音楽の春は続く(*'▽')♪
というわけで、、
3月21日春分の日は
JNO(ジャパンナショナルオーケストラ)ツアーファイナルへ!
約2年半前に教室の子どもピアノコンクールで行ったっきりだった東大阪文化創造会館へ
先生と一緒に行ってきたよ
この日のプログラムは
《メンデルスゾーン
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64》
ヴァイオリン:岡本誠司
指揮:反田恭平
《ショパン
ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 Op.11》
ピアノ&指揮:反田恭平
岡本誠司君のヴァイオリンは
昨年クリスマスイブにも聴いたけど
まあ、ほんとに
いつ聴いても秀逸。
弾き始める前に
何かに祈るように目を閉じ、呼吸を整える姿が印象的で
彼の演奏にはまさにその祈りのようなものが音の細部に宿る様にして
現れていると感じる。
オケの子たちは
尊敬する仲間を心から慕い尊ぶような視線と表情で、一生懸命に音楽に身を捧げていて
その姿は
客席からみてもとても眩しく
まるで新緑の季節の木々たちの輝きのような
生き生きとしたエネルギーを放っていた。
私は恥ずかしながら
ヴァイオリン協奏曲を初めて生で聴いたのだけれど、
"予習無しでもまったくもって飽きさせない!"
今回も前回同様に、そうだった。
繰り返しにはなるが
これがJNOの大きな魅力の1つだとあらためて思う。
クラシック音楽が、時に
"退屈で眠くなってしまうもの"という風に評されてしまうのはある意味現実で
かくいう私も
時と場合によってはぼーっとしてきて
「今日ご飯何食べよ」とかどうでもいい思考が止まらない瞬間もあったりするわけで(苦笑)
そこは致し方無いことなのかなあと思ってたけど
JNOのコンサートに出会ってその考えが変わった。
ズバリ
聴衆が退屈になるのは
クラシック音楽そのものに問題があるのではなく
アーティストに問題があるのだと。
(ノ´∀`*)
て、これすごい厳しい言い方(笑)
では
もう少し肯定的な日本語を使って言うと、
『アーティストの在り方次第でいくらでも聴衆を惹きつけ熱狂させ、クラシック音楽の虜にすることができる』
ということです。
昨年の佐渡さん指揮のJNOツアーでそのことを嫌ほど体感させてもらったから
なかなか言葉では言い表せないこの感覚を
是非とも、
JNOの生のコンサートに足を運んでみて感じてほしい!というのが
常なる私の想いだったりする。
さてさて
そして
大盛り上がり、拍手喝采の内に終わった
本編前半の次は
待ちに待った私の愛するショパン!
ショパンコンクールを経て再び
関西のファンの前でコンチェルトを披露、しかも千秋楽というだけあって
反田君も武者震いして出てきたのではないかと思う。知らんけど
(笑)
ピアノはスタインウェイ。
前回、子どもピアノコンクールで来た時は
まだホール自体が新しく、ピアノも新しかったせいか
やや籠りがちな印象だったのだけれど
今回はそこまで籠っては聴こえなかったし
(私たちなかなり前の席だったので全体の響きまでは評価できず)
3階席で聴いていたご婦人のおっしゃるには
「とても響いていた」ということだったので
ハーモニーの面から言っても良いホールなのではないかと思った。
反田君の弾き振りを観るのは昨年5月以来、
指揮の勉強も着々と進んでいるのだろう、ということがパフォーマンスからも見て取れた。
指揮とピアノのどちらも疎かにせずにするというのは
相当に勉強の要ることなのだと思うけれど
反田君の場合、
おそらくショパンのコンチェルトが体に同化してしまっている
と言っても過言ではないくらい
(たぶん寝てても弾ける(笑))
あまりに自然に音楽が湧いてくるので
その分、指揮にしっかりと意識をおろしてパフォーマンスすることができたのではないか、とも想像された。
彼の圧倒的な演奏力の高さは、あらためて
目を見張るものがある。
彼自身のさらなる飛躍をたすくものとしてそれはきっと今後
大きな意味を持つにちがいない。
この日、もっとも私が音楽に埋没したのは
ショパンコンチェルトの2楽章だった。
いつも書いているけれど、やはり
自分が弾いた曲に対する集中力というのはすごい。
それに
今まで聴いた反田君の2楽章なかで今回がいちばん、
メッセージ性が強かったから、なのかもしれない。
優美で..
甘く切なくて..
というのは言わずもがなだけれど
さらに
"間を大切に"
さらに
"そこにあるであろう言葉を浮かび上がらせるように"
そういう点で
メッセージ性を強く感じたのだった。
そう、
そこには
言葉のかかれていない手紙が確かに在った。
昨今、
人と人とが分け隔てられ
温もりや繋がりが省かれがちなこの世の中で
"いかにして愛を伝えるか、受け取るか"
このことが人々にとって極めて重要な問題になっている。
そんななかで私は
音楽をとおしてそれができている、ということにふと
心から感謝が溢れた。
音楽の持つ可能性をこれほどまでに強く感じたのは初めてだった。
その背景には
世界を不安と恐怖に陥れようとする強い流れと
その中で無意識に感じる孤独感みたいなものがあったのは間違いないのだけれど
振り返れば、歴史上
音楽はしばしば
戦争のなかで生まれ
戦争のなかを生き抜いてきたのだ
ということに気づいて
"私の人生にピアノがあって本当に助かった"
という想いがあらためて
じわりと体中を包んだ。
3楽章は踊る跳ねる喜ぶのオンパレードで
あっという間に本編終演。
オケが鳴り止む前に大きな拍手とスタンディングオベーションが沸き起こり
会場が歓喜で満たされた。
果ての見えぬカーテンコールもほどほどに(笑)
反田君からアンコールのプレゼント
ショパン: ラルゴ
シューマン=リスト: 献呈
そして
まさかまさかのもう1曲!
ショパン: ピアノ協奏曲より~3楽章~
豪華すぎる3曲のプレゼントに
客席では一部、どよめきが起こっていた
2回目の3楽章はもうみんなスパーーーーークしまくり(笑)
好き放題自由に、そして
史上最高に楽しんで演奏していて
こちらまでめっちゃウキウキ楽しっっ!!
幸せの伝播=Happyスパイラルを
見事に体現してくれたなあと感激してしまった。
特に、
このアンコール3曲は私のなかではストーリー性があり
そこもまた
大きな喜びを引き出す要因となっていた。
あくまでも私の超主観的ストーリーの解釈にはなるけれど、
2年ほど前にパンデミックという名前でやってきたこの戦争によって命を失われたすべての人々にご冥福をお祈りし、また
今もまだこの戦争の犠牲であり続けているすべての人々に祈りを捧げつつ
どうか神様..これ以上の災難が起こりませぬように私たちをお守りくさい
と、ただただ天に向き合い歌ったラルゴ。
そして
命がここに生まれてきた喜びと、そこにある無条件の祝福を思い出して..
誰も人を殺してはならない誰も人から殺されてはならないその当然を思い出して..
武器を持つすべての者はそれを捨て、代わりに楽器を持とうではないか
と、そっと強く人々へ歌った献呈。
そして
武器を捨て楽器を持ち、
音を楽しむこと・音楽で誰かを幸せにすることの喜びを知った者たちが
地上の楽園を共に創り上げ、ひらすらに音楽を奏で楽しみ、その姿に魅了されてやってくる人々を巻き込んでいって、やがては大きな幸せの輪が完成した
それがコンチェルト3楽章。
これほどまでに完璧に
自分の中ですべての意味が繋がったアンコールは初めて
さすがは宇宙元旦!(春分の日)
バシバシと宇宙から贈り物が降ってくるな~とにんまりしちゃったよ♡(笑)
最後は安定の
JNO名物
鳴りやまぬ拍手喝采とfullスタンディングオベーション
満開の笑顔と別れの涙で幕を閉じ
気づけば会場外は日の入り。。
どんなに楽しいことにも1区切り、必ず終わりがあるなあと
諸行無常を感じつつも
とても充実感いっぱいの心で
東大阪を後にした。
〈音を楽しむことを真におしえてくれる場所〉
それが
ジャパンナショナルオーケストラであり
未来のコンセルヴァトワールなのだと思う。
そして、
〈音楽をとおして仲間の輪を広げ
和(をもって尊しとなす)を伝導する集団〉
にもなっていくのだと思っている。
J ジャパン
N ナショナル
O オーケストラ
めちゃくちゃいい名前やな、、とあらためて。
私は
グローバリズムもナショナリズムも
極に行きすぎれば破滅の扉だと、考えているけれど
不穏なグローバリズムの波が世界的に取り巻く昨今、
各々の国(民族)が持つ特徴(長所)を活かし磨きをかけることで自立し
そのうえで他国と対等にお付き合いをし協力し合うことは
今後ものすごく重要になってくると思う。
というか、今その時を迎えている。
日本が再度ここから
豊かで和やかで幸せな国として再建できますようにと
私はいつも願っているし
そしてきっと..
JNOはその一役を担ってくれる貴重な存在だと
私は信じています。
大変な情勢はまだまだ続くだろうけれど
どうか皆様がご無事で幸せで
あれますように。
小さな支え合いを大切に
がんばって生き抜いていきましょう。
また必ず
元気で会えると信じて。
yu-co