”裏”横浜散歩の続きです。
鶴見線という京浜工業地帯を走っている電車にのって昭和の世界を垣間見に歩きました
横浜の隠れた裏歴史を探訪した後は
鶴見線の鶴見小野駅から国道駅に向かいました
車両の一番前に乗って・・・
鶴見小野からは一駅です
国道駅に着きました。
昭和5年にできた高架の駅。
線路の下は人が住める空間になっています。
改札を出た所です。
お店もあるんです。
今でも(2019年11月当時)営業している”国道下”っていう焼き鳥屋さん。
昭和レトロな雰囲気です。
覗いて見たら満席でした!
営業時間は16;30~20:00って短いんです。
この時も持ち帰りのお客さんもちょこちょこ来ていましたね(*^^*)
電気がついているから住居ですね。
今でも数名の方が暮らしているんですって
2階建てです
電気も暗くて・・・
ひんやりした空間です。
このアーチ型の独特な雰囲気。
『華麗なる一族』『時効警察』『白夜行』等々の撮影にも使われたんです。
このガードを出た所・・・
窓、壊れているけれどオシャレです
ガード下も住居になっているんですね。
この道をこのまま進んでいくと・・・
鶴見川にぶつかります
♪つ~るみ川の流れとともに続く伝統 明治の頃より~♪
私の行っていた小学校の校歌がつい出てしまいます゚エヘ(*'ω`*)ゞ
鶴見線の下・・・
手を伸ばすと触れますよ
川の向こう側背の低い方の建物は横浜サイエンスフロンティア高校
公立の理数科学校です。
すごい場所に建っているんですね。
新しい学校なのかな。
たまに高校生クイズに出たりしてた学校で名前だけ知っていました
ねっ、高架すぐでしょ
駅に戻る途中の道。
この先に生麦の朝市が今でも開かれる場所があるんですよ・・・
その朝市は歴史があって、そもそも生麦浦は江戸時代、将軍に魚を献上していたんだそうです。
そのころからここは生鮮の街で魚河岸通りとなって今に続いているんです。
ちょっと脱線・・・
ここで「あっ!その朝市知ってる!!!ショーケンが毎週買いに行っているって前に観たことがある」
「え~、ショーケンが!!!じゃ、その頃来たら会えたかもしれないんだ!!!」
・・・と、この散策のマダムたちで盛り上がっていたら・・・
ガイドしてくれてた男の子や散策の男の子たち(全員20代?)が
「ショーケンって誰ですか。芸能人ですか」
(゚Д゚≡゚Д゚)エッナニナニ?
「萩原健一っていう俳優さん知らない」
「はい、聞いたことないかも」
な~に~
「ショック~~~ 傷だらけの天使っていうドラマ観てごらん。素敵なのよ」
気づかなかったけれど年代の大きな壁がドーンとありました
一国(国道15号)側の駅の壁。
あら!木が生えている
なんて見ていたら保護されているネットの下に・・・
傷がありますね。
これ、第二次世界大戦の川崎・鶴見空襲の時の
機銃掃射の弾痕なんですって。
戦争の傷痕なんだ・・・
見どころいっぱいの国道駅。
かなり老朽化しているけれど残せるのかな・・・
残してほしいです
鶴見線に乗って鶴見駅までもどってきました。
ガイドさんがとってもよく教えてくれて楽しいツアーでした( *´艸`)
最後に
鶴見線鶴見駅に残る昭和の歴史。
「在日朝鮮人帰還事業」で北朝鮮に帰られた
鶴見線沿線の工場で働いていた朝鮮の方々から贈られた時計です。
時計の下のプレートに「皆さんお元気で」と書かれています。
希望をもって帰られた。
当時は日本で働けたことに感謝してくださっていたとききます。
その後の帰られた方々の事を報道で知っているので
なんとも言えない気持ちになってしまいました。
小学校で習うから知っていた浅野総一郎さんが
自分で鐡道ひいてしまうくらいに大財閥だったこと・・・
今に結びつく時代の
知らない事をたくさん教えてもらえて楽しめました。
長い備忘録にお付き合いくださってありがとう
来てくださってありがとうございます(*´ ˘ `*)
感謝です。