二人から始まった | 魔王のお城 さやか@ふとちらのブログ

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魔王GACKTの志を胸に噛み噛み下僕が日々の思考の欠片を書いています。
基本的にペタやイイネ!はお返ししませんが、こっそりあちこち伺っております。


お父さんとお母さん(という名の知人)に曾孫が誕生したと聞いたのは、親戚のおばあさんの葬儀の日だった。

おばあさんは享年102。

ボケもせずしっかりしたまま、毎夜「お迎えが来ますように」と目を閉じて「あらまあ今日もこの世だわ」と目を開ける。

そんなおばあちゃんが逝ったのはお風呂に入って髪を乾かして、水を一口飲んだ後。

「はあ、気持ちがいいねぇ」

眠るようにすうっとこの世を去って行きました。

見事な大往生っぷりだったねと言いながら、持ち帰った赤飯を楽しみにしていた夕方に、ナスを持って現れたお母さん。

「ほえ。生まれたんな」

スレンダーなお孫さんのはち切れんばかりの腹を眺めながら、早く出てくればいいのにねと話したのはついこの間だったから、やったね!良かったね!と一緒に誕生を喜んだのは言うまでもなくって。

「二人から始まったのになぁ。いつの間にか大勢になって賑やかで、不思議なもんだなぁ」

お父さんがしみじみ口にする度に、本当だなぁと思ったりする。

3人の娘を生んで、娘たちが結婚して伴侶が出来て、孫を産んで、孫が結婚して伴侶が出来て、曾孫が生まれて…。

みんなで集まれば40人近くの大宴会。

「その内、おらあは消えていくけど、また二人で始めたら増えてくんだで…不思議だなぁ」

そうだね。うん。不思議だ。

しっかりしたおばあちゃんは、なかなかに冗談もうまくって。

訪ねると「お茶を飲んでくら!あがりないよ」と気さくに言ってくれたっけ。

もう訪ねても彼女はいない。




私は海辺に立っている。海岸の船は白い帆を朝の潮風に広げ、紺碧の海へと向かって行く。船は美しく強い。私は立ったままで眺める。海と空とが接するところで、船が白雲の点となりさまようのを。

 そのとき海辺の誰かが言う。「向こうへ行ってしまった!」

 「どこへ?」

 私の見えないところへ。それだけなのだ。船のマストも、船体も、海辺を出たときと同じ大きさのままだ。そして、船は今までと同様に船荷を目指す港へと運ぶことができるのだ。

 船が小さく見えなくなったのは私の中のことであり、船が小さくなったのではない。そして、海辺の誰かが「向こうへ行ってしまった!」と言ったとき、向こう岸の誰かが船を見て喜びの叫びをあげる。「こちらに船が来たぞ!」

 そして、それが死ぬということなのだ。





介護職に就いている姫からもらった冊子にあった【ヘンリー・ヴァン・ダイク】の詩が思い出される。


あたしの中で小さくなったり遠くなったりするだけ…。

見えないところに行った日に、新しい船が来た。

あの日は8月16日。

先祖に思いを馳せる…繋がっている…脈々と…そんなあの日。


Ed Sheeran - Photograph



愛することで
傷付くこともある
でも 僕に分かるのはそれだけ
辛いときだって
辛くなるときだってあるけど
それだけが 生きてる実感をくれる




全てのことが生きている実感に繋がっている。




そんなある日の記憶の欠片