近頃、

 

悲しくもないのに

ふと

 

涙が込み上げることがある。

 

 

 

言葉では言い表せない

奥の底からじわっと熱い

 

不思議な感覚が

カラダを走る。

 

 

 

おかしいな。。

 

私の涙は

悲しみや絶望でできている

 

はずなのにーー

 

 

 

 

誕生日前後2週間は

 

あらゆることが
(カラダ・心・魂

 

刷新され

再誕するというけれど、

 


涙の成分まで

変わっちゃうのかな。

 

 

 

 

 

 


 

少し話は変わって、

 

こないだTVで

(EテレSNS英会話

 

”10年前の自分に手紙を書く”

というテーマをやっていた。

 


 

「私だったら何書くかな?」

と考えた。

※日本語で(笑)

 

 


 

この10年は

私にとって


本当に苦しい

 学びの10年だったから、

 

きっと書き出せば

キリがないくらい出てくるはず

 

思ったのに、


 


 

 

「究極に苦しい時だと思うけど

 

未来にあなたを待っている人がいるから..

 

がんばって

生きて。」ーー

 


 

 この

たった1文しか湧いてこなくて


ちょっと

拍子抜けしてしまった。






 

 でも

それと同時に


10年前の私なら

逆に


(未来の自分に向けて

どんな手紙を書くんだろう?


とも

想いを馳せてみた。


 

 


たぶん


きっと

これは単純で、




「私のこの病気は治りますか?

どうすれば治りますか?


今(10年後)治っていますか?

 

私は今後

何をして生きればいいですか?


どこにいけば

生きている価値がわかりますか?

 


私はいつ..

この苦しみから解放されますか??」ーー

 

 


これらの質問に

とどまったに違いない。

 

 

 

 


 

それを考えると

なんだかおもしろかった、

 

だって

 

 

2人(過去の私と未来の私)の

観ているポイントが

まるで違っていたから。

 

 

 

どちらが正しい間違いでは無い

けれど

 

どちらがより真実か?

と言えば

 

当たり前に、


 

(10年経った)今の私からのメッセージ

なんだと思う。

 

 






 

病気が治る方法

病気が治るかどうかの確約

どう生きるべきかの指南

自己価値の在り処. . 

 


蓋を開けてみれば

それが重要なのではなかった。

 


それより

もっと

 


大切なことがあった。

 

 

 

 



 

摂食障害は

(というかほとんどの精神の病は

 

対人関係でしか

治せない。



きっぱり

今の私は言い切る。

 


 

お医者さんによっては

まだ

 

この期に及んで

 

食べ方・食べ物の量ばかりを

診ている人もいるそうだけど。

 





ーー治らないよ。

 

だって


食べ物で傷ついたんじゃないから。

体重で傷ついたんじゃないから。

 

 

本当は


人で傷ついたんだから。

 

人で傷ついたのなら

人で癒すしかないんだよ。――

 

 

 


 


患者にとって

傷ついたきっかけの”人”

というのは、

 

まちがいなく

 

 

ものすごく近い関係性の相手で。

(たいてい親や家族、パートナー

 


だから

それと同じように

 

癒すきっかけになる”人”も

ものすごく近い関係性の相手

 


である必要がある

私は感じてる。




 

 

 

 

勿論

 

直接

その相手(傷のきっかけの人、たいてい母親)と癒し合えるのなら

 

それは素晴らしいことだけれど。


 

残念ながら


相手の歩みがなかなかに遅く

冷戦以外そこからは何も生まれない


というケースも多くて。


だから、

 

 


 

その相手と、でなくていい。

 

いや寧ろ

その相手をいったんあきらめる

ことも大切、と


私は思っている。

 

 




私も、、

 

いつだったか

母に求める気持ちをあきらめた

時があった。


というか、

 

 

「あ、永遠に出てこない場所に向かって

叫んでるんだな」

 

って

気づいたというか。^_^;

 



超絶

時間とエネルギーの無駄してるやん!

って覚って(笑)

 


 

そしたら

そのあたりから?、


 

絶望の涙とか

死にたい気持ちとかが

 

なんとなくだけど

薄らいできて


あ、でも

バチバチで喧嘩はするけどナイフ(笑)

 



カラダもじょじょに

変わってきたかな。。

(生理もそこから復活したのかもしれない。

 

 



 

"セッショクの人は

 「死にたい」が口癖"


って

よく言われるけど、


本当は

あれ


死にたいというより

 

 






 

お母さんへの謝罪

 

なの。

 

 


お母さん

あなたの人生にキズをつけてごめんなさい


お母さん

迷惑かけてごめんなさい

 

お母さん

期待に添えなくてごめんなさい

 

お母さん

生まれてきてごめんなさい

 

 

 


私いつも

自分のいのちを懺悔してた。

母親に。

 

 


でも、

 

ある時から

何かが変わったのかもしれない。

 

 



お母さんは

生まれてきてくれてありがとうって

言って(思って)くれないけれど

 

誰かは私に

生まれてきてくれてありがとうって

言って(思って)くれている

 


そして

もしかしたらこの先

 

そう言って(思って)くれる

大切な誰かとまた

出逢うのかもしれない

 



って...

そう思ったら

 



なんにも無くても


ただ

生きていよう

 

前を向けたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

話がやや散らかってしまったけど、

 要は

 

 

母親(父親)との傷を

誰と(何と)癒すのか

 

とても鍵になる。

 

 

 

そして

この


近頃の私の

不思議な涙の理由は

 

もしかしたら...

 

 


 

そういう誰かとの雪溶けが

潜在下で始まっているから

 

なのかもしれない。

 


 

ちょっぴり

希望的解釈も含めて(笑)

 思っている。

 

 

 

 


 

雨のあとは

何がいい?

 

 

お日様?

それとも虹?

 


なんでもいいよ

なんであれ



(*˘︶˘*)




祝福でありますように。


 

 

 










 

 

 

 

 

 











 

 

最近

毎晩聴いているこの歌。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

忘れたくないことなら

覚えようとしなくても

 

忘れることなんてない

そう静かに感じる

 


あれはある寒い日で強い雨の中

僕はただ君だけを待ち続けていた

 

 

もし今が僕の終わりだったしたら

それでも

かまわないと思えるほど

何も怖くなかった

 

 

幸せに笑い合う人々が

僕のすぐそばを

何度でも通り抜けたけど

 

1人きり傘もなく立ち尽くす僕は

誰よりも穏やかに微笑んでいた

 


凍える手をかざして

あらわれた君をみて

泣きだしそうになったのは

悲しみのせいじゃない

 

 

僕たちを一瞬の光が照らした

これからのゆく道を祝うかのように

 


(『rainy day』~浜崎あゆみ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

「生まれてきてくれてありがとう

出会ってくれてありがとう」


クローバー

 

裕子