識が再燃してしまったのだった。

それをみた妹が
『母親っていうのはそういうもんちゃう?私だってあーたんにめちゃくちゃキレてまうことあるしさ。誰か一人は叱る人がいないと子育てって成り立たへんやん。ティアラにとっておねえは母やから。しゃーなかったんやって。しかも、ティアラが叱られた時のフォローは私がやってたから大丈夫。私の友達にもよく可愛がってもらってたし、そんなに恐怖や孤独ばっかじゃなかったと思うで。それに、年老いて介護が必要になった時には手作りでご飯作ってもらって、ドッグフード以外の美味しいもの知れてママにいっぱい食べさしてもらって、めっちゃ幸せやったやん。きっと大満足でこの世を終えたと思うで。』と言ってくれた。

正直、めちゃくちゃホッとした自分がいた。

「そうだ。私の至らなさは家族がみんなでフォローしてくれたんだ。ティアラは、私が思うほど、寂しくもなかったし怖がってもなかったんだ。」と、初めて冷静に、愛娘の一生を俯瞰することができ、詰まっていた胸のあたりがすーっと解けていくのを感じた。










今でも、最後に鳴いたあの子の顔が時々ふーっと脳裏に浮かんでくる。

亡くなる日の朝方、私の腕に抱かれながらかすれるような声で『ワン、ワン』と言った。
とても寂しそうな目をしていた。

やっぱりまだまだ一緒に、私たち家族と生きたかったんじゃないか?と思ってしまう。


何の偶然か、
私が体調を崩し一時入院もするような事態で療養を必要とした為、暫く会社を休職することになった矢先の出来事だった。

私が付きっきりで居られる時に逝きたかったのか?

それとも

このまま介護を続けたら私の体がどんどん悪くなってしまうと心配して、身を引こうと思ったのか?. .

そんな思いがぐるぐると巡り、「どうか前者でありますように」と願った。
後者だったら辛すぎる。辛すぎて、心も身体も引き裂かれてしまう。


ふと思い起こせば、退院後、体調不良の原因について話していた時のこと
『ティアラのご飯やりが結構ハードやったわ』とか『今後これが続いていったら体もたへんからもうちょっと工夫しないとな』とか、ティーちゃんの居る前でよく母と話をしていた。
今考えたらめっちゃ無神経、自分が恥ずかしい。でも、本当に、1ミリだって"ティアラのせいで"なんて思ったことはなかったし、むしろこれからも「大好きなティーちゃんのお世話をしていこう」とやる気まんまんだったのに。

もしもあの時、ティアラが私のことを想ってこの世を去ることを決めたのだとしたら..
そんなの、私には受け入れられない。



ねぇ、ティーちゃん
会いたいよ。

今すぐ
会いたいよ。。

















(葬儀会場にて、最後の抱っこ写真)






21日〜22日はもう寝たきりで、体も動かせないので、何度も何度もこうやって赤ちゃんみたいに抱いて、目と目を合わせてお話をした。

私が悲しくて泣いているからか
ティーちゃんも寂しげな表情だった。


私には、すぐ、"自分を責める癖"がある。
そういうところが、あらゆる体調不良の原因になってきた。

ほんま、何回救急車乗ったらわかるねんな。
ティーちゃんも呆れてたやろなあ。




大切な、愛する家族を失った時
普段自分が悩んでいることがいかにどうでもいいことかを知る。

"自分の価値"について、ほとんどの大人が悩んでいるように思うし私もそうだったけれど、愛するティーちゃんを亡くした今、そんなことどうでもよくなって、というか、そんなことを考える頭がなくなった。
そして、「悩んでいたあの時、私はすでにじゅうぶんだった(知足)」ことに、気がついた。




人間は、尽くす対象を失った時、1番弱る。
きっと、尽くしてくれる対象を失うよりも..
弱る生きものではないかな。

この1年間、ティーちゃんに献身することが私の生き甲斐になっていた分、今とても衰弱しているのがわかる。

甲状腺の値も、下がるどころか少し上がっていて、体重は39kgほどにまで落ちた。


(ピアノの)先生は、
『今は泣きたいだけ泣いたらいいよ。でも、ティアラの分までご飯を一口多く食べるようにしてな。』と言ってくれた。

本当にそのとおり。
そして、きっとティーちゃんも同じことを思ってくれているに違いないから
毎日がんばって一口多く、食べるよう心がけている。

ティーちゃんに恩返しができるような生き方をしなければ、と思う。




















ここに居る。ーー


小さな骨壷に納まったティアラと共に過ごして早1週間になるけれど、本当に不思議にも、ティアラがここに居る。

火葬する前は、体がなくなってしまった後の"遠く離れた感"が怖くて怖くて仕方なかったのだけれど、全く想像していたものとは違って、あの時のまま..ティーちゃんのエネルギーはちゃんと今もここに存在している。
たぶん、このエネルギーのことを人は"魂"と呼ぶのだろうな。

だから、私は俗に言う"お空へ旅立った"とか"虹の橋を渡った"とか正直全然ピンときてなくて、"ティーちゃんはどこにも行ってない。ただ形を変えただけ。今もちゃんとここに居る。"と、心からそう思っている。




ペットロスあるあるで、

寂しさから新しい子をお迎えしたい気持ちが湧いてくる日もあるけれど


もう実家では飼えない。

(母からは釘をさされてる^_^;)



だからいつか私が結婚でもして違うお家に引っ越すことになったら. .

今度こそ、ちゃんと優しいママになりたいと思う。ティーちゃんに認めてもらえるような、怒鳴らない、優しいママになりたい。



























チョコ、メイ、ティアラ
本当にありがとう。

愛をおしえてくれて
たくさんの幸せをくれて
感謝しかないよ。

12月2日、12月21日、11月22日
3人揃って【いい夫婦の日】を命日に選んだことはきっと偶然じゃない。
私たちへのメッセージやんな。

ありがとう。


いい夫婦になって
幸せに健やかに生きられるように
これからも見守っててや。

そして 
魂に終止符はないから。
これからもずっと一緒に居てや。






さいごに、

お葬式で読んだ私からティーちゃんへのお手紙を、ここにも残したいと思います。






大好きなティーちゃんへ

ティーちゃん、突然こんなかたちでティーちゃんが一生を終えたこと、まだ私は信じられないよ。まるで悪い夢を見ているみたい。

昨年、子宮からの膿の再発以来、体調や食欲に波があったけど、そのたび持ち前の生命力で乗り越えてきたね。
お皿で食べなくなった時からは付きっきりでご飯を食べさせるようになって、ほんとうにティーちゃんとの絆が強固なものになったことを感じていたよ。
やりがいもあったし、何より、ティーちゃんがもりもり食べて元気になっていく姿をみることが私の喜びになってた。
毎日毎日ティーちゃんのことばかり考えてたし、今日は何食べるかな?ご機嫌はどうかな?元気にしてるかな?..って、私の心の中心にティーちゃんが存在してたよ。

先月は疲労がたまって入院までしてしまったけど、私はティーちゃんのお世話を苦だと思ったことは一度だってないし、これからも喜んでティーちゃんのお世話をしていこうと思ってたのに。。
なんでこんな急に居なくなってしまうん?

泣いてばかりいたらあかんと頭ではわかっても、やっぱり悲しくて悲しくて、心も身体も憔悴しきってるよ。
もっと早くから私が、いろんなことをもっと献身的にお世話できていたら、、もう少し一緒に過ごせたかな?って後悔の気持ちが消えません。

でも、ティーちゃんの18年の一生を客観的にみれば、みんなに愛されてお世話してもらって、幸せだったのかなあとも思う。
赤ちゃんの時は、いたずらっ子なティーちゃんにすごくきつく怒ったりしてしまって本当にごめんね。私のせいで怖がりな性格になったんだろうって自省するばかりだよ。
少し大きくなってからは私が病気で入院したり一時的にお家から居なくなった時期もあって、お世話を完全に家族に任せることになってしまって。10年くらいはまともにティーちゃんのお世話をできなかったけど、お父さんやお母さんやじゅんやみおに可愛がってもらってきっと幸せやったよね。私のかわりに、ティーちゃんのお世話をしてくれてきた家族のみんなにはほんまに感謝しています。

今日は一応、肉体とのお別れになる日。
可愛い可愛いティーちゃんをみられなくなるのは死ぬほど辛いし、おはようおかえりの挨拶を言いに来てくれることももう無くなると思うと自分が壊れてしまいそうなくらい悲しいけれど、でも、ティーちゃんがどこかに行ってしまうわけではないということはちゃんとわかっているよ。
肉体は有限、でも、魂は永遠。
ティーちゃんはこれからも私たちのそばにいるし、ずっと私たちのなかで生き続けるんやから。
そして、私たちもまた、肉体を終えてそちらに行く日がくる。
それまでのあいだ、チョコちゃんとメイちゃんと一緒に遊んで、ちょっと待っててや。

最期の4日間は本当にしんどそうで出来る事なら代わってあげたいくらい、私が辛かったけれど、よくがんばったね。お疲れ様。
ティーちゃんが楽になれたと思えばこの悲しみも少しマシになる気がする。

ティーちゃんは、私たち家族を優しく繋ぎ幸せにしてくれた偉大な存在だよ。
ありがとう。
もう、ありがとうしか出てこないよ。

私の腕の中で逝ってほしいという願いもちゃんと叶えてくれてありがとうね。家族みんな納得できる最期でした。


ティーちゃん大好き。
ティーちゃん愛してる。
ティーちゃんほんとにありがとう。

ちょっと天国で待っててや。




追伸
ティーちゃんが大好きなじゅん(弟)からの伝言、読むね。


最期に会えて良かった。
内弁慶なティーちゃんが大好きな家族に囲まれて長生きできて幸せやったと思います。
思い出がいっぱいやね。
チョコとメイと共に心の中にずっと生きます。
長い間ご苦労様でした。
ありがとう。

                                              2022/11/22







ほんとうは、まだまだ悔いが消えきらないけれど、ティーちゃんがバンザイしながら命を終えたことはきっと、ティーちゃんが幸せやった証を表現してくれたんやと思いたい。

バンザイして大往生したんやって、心底思えたなら、私の悔いも罪の意識も消えてなくなるよね。。












(2013年冬かな?
ヨガのポーズすると必ず体の上に乗ってくる🐕)



(同じく2013年🐕
太ももに乗ってきたりしてたんやと写真見てびっくり!)




(2020年秋。散歩嫌いなティーちゃんが
診察待ち時間に父と珍しく散策した日🐕)




(ティーちゃんVIP写真(笑)
居ないなあと思って探したら押入れの中で黄昏れてた😂)





















愛するティーちゃんに

また会えるその日まで

もう少し、私はこの世を生きたいと思います。



またね。

yu-co