4月が漸く終わり、今日から5月。
私にとって今年の4月は辛い月だった。
3月22日から始まった外出制限。
当初は仕事が出来なくなり、収入源が絶たれた不安で精神的に苦しかった。
いつまで続く?
その見通しが全くつかず、いつまで家賃が払えるかと怖かった。周りの友人も続々と仕事を失い
不安でパニックに陥っていた。
その何日か後には病院には人が殺到し、重症化した人達は人工呼吸器に繋がれた人がICUに溢れた。
私が経済的不安で落ち着かない時期、病院では医療従事者達が必死に患者さんをケアしていた。
そして知人看護師が亡くなった。
この時私は冷静だった。命の灯が消えるのはとても悲しく辛いのだけど、自分の職業柄か
死を冷静に受け止め、悲しんだ。
そして4月になった。
4月2日にFBメッセンジャーで教会の友人から連絡がきた。1日と2日で3名の教会の友人が亡くなったと。
死因はCOVID-19に感染したこと。それによる合併症。
えっ?と思った。
私は今までの人生の中で幸いにも1度に複数の友人を亡くしたことは無かった。 その死を受け止められなかった。
そしてCOVID-19に感染して入院している牧師さんと友人達は大丈夫なのかと案じた。
そこへ看護師として働いている友人から「マスクもガウンもない。みんな死んじゃう」とテキストが来た。。これは只事じゃない。
友人はマウントサイナイ・ウエスト病院の看護師だけど、エルムハウスト病院の現状も映像で流れ始めた。
私はこれでCOVID-19大変だと感じた。バタバタ倒れていく友人と現場から叫ぶ友人。
幸い医療ギアは州知事等の頑張りで枯渇することはなく、補充もされた。そしてピークはやって来た。
毎日24時間鳴りやまない救急車のサイレンを部屋で聞いては「死なないで!」と思い、気晴らしに散歩に出ては
救急車で搬送するためにストレッチャーに乗せられている人に出会って心臓がバクバクしてしまったり。
そこここに死があった。
そして私は自分の経済的危機よりも「命」を想い始めた。私の経済的危機は解消とはいかず、ますますひっ迫しているのだけど。。
生きていればなんとかね。
そして闘病の末牧師さんも亡くなった。
もう TOO MUCHです。私は初めて泣いた。涙が止まらなかった。 そして友人達との会話や笑顔を思い出しまた泣いた。
そして先週また一人。。。私壊れてしまった。なぜ?
それからずっと命の重さについて考えてた。
「死者数少ない。約300人」って言う人は300人の中にその人の愛する人が含まれていたとしても
さらっとそのセリフが言えるのかなとか。
その方達の人生や残された家族を想ったら簡単に出てくる言葉なのかなとか。
陰謀論ともとれる話で盛り上がってる人は、人が死んでる事実をどう受け止めてるのかなとか。
これが4月中に私が経験した事。
感染症の怖さより、私は喪失感で押しつぶされそう。
たとえ元居たところに戻れても、そこであの笑顔にはもう二度と会えないから。
そして今日から5月。
外出制限は続いている。それでも毎日の州知事の会見ではニューヨーク州再開の話に
言及している。
5月は希望の月になりますように。