

ブログネタ:
何のために生きている?
参加中
本文はここから
なぜ生きているのか? 今までは自分の為だった
自分の欲望を満たす為に働き、お金を得てそれを使う
そして後にそれらの品物の多くはゴミとなった
またはその価値を失い、捨てられた。
そもそもはじめから価値があったのかすら、分らない。
お金は生きていく為に、物を買う為に必ず必要なものだ。
多くの人がお金を得る為に働き、人生の大半を会社や働く事に費やす
納得して働いていればいいが、不満やむなしさを感じている人もいる。
なぜ、不満やむなしさを感じるのだろうか?
きっと何のために働いているのか分らなくなるからだと思う。
お金と安心、将来の保障がほしくて、労働条件に格差があっても一生懸命働き、
いつか正社員になり、将来の保障を会社や社会がしてくれるのでは、と思っていた。
しかし会社側は自分達を守るため問答無用で人を切る。
そして社会は自分自身のことではなければ関わらない。
いつかなんとかしなければとはおもっているが。
それはまるで江戸時代のように、農民は土地を守ってくれる殿様のために
食うや食わずの生活をし年貢を納める。
武士たちはその農民たちをすこしの間違いをしただけで
「切捨て御免」という特権をかざし、人とも思わず切り捨てる
そこに人としての感情はあるのだろうか?
切られたひとの家族は?
残された人々のきもちは?
そんな人として大切なことが軽く見られている。
今はまさにそんな時代なのではないでしょうか?
そして弱い立場の人たちは、いまの政府や会社は江戸時代の
武士そのものだということにきずきだしました。
いまは幕末そのものではないでしょうか
立場の弱いものを切り捨てるこの時代を終わらせるときでわないでしょうか。
その時、立ち上がり時代を動かした幕末の志士たちはなにを思って人生を歩んだのか?
武士、上士にただ復習する為なのか?
新たに自分たちだけの理想郷をつくるためだったのか?
もし上の理由だけなら、日本はキセキの経済発展や「国民に皆中流階級」なんて
時代はありえなっかたでしょう
きっと幕末の志士たちは、大切な人たちの住みやすい日本、
大切な人のそのまた大切な人たち。
多くの人たちの幸せや、笑顔で暮らせる世界を夢みて
誰か幸せのために人生をいきたのではないでしょうか
多くの人の幸せのために生きる事がまわりまわって
自分の幸せにつながるのだと思います。
まだまだ私には出来ませんが・・・・・・・
まず身近のひとの幸せをおもって暮らしそれが
大きくひろがればと思っています