普段は、ほとんど食べないのですが…

 

なんとなく、食べてしまったカップヌードル、

 

左がトムヤムクン、右がラクサ、

 

そして軍配は…

 

 

やっぱりトムヤムクン!!

 

大好きすっぱ辛いを補給して、毎日元気なSonokoです!爆  笑

 

 

 

はい!!元気です!!

 

でも・・・

 

ついに父は母をお迎えに来てしまいました…

 

前回のブログ、

日付を見たら10月13日の金曜日の14時過ぎでしたね…

 

その後、

14時に母の姉夫婦と妹が来てくれました。

(ブログを書いた直後?!)

 

もともと10月25日に来る予定だったのですが、

意識もだんだん薄れていき、目も開くことがなく、

点滴が取れる様子もなかったため、

10月18日に…と予定を変更しました。

 

自分のために、書き残させてください…

 

9月18日 脳梗塞で倒れる

9月22日 警察に発見され、入院

9月24日 病室変更の時の移動時にちら見…

9月25日 面会、脳神経内科(脳梗塞)の先生に様子を聞く

9月27日 面会、手を握り返す

9月29日 面会、呼吸器内科(肺がん)の先生に様子を聞く

10月2日 車を買いに埼玉へ、帰りに母の姉妹に会う

10月5日 面会、主人と娘が帰国前、最後の面会、

     肺がんが思ったよりも進んでいる、

     姉妹の写真を見て手を握り返す

10月11日 呼吸器をつけていて、手を握り返さず、10月18日に姉妹が会いに来る予定

10月12日 個室に移動、17~21時まで病室にいる、

      酸素濃度が83~91位

10月13日 朝10時半から病室へ

      14時、母の姉夫婦、妹が面会へ

      16時ころ帰られる

 

 

その後…

私は万が一、亡くなった場合はどうなるのか看護婦さんに確認、

どうも、すぐに遺体を運び出す必要があるらしく、

まずは葬儀屋さんを決めないと…ということで、

病室でインターネットができるのか確認、

wifiの利用ができたのと、

パソコンを持ち込んでいたので、あわてて検索をしました。

 

 

母の姉夫婦、妹が帰った後、

あれよあれよと酸素濃度が低下…

すでに1分間10リットルの酸素を送っていて、これが上限…

 

うーん…

正直言って、これはよくないんだろうな~…

 

看護師さんだって聞かれても困ると思いますが…

「もし今夜泊るなら、ベッドを入れられるので言ってくださいね照れ

 

こんな会話は19時ころだったと思います。

 

いろいろ迷いました。

21時の消灯まではとりあえずいられる、

その後、どうしよう…

 

そして看護師さん、

20時で夜勤の方と交代なのですが、

様子を見に来てくれました。

 

「どうして看護師さんになられたんですか?」

 

「やっぱり人の役に立ちたいと言う感じかなぁ~…

 あとまだ男性の看護師さんも少ないので…」

 

質問にはいつもはきはき答えてくれる看護師さんでしたが、

なんとなく照れながら答えてくれました。

 

メガネ男子ww

日本人ウケしそうww

まだ20代かな?

なんならこの位の年齢の息子がいてもおかしくない私、

 

あぁ、、ここに娘がいたら…

 

少しは刺激になったのでは…

 

自分がどうして生きているのか、

何のために生きているのか、

 

 

「人の役に立ちたい」

 

こんな風に思うのは何歳くらいなのだろうか?

 

 

 

 

その後、おむつの交換で別の看護師さんが来てくださったのですが…

 

軽くパーマ?をかけているのか、

背格好もかなり大きく、

ふわっとした髪型、

さっきの「ザ・いまどきウケそうな日本男子」から

「なんならアメリカに戻ってきた?!」爆  笑

 

 

どんな会話だったか忘れましたが、

まじめな話なのですが、

なんだかフランクな言葉遣い…笑い泣き

 

この状況だと、

やっぱりメガネ男子がいいww

 

松下洸平さんがメガネをかけた感じww

 

 

そしてその後、夜勤を担当する看護師さんが来まして、

彼女、数日前にもご一緒しました。

 

この方もお若い。

 

実は先日、母の酸素濃度が90を切っていて、

すごく心配だったのですが、

母は耳と指の両方にセンサーをつけていました。

 

耳の方はうまくついていないのかな?と付け直したり…

 

そして指、

私が見た感じだと、どうも電池ないのでは?と思い、

一応伝えたのですが、大丈夫です!とのこと。

 

でも別の看護師さんがきて、

あら、電池切れてますね…ww

 

あはは…

ま、そういうこともありますよね。

でも心配になりますよね、ちゃんと測れているのかw

 

 

どんどん酸素濃度が下がり…

 

私、今夜、徹夜になるかな~と思って、

あわてて病院の近所にラーメンを食べに行きましたチュー

さくっと急いで食べられますからねw

 

 

 

地元ではそこそこ有名なのですが、いろいろな味があり、

以前、父もつれてきたことがありますが

 

「うまくねwww」

(うまくない、おいしくない)

 

もうこのころは胃がんもあって味がよくわからなかったのかな…笑い泣き

 

そして私はやっぱり横浜家系のこってりが好きなので、

一番こってりお願いします!と

21時に閉店なのに20時半過ぎに入店、

ささっと食べて病院へもどりました。

 

その後…

結局、病室にベッドを入れてもらいました。

 

1泊500円、

幅は50㎝?40㎝?くらいかな?

 

 

でも横になれるだけうれしいです。

 

 

だがしかし…

 

葬儀場、決まってない…

 

母は耳は最後まで聞こえているのでは?と言われていましたが、

いつどうなるかわからないこの状況、

あわててネットで「家族葬」を検索、

病室から電話をかけました。

 

 

ママ、ごめんね~、

聞いてるよねww笑い泣き

 

父の時は互助会というのに入っていて、

お金を少し積み立てていて、

亡くなってからかなりスムーズに葬儀までできました。

 

でも費用はどうだったのかな?

経験がないから比べようもなかったけれど、

「家族葬」と言われる、こじんまりの方がお得そうな?

 

 

今年の夏、

ちらっと万が一について話しました。

 

母は自分も互助会に入るかとても迷っていました。

 

でも、当然まだまだと思っていたので、

また次に帰ってきたらね!という感じでした。

 

 

さぁ、こまった。

夜21時、

友達に聞くには時間が遅い。

 

ネットで検索、

仕方がないのでGoogleの口コミを参考に。

 

もちろんこれらの口コミはお金を払って書いてもらうものや、

同業者の嫌がらせもあり、

正確ではないことは重々承知でしたが、

他に判断基準がなく、どうすることもできませんでした。

 

 

驚いたのが、2社、

評価がほぼ5だったのですびっくり

 

あぁ、これは信頼に値するのか…

 

でも、とりあえず電話をしました。

 

24時間対応可能ですが、詳細は担当から折り返し、

 

病室から電話をしていて、

もしかしたらすぐ必要になるかも…と

 

自分で言っていても悲しくなりました。

 

でも、悲しいどころじゃない、

ちらっと母を見ると、

どんどん酸素濃度は下がっていきました…

 

そして電話を終えモニターを見ると、

 

え??

 

心停止ってやつ??

 

ゼロってなってるじゃんびっくりびっくりびっくり

 

多分、あのドラマで見るような音も鳴っていたと思いますが、

 

看護師さん、こない?!びっくり

 

ナースステーションでも見てるって言ってたのに?!笑い泣き

 

慌てて、チャイムを鳴らし、

すぐに看護師さんが来てくれました。

 

 

あの、ファンキー看護師さん…www

 

脈をとり、

 

 

「止まってますねキョロキョロ

↑この絵文字はちょっと違うか…ww

 

 

おぉ…

 

モニターもそうだもんな…

 

 

ところが…

 

1分ほどした後?

 

心拍、血圧、酸素濃度が戻った!!!爆  笑

 

ファンキー看護師さんと

 

「え?笑い泣き

 

みたいな?顔を見合わせ…

 

でも、すぐにまたゼロに…

 

父の時もそうだったかな?

 

あるあるですよねww爆  笑

 

ママ、最期に笑わせてくれてありがとうウインク

 

 

そして父の写真に向かって一言、

 

 

「ぼけ~!!!!!爆  笑

大声で言いたかったけれど、病院なので心の中で叫びましたw

 

 

こうして、10月13日の金曜日、あと少しで日が変わるという深夜に

父は母を連れて行ってしまいました…えーん

 

 

泣いたけれど、

父に

 

「パパ、もうじき天国に行って3年だね、

さみしかったんだね、

よく3年一人でがんばった!

 

それにママは少し肺がんも苦しそうだったから、

連れて行ってくれてありがとう照れ

 

 

あと、私は10,876kmも離れたところに住んでいたから、

何かあってもママの最期を看取れないかもって思ってた。

 

でも、ちゃんとママは待っていてくれたし、

ママの姉夫婦と妹が来るのも待っていてくれたし、

最期、ママは苦しんでいるようには見えなかった。

 

 

ママと話すことはできなかったけれど、

少し目は見えていたみたいだし、

亡くなる前の週、ものすごい力でぎゅーって私の手を握ってくれた。

 

あの手の力強さは一生忘れない。

 

 

パパとママと私の3人の小さな家族だったね。

 

いつも小さな幸せだったけれど、

私には本当に大きな幸せだった。

 

離れて暮らした方が長くなっちゃったね。

 

やっぱり、ごめんね、って言っちゃうね。

 

後悔してないって言いたいけれど、

やっぱりもっと二人のそばにいたかったな。

 

 

私はいつも自分の最期の日がいつのなのか知りたいって思ってた。

わかったら逆算して後悔なくいろいろできそうじゃんw

 

でも今は…

 

とにかくその時にやりたいことをやるだけ、

 

そして、いつか来る自分の最期、

パパとママがいつでも待っていてくれて、

また天国でも小さな3人の家族で楽しく暮らせるんだって思ったら、

何もこわいものはない、

 

そう思ったよ。

 

パパ、ママ、ありがとう。

また会えるのを楽しみにしてるよハート

 

 

 

こんなことを父に伝えました。

 

 

母には…

 

 

「ありがとうラブラブ

 

そう伝えました、と言いたいところですが…

 

 

覚えていませんww

 

なぜなら…

葬儀屋さんが決まっていなくて、

それどころじゃなかったからです笑い泣き

 

 

この後のバタバタは次回にww

 

 

みなさん、

大切に思う人にちゃんと連絡してますか?!

 

最初に言うんですよ、

「3分だけね!タイマーセットするからね!」ってwww

 

 

そして、自分の道は自分で決める、

後悔ない人生のために!!

 

一応、このブログ、アメリカ移住がメインなので、

もしアメリカ移住に迷っている人がいたら、

とりあえずグリーンカードの応募はしてください!!爆  笑

 

ちょっとでも気になるならw