胃がムカムカして水も飲めなくなって
病院へ行き、
検査をして胃がんがわかって、
ここでは治せないからと
ちょっと大きな病院へ転院


検査をして
胃の上部はまだがんが広がってないから、
小腸とつないで
とりあえずご飯を食べられるようにしたら
がんの治療を開始・・・ということで、
今週月曜に手術が予定されていましたが、
もう一度、転院した病院の先生が
内視鏡で確認したところ、
すでにがんは食道まで広がっており、
手術はできないとなりました。

 

先生から

がんのステージだとか

余命の話はありませんが、

緩和ケアのある病院へ移ると

話があったので、

 

つまり・・・

そういうわけなのです。

 

 

私は緩和ケアの病院について

ほとんどしりませんでしたが、

末期の方、

もう治療を行わない方が、

最期を迎える病院なのかなと思います。

 

 

今年1月に移住の話をして、

絶対にアメリカへ行かせない、と

母に言っていた父

 

体の自由があまりきかなくなってから、

そろそろゆっくりしたい…と

よく言っていたそうで…

 

もっと早く病院へ行っていてくれたら、と思いつつ、

父は、そろそろ人生を閉じようとしていたのかなと思います。

 

 

今は、コロナでお見舞いに行けないので、

毎日電話で話すくらいですが、

落ち着いて、

なんとか緩和ケア病院から、

最期は自宅へ戻れたらなと思います。

 

「一番の思い出はな、

 一緒に京都へ行ったことだよ」

そんなことを言っていました。

 

慌てて写真を探しました。

2006年、

まだ結婚の「け」の字もない

30代前半だった私、

両親に何かできないかと、

京都へ旅行に連れて行きました。

 

帰りに横浜の一人暮らしの家に寄ってもらった時、

「30歳にもなるのに、

 結婚もしないで、

 こんなワンルームに、

 しかも、うさぎと住んでいるのか…」

 

そんな感じで、父は涙を流し、

部屋を出て行ってしまったことがありましたwww

 

まぁ、兄弟もいない私、

自分たちが死んだら、一人になっちゃうんだぞ、と

よく言っていました。

 

だから心配だったんですね~

 

でも、京都の旅行を

そんな風に一番の思い出だって言ってもらえてうれしいです。

 

 

次の日の電話で

「一緒に観に行った映画…

 そうそう、『タイタニック』

 それもいい思い出だ」

 

そんなことを言っていました。

 

え、私、両親とそんな映画観に行ったの?w

好きな映画なんだけど、

ラブシーンとかどんな風にみてたのかしら?www

 

 

そんなわけで、

まだ私たちには、

ゆっくり思い出を語る時間はありそうです。

 

 

そんなわけで、

移住は期限ぎりぎりの6月になるが、

リエントリーもあるかもです。

 

 

私の中では、

もう体の自由がきかなくて、

アメリカに遊びにはこれない父が、

私たちについてくる準備をしてるのかなって

思っています。