こんにちはラブラブ


またもや随分と時が流れておりました。
(もう11月!
 
 
いったい何をしてたのか
(たぶん何もしてない
時だけが過ぎていく感が否めず空虚です
 
が、



振り返れば
なんやかんやと思い出がアルバムに有りもみじ
 
 

 
 
 
 
 
 








 
 

 
 
 
 
 




その1さくらんぼ

ずっと始めたかった
エクササイズレッスン♡


妹のお友達SAIKIちゃんが主催してくれて
楽しくトレーニングをしたよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
「エクササイズはみんなでやってなんぼ!」
 

あらためて思った。
 
家で1人でたまにやったりするけど
全然効果感じひんもんなあ。
 
 
ちゃんと先生と仲間がいて
ちゃんと対面でするからこそ
 
欲しい効果が得られる。



ヨガも大好きだけど
最近どこもここもオンラインだし
対面あってもマスクでしょ。
 
マスクしながら運動って、、
死ぬ予感しかしないわウインク
 



というわけで


ほんっとうに
SAIKIちゃんに感謝ドキドキドキドキ
 
また是非、第2弾も企画してほしい!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その2さくらんぼ
 
奈良散策♪
お初訪問の"長岳寺"さん。
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
桜や紅葉の季節が人気の名所らしいけれど
この季節は季節で私は好き。
 
ほとんど誰もいなくて(笑)
最高にのびのびできた。
 
 
 
長岳寺で調べると
『猫寺』って出てくるほど
 
猫でも有名なお寺さんらしくて 

さぞたくさん野良ちゃんがいるのだろうと
楽しみにして行ったのだけど
 
なぜか境内には1匹もおらず。
 
 
 
にゃんにゃんに会えるのを楽しみにしていためいっ子もちょっとがっかりしていて
 
その代わりに?
 
あめんぼやサワガニに夢中になって
しばし用水路が彼女の目には煌めくおもちゃ箱に映っていたようだった。




そこで
ちょっと心温まるエピソードを思い出した。
 
 
「カタツムリを見つけたい。」と言って聞かないめいっ子に付き合って

父も母も妹も必死に探すのだけれど居なくて。

 
「今日は居ないみたい。きっとカタツムリさんお家でねんねしてるんやわ。また今度来た時に探そう。」
 
となだめて引き上げるも
 
「カタツムリ~!」と泣いて駄々をこねるお年頃。
 

それでも無理矢理、帰路を行っていると
ふと
 
背中遠くの方から声がした。
 

 
「カタツムリいたよー!」
 
 
振り返ると、20m後方あたりに
老夫婦がこちらを見て手を振っている。
 
ほんの3分ほど前に
すれ違ったご夫婦だった。

 
きっとすれ違いざまに
めいっ子の声が聞こえていたのだろう。
 
それを知って奥様がカタツムリを見つけて
私たちに知らせてくれたのだった。
 
 
なんだか久しぶりに、
人と人との温かい何かを感じる瞬間に遭遇し
じーんとした。
 
 
すぐに奥様の元へみんなで走って行って
お礼を言って、
 
念願のカタツムリを納得いくまで観察した。
 



「ありがとう。」
 

めいっ子が1番たくさん言っていた。
 

(そうだよ
自分のことを想ってしてくれた人に
それ以外無いんだよ)
 
 と心の中で呟きつつ

 
「いいもの見せてくれてありがとう。」と
私はめいっ子にそう言った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
駐車場に戻ったら
 
あ!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
猫いた猫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
最後にはちゃんと猫ちゃんにも会えた。
 
 


この日はお馴染みの洋食屋さんでランチもして
いろいろと満たされた1日だったわ♡
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
どれもこれも美味しいのだけど
 
なんでこんなにもサラダって優勝なのか
と思う笑い泣き
 
 
野菜最高。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
奈良~大阪、夕方の景色がまた
大好きで
 
助手席から夕日を眺むる瞬間は至福の極み..
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
ああ、また早く奈良に行きたいな。
 
 
 
 
 
 
 
 

アルバムめくれば
他にもいろいろと外食行ってた。
 
 
 

その3さくらんぼ

中華も行った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

その4さくらんぼ

和食も行った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
私とめいっ子は食の好み傾向がよく似ていて
 
"外食で1番箸が進むのは洋食屋さん"
ということが最近判明(笑)
 
いろんなものをちょっとずつ食べたいからかな。サラダもあるしスープもあるしかな。
パンもご飯もあるしかなラブ
 
 

 
そんでもって
時々、スイーツもね♪



 

 
 
 
 
 
 
 




 
スイーツって見た目でテンションあがって
食べたいー!ってなるけど
 
正直、食べ始めたら
5口目くらいで気持ち悪くなる今日この頃^^;
(歳のせい?
 
生クリームも好きなはずやのになあ。。
 
で、結局

上に乗ってるフルーツだけで良かったやんてなる。笑い泣きいちごぶどうリンゴオレンジ
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 






 
 そして最後に

その5さくらんぼ



奇跡のティーちゃん(*˘︶˘*)
 
 
 
 
 

 
 
 
 








2度の九死に一生を得、
主治医にもびっくりされるほどキラキラ

元気なティーちゃん。


最愛のティーちゃん。














 
 








日に日に甘えっ子になり

毎朝私のところに来て
「ママー!」

毎晩私のところに来て
「ママー!」



ある人にとっては
普通の日常かもしれないけれど

飼い主の育て方の悪さのせいで
臆病な性格になって
すぐに噛む子になってしまったので

そもそも撫でて欲しがること自体
ティーちゃんにとっては稀なことなのです



こんな日が来るなんて

夢か幻かと思うほど
この現実は私にとって奇跡だ。



きっとね..

もう長くはない命とわかってるんだと思うの。


肉体があるうちに
今しか出来ないことをめいいっぱい
しようとしてるのがわかる。


だから、
私もその命の欲求に最大限応えたい。
と思って


出来るだけたくさん撫で撫でハグハグして
ティーちゃんの食べたいものを食べさせてあげている。
(ペットフードは封印した)



だって3次元に生まれたのだから。

肉体を纏ってしか出来ない喜びを
なるだけ与えてあげたい。














 












ティーちゃんと触れ合っていると
たくさんのことを思い出す。

私自身、むちゃくちゃ苦しかった頃に
藁をもすがる想いで飼った子だった。

サイテーだと思う。


自分が苦しいのに
子を幸せにできるはずがあるまい。
(鏡のように映し出される現実を見て、私は両親にこの言葉を吐いているのかもしれない。)


そんなサイテーな飼い主の元へ来て
案の定サイテーな環境で育ち

それでもこの子は飼い主に何1つ迷惑もかけず
ただひたすらに周囲に癒やしを与えてきた。


本当に、仏でしかない。


今さらだけど

積もった後悔を少しでも晴らしていけたなら.. と願って日々を送る。














 













"親ガチャ"

という言葉を最近知った。


私は親ガチャにハズレたと思った。



そして
誰かはこんな風にツイしてた。

「親ガチャにハズレたと言う人は根底に
生まれてきたくなかったという思いを持っているよね」と。


なるほど。
いいとこつくなあと思った。




けれども
如何せん

、、




生まれたものはしょうがないのであって

それでも、生きるしかないのである。

それでも、最後まで生き切るのだ。



人と比べたって
何の得もないし無駄。

ひたすら
自分で学んで自分で歩んでいくしかない。


生まれた時に
安心安全な場所があり
穏やかに眠れて美味しくご飯が食べられる
そんな環境が当たり前にあった人は
それだけで勝ち組だ。


でも

そうではなく、というかむしろ


家の中が常に危険で
穏やかに眠れる場所もなく
安心してご飯が食べられないような環境しかなかった人もやはり現実的にはたくさん居て。
(勿論私を含む)


では、親ガチャハズレに未来は無いのか?というと決してそうではない。


と思いたいわけで。



なにせスタート地点が地下の地下だからね、

親ガチャ勝ち組のみなさんに追いつくには
ごぼう抜きを5連チャンくらいしないと(笑)
たぶん無理なんだけどさ。

でもね、目指すのはそこじゃなくて。




"幸せ"って何なのかを自分で納得できることがまず重要だということ。

だって
幸せって目には見えないし

どういう状態を幸せと感じるか?は人によって違うし、基準もない。

だからまず、
〈自分の感じる幸せを知ること〉が大切。


そしてその幸せが今ほんとうに無いのか?

考えてみること。感じてみること。


永遠にその繰り返しなんだと思う。





そして、結局のところ


自分を受け容れ
自分の人生を受け容れること

からしか何も始まらないことを悟るだけ。


それ以外ないのでしょう。








ティーちゃんがうちに来てくれてからの16年を思い返せば

我が家は劇的な変化を遂げたと思う。


地下の泥の中で眠っていた蓮の根が
ゆっくりゆっくりとだけど育ち

ちょうど今

水面に茎が辿り着いて
花の咲くのを待つようである。




ティーちゃんも
願った平穏をやっと手に入れた。

私も同じく、手に入れた。


生きているうちに
(本来は当たり前に保障されるべく)安心安全が手に入って良かったな。。





少々窮屈で退屈な
こんな毎日でも

5年前には存在しなかった精神と人間的うつわがここに確かに在るわけで。


何も成長してないように思える
こんな毎日でも

10年前と比べれば信じれない健康体と健やかな心と人間関係がここに確かに在るわけで。



そう、俯瞰できたら
苦しみからちょっと離れられた気がした。











人間は
人生は

平等ではない。公平でもない。


それでも

ただ在るものを感じ
「ありがとう」と言って
命を全うしたい。


少しでも多く

"幸せ"という感覚を感じて
生きたいから。












虹

yu-co