こんにちは
お久しぶりです ラブラブ

皆様お元気でしょうか?



私は、

4月半ばに体調を崩して
ぐずぐずと半月を過ごしており
やっとこさ

本調子が戻りつつあるという感じ..

ま、いつもの副鼻腔炎
からの喉潰れ+プチ喘息

たいした病気でもないけれど
とは言え

スケルジュールは狂うし
モチベーションは降下あせる


やっぱり私にとって
4月後半は鬼門だなあと思うのでありまする(苦笑)
(4月はなんもなかった時の方が少ない)






さてさて。


1ヶ月前になるけれど
今年は念願の桜を桜

それも

大和の桜を!


家族で愛でに行ってきたよ

ヽ(^。^)ノ


















奈良大和郡山城 
お城祭り

桜桜桜






















郡山の桜は
一度、5年前に父と2人で見に行ったけど

今年は
母も妹も、そして新しい家族めいっ子も
一緒に行けて

賑やかなお花見になってよかったな♡


















お城の真向かい側に位置する
DMG森精機 大和郡山城ホールは

このブログでも何度も書いている 
私の大好きな演奏会会場だけれど

やはり

ここ郡山を代表する企業だということを
あらためて実感させられた。↓
















(ノ´∀`*)桜




しかも、これ1つじゃなくて
この列の提灯5体くらいすべて森精機だった!

さすが
大和を厚く支える地元企業だけある。








《まほろば》

倭(やまと)は 国のまほろばたたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし

と、
古事記の中で読まれた和歌からも明かされるように

まほろば(真秀ろば)には
素晴らしいところ・理想郷 という意味がある。


私はここに来るととても心が落ち着く。

魂のふるさとのような
そんな感覚がしてくるのだ。








少し話は逸れるけれど、

私は最近

超大企業が中央に集権する構造そのものに
いささか疑問がある。

もっと言うと

GAFAを象徴とするような超国家的企業が
完全に〈独占経済〉を行っていることに危惧を感じている。


独占禁止法って
中学の時に習ったのは何やったんや?と
思ってしまうほど

はっきり言って現代の資本主義経済は
まったく"自由"経済ではない。

コロナ禍でそれを痛感させられた。



では、
これほどまでにグローバルに傾きすぎた世界で
今何が必要かと言えば、その逆側

つまり

分散型
地方創生
自給自足

といったキーワードになるだろう。





日本の豊かさ(自然や資源含め)を活かすことや他国に頼らずとも自分たちの手で調達できるようなモノづくり(主に農業)に

意識を向けて行動している人たちを尊敬するし
自分自身もその当事者になっていかなきゃいけないとも感じている。

※但し地方興しのふりした利権の亡者には注意むかっ




特定の支配者だけにお金が集まる仕組みから
世界市民に富が分配される仕組みへ

株主に忖度して彼らに配当を献上する形から
従業員を1番大切に、彼らの給料や保障を手厚くする形へ


つまりは

『外ばっかり見てないでちゃんと内を見てください!』

という
そういう節に今私たちは直面しているのだと思う。




どこ見て政治しとんねん
どこ見て経営しとんねん
どこ見て家庭運営しとんねん


大阪弁で言えばそういうことや
( ̄ー ̄)



腐敗した現状を再建するためには
まず

ちゃんと内をみて!
内をとことん大切にして!


そこからしか何も始まりません。



一応これ、経験談です。
^_^;


うちの家庭はね、

腐敗に腐敗を重ねて
一回死んだ。

が、



一生懸命再建し、今
本当に平和で健やかな家庭に生まれ変わった。

勿論、一筋縄では行かなかった
けれど

まず根本として

外を見すぎる体質が悪因になっていたことは
間違いなかった。





世間からどう評価されるか?
親からどう評価されるか?
儲けが減っては困る。
キャリアに傷をつけたくない。
. .


そんなことばっかり優先して
大切な人の気持ちや
自分自身の真実の想いを見てみぬふりするーー

これを続けていれば必ず

エネルギーが傾きすぎてサイレンが鳴るしくみになっているのが宇宙の法則。

しばしば
病気とか事故といった災いというかたちで
お知らせがやって来るのだ。





私の場合、
そのお知らせが拒食症という病気だった。

でも、
あれがあったからこそ
我が家の大再建が始まったわけで

死ぬほど苦しかったあの拒食症も
(いや、死んだ方がラクだった^_^;)
神様からのギフトだったのだ、と

今では本当に感謝している。
























めいっ子は
ちゃんとタイミングを見計らって
地球に、我が家に、やって来たなあと思う。


2018年と言えばようやく
家庭内が鎮まり、それぞれが本来の精神的健やかさを取り戻し始めた頃だった。

ある程度の土台が出来上がっていたから
そこに新しい家族のメンバー(めいっ子や甥っ子)が加わることで

より良き化学反応が起こって
今に繋がっていった気がする。




実は私は以前、

「この歳にもなって結婚もせず
実家で親と暮らしていることは
社会的にはどうなんだろう?」と

自分を責める時期があった。
(おもいっきし外見てるやん笑)

でも今はまったーくそれがなくなった。

なぜなら




"これが完璧"、と
心底わかったから。


我が家には絶対にこの過程を踏む必要があったのだ。

ただただ内を見つめれば
「これしかないしこれでよかった」
と心から想える今がある。



あ。

私、
〈人と比べる〉という幻覚をみなくなったんだな..








大和の桜を愛でながら
あらためて

大切な気づきを反芻した。


















ご存知の方も多いとは思うけれど、

この1年間
日本の死者数、戦後最多という。

前年費+8万人ほどに昇るらしい。


一体、何が起こっているのか..
本当に悲しくなる。

死因の内訳は?

自殺?
それとも?ーー



こんな大事なニュースがなぜ
TVや新聞にて大きく取り上げられないのか?


メディアよ、

ほんまどこ見て報道しとんねん



いい加減
株主、スポンサーの顔色みて仕事するんやめてほしい。
というか、そもそもゴールがおカネになってるから可笑しな主従関係が出来上がるわけで。


"おカネ出す人が1番偉い"
というマインドを持ってると、
例えばよく稼ぐ旦那さんと結婚した女性(専業主婦)は、夫と主従関係を結ぶことになるって話?

いやいや、
そんな結婚幸せちゃうやろ?

(余談やけどほんまもんのセレブ男はお金出してもらえる妻が1番偉いと言うんやぞ笑い泣きラブラブ)



"お金のためだけに"仕事するとか
"お金のためだけに"結婚するとか

そういう拝金主義のマインドセットをまずクリアにしないと、
いつまで経っても奪い合いの現実からは逃れられない。





外見て内を見ず/今だけ自分だけおカネだけ
のポンコツリーダーが増えた結果、

日本の若者の初任給は20年横ばい
一世帯あたりの平均年収は3割減
税金はうなぎ上り
さらには
物価高騰+円安130円台の瀕死状況


. ..

日本ってなくなるん?


えーんえーん




ほんまにほんまに
考えたら胃が痛いけど

しっかりと自分ごととして政治に参加しなきゃな、って最近強くそう思うようになった。

うかうかしてたら私も
経済弱者になって数年後には命が無いかもしれない。
本気でそんな不安が襲ったりもする。


なんとかみんなで
これ以上悲惨な日本にならないよう
食い止めたい。

























4月21日はめいっ子の
4月24日は妹の 

誕生日だった。


妹にはお花を
めいっ子にはキティちゃんグッズを
プレゼントした。







(家族のみの誕生日会は全員すっぴんでしかない笑)












誕生日に『おめでとう』と言う意味は

生命が今ここに在ることの奇跡をお祝いすると共に、
天寿を全うできますようにの予祝をしているのだと私は思っている。



この地球に何をしに来たのかわからなくなる日もあれば、
死にたくなるくらい酷い現実に直面する日だってあるのが人生なのかもしれないけれど

それでも


年に一度でも
自分の存在を祝えたなら

どこかからまたきっと光が差してくるもの..

祝福の愛は必ず
自分を元気にしてくれる。






タイムリーにも
明日は5月5日、私の再誕記念日。

今年で12回目指輪

あの日、あの世に逝きかけた経験は何年経っても昨日の出来事のように

私の中に大切に記憶されている。






拒食症で死にかけた
というのは

言い換えれば

自殺未遂をした
と同じこと。

「食べたくない」は「生きたくない」だった。


死にたい気持ちが強まるほどに
拒食症は酷くなっていった。



なんであんなにも「死にたい」が口癖だったんだろう?と今では不思議なくらいだけれど

あの頃の私には
言い表せないほどの孤独感と
母親に対する猛烈な怒りが自分自身を纏っていたのだった。



最近読んだ記事に、

【摂食障害の相談〜九大病院受診過去最多】
というものがあった。

摂食障害診療のメッカである九大病院に相談に来る親子が過去最多。。
本当に今、社会が病み切ってるんだなあとしみじみ感じた。



摂食障害というのは

母子分離ができない母親  と
自立したいのに逃れられないない子ども  の
相互依存

という病理である。

そして
その根本には

"母親の孤独感" が大きく関わっている。


というのが私の持論です。



母親自身が自分の"女性性"を大切に出来ていない場合が多い。
自分の中の悲しみや寂しさや疎外感と向き合えていなかったりね。

女性性を大切に出来ていない女性って
そのストレスを獲得欲や所有欲ではらそうとする傾向にある。
社会的に評価されることで、その孤独を紛らわそうとするんだね。

でもそれはあくまでも、誤魔化しているだけだから。

母親が隠す真実が
子どもの病気によって明かされるのです。






うちの母親は

女性も生涯続けられる職業を!という時代の真っ只中に生きたせいもあって

学生時代から学校教諭になると志し叶え
夫婦共働きで家庭を営んできた。


共働きで3人の子育てはさぞ大変だっただろう。
いや、めちゃくちゃ大変なのが当時からイヤほどわかっていたから
私は母のサポートをしなくては、と無意識の内に母との二人三脚を自ら始めていたのだった。

本来、二人三脚は夫婦でするもののはすが。


...





父親、何しとんねん




と、10代の頃までは本当に父が大嫌いだったし軽蔑の対象でもあった。


勿論、
それはなにも父だけが悪かったわけではない。
母自身の幼稚さ、学びの低さもおおいに家庭を崩壊させていた。


けれど、

どう考えても

仕事と子育てをフルでやり遂げる母には1日の中に余り時間などどこにもなく
当たり前に、心の余裕もゼロ

子どもの表情を観たり
日々の想いを聴いてやったり
スキンシップをしたり. .

そういう
子どもの発育に必要不可欠な母性的ケアが
うちの家庭には一切なかったのだった。

母が笑顔だったことなんて
私の記憶にはとりあえずない。








女の幸せって?ーー


私は摂食障害をとおして
この問いを深く考えるようになった。



はっきり言って、

家庭において
妻(お母さん)が幸せであることほど重要なことはない。


妻(お母さん)が幸せなら
子や夫は幸せだ。

妻(お母さん)が不幸なら
子や夫も不幸だ。


だって
女性は原始、太陽であったのだから。






女性が幸せで、強く賢く明るく生きている社会(家庭)は、健やかで繁栄的。

でも

今の社会は悲しいかなその逆なのでしょう。


これだけ
若年層が心療内科や精神科を受診しているということだけ見ても
母親たちが苦しんでいる証拠だし

近年の日本の若年層死亡原因1位は
自殺 
しかも、女性の自殺が急増していると言うのだからね。。


世も末である。







男女は平等じゃない。

男女は同権だけど
平等じゃないんだよ。

からだの作りが違うんだもの。



女性はね
戦うような生き方は向いてない。
戦い続けた先には死しかない。
そのことを病気が教えてくれたわ。

女性はね
余裕のある暮らしをしてないとだめなんだ。

生理止まるし不妊にもなるし
何より
笑顔で生きられないから。



女性が余裕を持って暮らせる社会って
どんな社会だろう?

そのことを今、真剣に考えている私です。





『女性はどんなふうに生きてもいいよ』
という究極の自由を与えてくれるような世界が理想かな..虹

つまり

バリバリ働きたい人は働いたらいいし
子ども生みたい人は生んで育てたらいいし
ゆるっと好きなことを(例えば音楽だったりダンスだったりヨガだったり何でも)したい人はそう生きたらいいし

とにかく

自分が心トキめくことをやってればそれでいいよ!という

贅沢すぎるけど(笑)
そんな夢のような世界ができたら
ほんとにいいねラブラブ

(たぶんだけどその世界では
出生率は上がり若年層の自殺は減り
精神病は減るだろう)


そのためには
男性の給料を上げなくちゃね!(*^。^*)


























私が元気になったら
ティーちゃんも元気元気ヽ(^。^)ノ

ママの健やかさ≒子の健やかさ

ペットの場合でも
結局同じなのであります。

ラブラブ






 











あの時死ななくて本当によかったなあ、と
あらためて感謝が湧く。

死にたい死にたい言ってた自分が
おかげさまで
「天寿を全うしたい」と想えるようになったこともまた、ありがたい。


今日、自分が生きていることは奇跡。
今日、大切な人たちが生きていることは奇跡。

ありがとうございます。



すべての人が
生まれてきたことを喜べる世界に
なりますように。



yu-co