ここ暫く、

夏風邪を引いていた。

 

 

めったに風邪なんて引かないのに

なんでかなーって、、

 

 

それでちょっと

ここ2週間くらいの生活を振り返っていた。

 

 

 

 

(この猛暑とクーラーの

行ったり来たりじゃ

誰だって調子狂うでしょう

 

というより

誰かの風邪が移っただけじゃないの(笑)

 

というツッコミを自分に入れつつ

振り返りたい性分

 

 

 

 

 

 

 

 

とてもカラダが冷えていた。

 

夏は女性は冷えやすい。

 

食べ物も冷たいものが増えるし

どこ行けどクーラー天国(地獄だし

服装も薄着だし、

 

 

でも..

 

 

それだけじゃなかった。

 

 

 

 

 

実は

ここ2週間くらい

 

食事が苦痛な日が多かった、

 

精神的に―――。

 

 

 

 

 

 

 

あの日以降、

 

 

たぶん

 

食べるのしんどい病が

ヒソカに再発していた。

 

 

 

母親への怒りはきまって

私の美味しいを消滅させる。

 

 

なにを食べても味がしない喜びがない―

どれもスポンジを食べているみたい飲み込みたくない―

 

 

 

 

 

摂食障害の大きな要因、

 

“母親への怒り”。

 

 

 

ここ数年では幸いにも

 

あまり

意識することのなかった記憶がめずらしく

 

寄せては返した。

 

 

 

 

 

 

 

私はあなたの存在価値を証明する道具じゃない!

 

私はあなたの身の安全を守る道具じゃない!

 

私はあなたの寂しさを埋める道具じゃない!

 

私はあなたの道具じゃないんだよ!!

 

 

 

 

懐かしい

怒りだった。

 

 

(セッショクピーク時は

こんな怒りを毎日母にぶつけていたなぁ...

 

 

 

 

 

 

セッショク患者の親(母親は

 

過干渉

 

だと

よく言われる。

 

 

 

 

私はそれを聞くたび

 

 

『はいはい、

 

過干渉(~してあげてるんです)という名の

不満足感埋め(自分の空虚さや罪悪感、心細さを紛らわせたいんです)ね』

 

言いたくなってしまう。

 

 

(だって、過干渉って。

あまりにも実態をオブラートに包みすぎで。

 

もっとはっきり言わないと

親自身だって気づけなくて苦しいままだと思う

 

 

 

 

 

 

 

"食べるのを拒むのは

愛を拒んでいるから。"

 

 

そんな表現も

セッショク業界では蔓延っているけれど、

 

私の場合

 

 

 

私のなかに異物(親)が侵入しているその気持ちの悪さが

カラダじゅうを駆け巡って

 

あぁ気持ち悪い

あのひとたちの血が流れている私

気持ち悪い...

 

という

生(≒性)に対する拒絶心が

 

食べ物への拒絶心として投影されていた

 

 

ように感じている。

 

 

 

 

(こう書いていても

私はそれほどまでに

 

親を汚らわしい人間だと

思っていた

 

 

いやもしかして

 

今でもまだ少しだけ

そう

 

思っているのかもしれない。...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一昨日は、

 

そんな私の

おどろおどろしいイチブが顔を出したのか

 

また

些細なことで

(というか、要らんこと言いな母

 

イライラ

 

 

しかもそれが

 

ピアノのレッスンに行く

20分前に起こってしまったものだから

 

 

急遽

何事もなかったかのように

ちゃんと笑顔を作って

 

隠して

教室に向かった、つもりだった。

 

 

でも。――

 

 

 

 

 

 

「??..ゆうちゃん?

なんかあった?」

 

 

 

それまで

封印していた涙が一気に込み上げた。

 

 

(なんでバレたんやろ

さすがやな

さすが、

先生やな、、

 

 

 

 

あらためて

 

先生の私への深い理解と

彼女の温かさ優しさを実感した。

 

 

 

 

 

 

 

思い返せば、

 

大学生の頃は

こんなのがしょっちゅうだった。

 

 

ピアノのレッスンに行ってるのに

ピアノ弾かないで

 

ずっと喋ってた。

 

というか

私の話を先生が聞いてくれていた。

 

 

 

誰にも言えない

家庭内の悩み、恐怖、苦しさに

 

先生は寄り添ってくれた。

 

カウンセラーみたいだった。

 

 

 

 

あの頃は

毎日毎日

 

とにかく

家に帰るのが苦痛で

 

(実際、弟や妹はほとんど留守だった(笑)

さすが第2子、3子はそゆとこ強み

 

 

夕食時8時くらいには

完全に仕上がっている父が

 

真っ赤な顔して(お酒で

怒り狂っているから

 

普通に食べれなくて

眠るにも(罵声で)眠れなくて。

 

 

控えめに言っても

死にたかった。^_^;

 

 

 

 

でも、

 

週に一度

先生と話すと少し

 

死にたい気持ちが薄らいで

またがんばろう

 

思えたりしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

先生は本当にご縁の人。

 

 

5歳のときに出会って以来

誰よりもそばで

 

私の(と妹の)成長を

観てきてくれて

 

また

 

 

我が家の家庭環境を

(父親の鬱+アルコール依存、毎晩のような両親の暴言と戦争etc

 

それに苦しみ、

乗り越えてきた私たちの姿を

 

きっと誰よりも寄り添って

支えてきてくれた人だから。

 

 

 

ピアノの先生だけど

それ以上の、

 

本当に

私たちにとっては

 

家族みたいな人だなって

あらためて思う。

 

 

  

 

 

 

一昨日も、

 

15年前にタイムスリップしたみたいに

私は

 

 

やや感情的になるのを抑えながらも

抑えきれない何かを隠しきれずに

 

あれやこれやと

おもいの丈を語っていたのだけど、

 

 

 

「(究極いってしまった時は)

私が私であることを辞めたくなるねん

存在が無かったことにしたくなるねん

だから

ピアノを弾きに部屋に籠るねん。

 

ピアノを弾いてるといつのまにか

すーーーーっと

さっきまであった私の苦しみがどこかに消えてるから。」

 

 

 

と、私が言ったら

 

先生は、こう返した

 

 

 

 

 

「そうか。

今はピアノが救いになってるんやね。

それは本当によかった。

 

 

ゆうちゃん、もう

 

自分に刃(やいば)を向けることだけはせんようにして、

ね」

 

 

と。

 

 

 

また、不意打ちで

核心をつかれたものだから

 

泣いてしまった。

 

 

 

 

なんで?...

 

なんで

ここまでわかってくれるんだろう、と。

 

 

 

 

 

 

 

そうなのだ。

 

 

 

 

痩せ姫は、―――

 

 

痩せ姫の刃はいつも

 

痩せ姫自身に向く。

 

 

 

 

それはまるで

 

生まれてきたことを懺悔するかのように。

自分に刃を向けるのだ。

 

 

 

 

 

もし

 

痩せ姫の絶対共通項は何か?

と聞かれたら、

 

私はきっと

こう答える

 

 

 

『生まれてきてよかった』と思ってないところ

 

と。

 

 

 

 

自分が生まれてきたことを祝福していない、

いや、できない?

 

いや. ..

 

 

祝福なんてしてやるもんか? 

 

 

 

複雑に絡み合った

"自分へ"と"親へ"との感情は

 

命への抵抗を生む。

 

 

 

 

 

 

 

 

私も、ご多分にもれず

生まれてきたことを祝福していなかった。

 

 

付け加えて、

 

女性である私のなかにある母性性みたいなものを

殺したいと言わんばかりに

(≒母親を消したかった?

 

生理や妊娠出産、女らしいカラダつきそのものをも

拒絶していた。

 

 

 

でも。ーー

 

 

 

 

 

そうは言えど

やはり

 

 

魂というかエッセンスというか源というか

大いなるわたしの中心は

 

そんなことを望んではいなくて。

 

やっぱり

 

いのちを祝いたいと願っていて。

 

 

 

 

 

だから..私

 

 

Happy Birthday をホーム画面に

置いたんだと思う。

※Twitter

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日、目にする場所に

Happy Birthdayがあったなら

 

毎日、自分の命への祝福を

目にすることができる

 

 

と同時に、――ー

 

 

 

 

私のところへ訪れてくれた誰かにも

 

「生まれてきてくれてありがとう」って

祝福を伝えることができる

 

 

 

と、そう思ったから。

 

 

今でもすごく

気に入っているよ ^ ^

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の変化って、

あまりよくわからないものだけれど、

 

確かに

昔よりははるかに

 

 

自分の誕生を祝えるようになったし

命を祝福できるようになったかなって

 

思ってる。

 

 

 

その証の1つとして

 

生理回復や体型の変化、

ピアノとの再会という奇跡が

あったんだとも思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 教室のグランドピアノ

 

 

 

 

 

 

 


 

 

これからもね、

生きている限り

 


嬉しい日があるいっぽうできっと

悲しい日もあって

 

安心な日があるいっぽうで

不安な日もあるだろうから

 

 

だから


自分の中心を整えるためにも

ずっと

 

ピアノを弾いてきたいなって

思うんだ

 

 

 

たまに

 

私という存在を消したい気持ちが湧いても

それも自然なことだと思うのよね

 

 

だから私は

ピアノを弾く


 

 

 





 


 


 
















もう私は大丈夫



誰かに「助けて」って

言えるようになったから



「生まれてきてくれてありがとう」って

想ってくれる人たちの存在に

気づけたから





これを読んでくれた

すべての人に


「生まれてきてくれてありがとうございます」

 

 

クローバー



yu-co










ほんとに

長文でスミマセン

^_^;