おはようございます。


癒しと許しのスペシャリスト
  心理カウンセラーの高田知子です。

今朝は肌寒い雨の金沢。

しとしと霧雨のしっとりとした空気感に包まれています。



実は今日は父の命日なんです。

67歳でガンで亡くなった父。

今思えば67歳なんて若いですね。


ガンとは知らずに亡くなった父。

あと半年の命と言われてパニックになっていた母。

連絡が取れず、存在していないかのような兄。

認知症で入院している祖母。

独身だった私は、勝手に一人で「強くあろう」と頑張っていました。


今日は午後から部活の終わった息子を連れて実家でお泊りです。

私、実家に行ったら動きません (笑)

お金も使いません。

ホント、今のほうが甘えています。


甘えさせてくれない。

私ばっかり頑張らなくちゃいけない。

そう勝手に思っていたのは私だったんです。


母が「年金がだんだん少なくなる」と話せば

私が裕福に暮させてあげられないことを嘆き

「足が痛くて出かけるのが大変だ」と言えば

車で送迎して欲しいと言われているようでイライラしてました。


母にとっては単なるつぶやきなのに

なにもして上げれず役に立って無い存在だと
私自身が自分を決めつけていたから

そんなふうに自動変換してしまう。



リビングで「ちょっと寒いね」って言われると

「エアコン付けて」って言われたと自動変換してませんか?


「あれ買っておいてくれた?」と聞かれて

買ってないのを責められてると変換して

「お母さんだって忙しいのよ」ってイライラしたりしてませんか?



私たちは自分のフィルターを通して物事を判断しているので

黄色のフィルターを通して覗けば黄色っぽく

赤色のフィルターを通して覗けば赤色っぽく

青色のフィルターを通して覗けば青色っぽく見えるのです。


自分がモテると自信がある人は
電車のホームで複数の異性がこちらをチラチラ見ながら話をしていたら
「あの人たち、私のこと意識してるんだわ♡」
と思うだろうし

自分はみっともないと思っている人は
「私何かまたヘンなところある?」
と落ち着かなくなることでしょう。


苦しくなったり悲しくなったり責められたりされているように感じるのであれば

自分のフィルターが曇っているからそう見えるだけかも

そんな風に考えてみてください。


起きていることに良い悪いの判断のフィルターをかけているのは

誰でもない、あなた自身なのですから。






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