それから その当時 知覧で 特攻隊の母 と言われた
鳥濱トメさん のお孫さんである 鳥濱明久さん の お話と 映像を 拝見しました
鳥濱明久さんは
「戦争という出来事を 風化させては ならない
なぜなら 今の 日本人は 自分に 自信を 持てない人が 多い
それは 日本人としての 本当の歴史を 知らない ということも 影響している
日本人という国民は 誇り高い 素晴らしい 民族なのだ」
ということを ずっと 伝えたい
だから 知覧で 特攻隊の 語り部として活躍され
知覧の平和館 の館長 である方なのです
そして その話を 聞いたあと さっそく 知覧平和館 と 知覧散策へ
三角兵舎 ↓
中は うすぐらく 固い布団が しいて あるだけの 小屋です
ここは 特攻隊員が 特攻を命じられた日から 特攻の日までの
わずか 2~3日間を ここで 過ごすのです
遺書を 書いたり 「自分が 特攻に行く意味」を 考えたり
どんな 心中なのか 想像を 超える場所でした
お墓も たくさん ありました
でも とても 気高い空気が 流れているように 思いました
桜も 急に 咲き始めて きました
平和館には 実際の 特攻隊の方が 書いた 遺書が あり
その当時の 服装
そして 実際の 零戦
どうして このような 凶器な作戦に なったのか?
などが いっぱい 展示して ありましたが とても 時間が 足りません
私は どのような心境だったのかを 知りたくて これらの本を 買いました
とても 一日二日では 見られない場所でした
私の 気持ちは 「こんな過去が 全国に いっぱい あったに ちがいない 特攻隊だけでは なく
その家族も 複雑な気持ちで 見送っただろう。 私は それまで 洗脳されていたから しかたない
と 思っていたけれど そうでは なかった![]()
戦争なんて したくなかった・・・・・・・でも 時代が それを 許さなかった それが 事実」
だと 思いました
そして 私なりに 出した 答え
宮部さんは 何故 特攻に 行ったのか???
「家族の為に 生きて帰りたかったけれど 自分の友人も 生徒も みんな 特攻へ行った
戦争は 勝てるかも 知れないし 負けるかも 知れない
もし 生き残って帰ったとしても たくさんの人の 犠牲の目の辺りに しながら 自分は 生き抜いてしまった
そんな 後悔をしながら 家族と 本当に 幸せに 暮らせるのだろうか??
いや 後悔は 残り苦しむだろう 一生後悔する日々を 送るだろう
家族の暮らしは 後輩にまかせ 俺は 敵機に 確実に 突っ込めるだろう
自分の腕なら いける 敵の軍艦を ひとつでも 壊して やろう」
こんな事を 知覧で 思いました
さんざん 悩んでいたでしょう
でも 私は 宮部さん そして 特攻隊で 散っていった方を 語り継いでいきます
そんな 決心を しました
つづく







