「葬儀に写真をスライドで流すのですが曲は何がいいでしょう」
間髪入れずに指をさし「これでお願いします」と言ったんだ。
50代の頃の写真が黒い枠に収まっている。
「ワシの遺影は撮って用意してあるでな。若すぎるらか」
いつだったかそう言った菩薩に「自分が一番気に入ったものがいいよ。若くて綺麗なんて最高じゃないの」と返事をした日を思い出す。
黒留袖を着て、綺麗に髪を結いあげて…上品で可憐で、なんて綺麗な人なんだとため息が出るほどの素敵な写真。
素敵な写真だなぁと来る人来る人みんなが口を揃えて言う。
自分で用意したんだよ。お婆さんの姿より一番輝いていた時の姿でいたかったんだねとみんなに返事を返した。
布団には眠っているような菩薩がいて、触れば冷たくて、段々異臭がして来た頃棺桶に入って。
アイン、ツバイ、ドライ。
社会人になっているのは理解していたけれど、テキパキと感を働かせ先手を打って手助けしてくれて、いつの間にこんなに立派になったのだと思う。
写真の中では小さなアインドライツバイが笑てて、菩薩の中でも彼らはずっと小さいまま。
ほんの数か月前、ツバイを連れて面会に行ったとき「はれ!さやか来てくれたんだな!」とツバイを見てそう言って…。
反対側にいるあたしを見て「はれ!大きいでさやかだな!」となぜかあたしが二人いたw
結婚したのはツバイと同じ23になる年で、なるほど、その頃のあたしにそっくりだと納得し…大きくなるぞ!気をつけろ!とツバイにくぎを刺したっけ。
いつまでも小さい孫のまんまの感覚で、世話を焼きたがったおばあちゃん。
洗濯物は出した?こうもりは持った?寒いで靴下を履きないよ。
「んもう!わかっとる!」と自立を始めたあの子たちはあからさまに嫌がっていたのだけれど。
菩薩の枕元に座り「もっと会いたかったな」と何度もつぶやく子供たち、思うところがあるのでしょう。
火葬場で最後のお別れ、扉が閉まったとたんに涙腺は開いて、ツバイの涙が止まりません。
人の死を身近に感じることが少ない昨今、死とは何かを体現して教えてくれる貴重な存在が今なんだよね。
「よく来られても150人くらいだと思います」
葬儀場の方はそう言ったけれど、最終的には250人が弔問に訪れた。
近所のおばちゃんたちが「本当にお世話になって悲しくてしょうがない」と涙をこぼし。
「寂しくて仕方がない」と20代のころから付き合いのあるおじいさんが泣き崩れ…。
そんな姿にひたすら頭を下げながら、おばあちゃんが【おばあちゃん以外の場所で繰り広げた世界】を知ることが子供たちにはとても新鮮で衝撃だったことでしょう。
「おばあちゃんてすごいね」
何度もその言葉を繰り返したくさんの人に感謝を込めて頭を下げる。
葬儀が終わり最期のスライドショー。
同級生とふざけて殿様のかつらをかぶって笑ってる
お嫁入りの時、にやけたお義父さんの隣で可憐に微笑んでいる。
近所の若妻たちと旅行に行って、子供たちが生まれて。
北海道にも沖縄にも出かけて行った兄弟会。
エイちゃんとピースして、アインやドライの運動会では一緒に走って、ツバイの七五三では負けないくらいの可愛らしい姿。
嫁にきて子供が生まれるまでは籍も入れてもらえない時代。
小さい体で一日何度も水を汲みにいかなければならない水道のなかったあの頃。
明治生まれの姑に仕えて、放蕩な旦那を黙って受けれた日々。
そんな中でも可憐に微笑んでいる姿。
小さな体に秘めた芯の強さ。持ち前の明るさ。
生きるとはこういうことだと彼女が教えてくれました。
あたしと出会ってから一度も、うん、ただの一度も泣いたことがないカツヒコ。
この男の涙腺はぶっ壊れているんだと信じて疑わなかったんだけど。
声を殺してカツヒコが泣きだして、ドライが引き泣きで号泣し、ツバイが鼻をすすって、アインが静かにハンカチで目を抑え…。
カツヒコの涙を見ることが出来るなんて、菩薩よあなたはなんて偉大なんだと笑おうとしたら…ビックリするほど涙が溢れてた。
ああ、泣いても良いんだなと安心しちゃった。
ずっとちゃんとしなきゃと思ってたもの。
彼女がまいた種は確実にあたしたちの中で育っている。
人の死がどこか遠い。そんな世の中にあって。
彼女は最期まで生きるお手本でした。
『もう!あの曲卑怯だわ!絶対泣くじゃん!つか!!!おとうあそこで泣くとかもう我慢できんかったわ。俺、引き泣きでハズいのに』
悲しいとか寂しいを超えて、クスリと笑いを運んでくれたドライ。
この家族は大丈夫。お義母さんのおかげで、あなたの家族は最高ですよ。
そんなある日の葬儀の記憶の欠片。