【尽くす女】
 
それは【偽物の愛=共依存】かもしれない-
 
 
 
私は昭和生まれですが、
 
 昭和の考え方は
どうも好きになれませんでした。
 
 
今でこそ食べることが
大好きなのですが、
 
 
小さいころは食べることが
苦痛で仕方がありませんでした。
 
 
なぜなら・・・
 
 
 
 
食事のときの躾が厳しすぎて、
 
 
食べることそのものを
楽しむ余裕がなかったからです。
 
 
学校の給食の時間も
苦痛で仕方がありませんでした。
 
 
みんなと同じものが食べられなければ
 
悪い子、ダメな子として、
 
最後まで残されて食べさせられました。
 
 
私だけ教室の後ろで給食
を食べているのに、
 
 
みんながホウキ
持って教室の掃除
を始めるわけです。
 
 
よくあんな環境で給食
を食べたもんだ、
 
 
と思いますが、
 
 
当時はそれが当たり前でした。
 
 
今では信じられない光景
ですね。
 
 
 
 
 
 
なんでもみんなと同じでなければいけない、
 
 同じでない人間は認めない。
 
 受験のときも、
 
「バスに乗り遅れるな」
とか言われて、
 
 乗り遅れたら人生終わりだ、
 
 
みたいな呪いをかけられて、
 
 
本当に迷惑しました。
 
 
 
 昭和という時代が女性に求めた役割。
 
 それが【良妻賢母の専業主婦】
 
 という役割だと思います。
 
 
戦争をしていた頃は、
 
 「銃後の守り」と言って、
 
 おんなは男の後ろを三歩下がって歩くものだ、
 
 おんなは男より前を歩いてはいけなかったのです。
 
 
 
 
 
外で働いてくる男が偉くて、
 
 男に食べさせてもらっているんだから、
 
 おんなは黙って家のことをやって、
 
 男が気に入らなければ殴られていればいい、
 
 少なくともウチの場合はそうでした。
 
 
 
 
 
 
1979年に流行した、
 
 「カサブランカ・ダンディー」
はひどい歌詞でしたね。
 
 流行歌に暴力シーンが表現されるのは、
 
 決して珍しくはない、
 
 そんな時代の風潮でした。
 
 昭和時代は
 
おんなが男に殴られても
 
【事件にはならなかった】のです。
 
  
 
そういった社会規範があって、
 
 役割を押し付けられていながらも、
 
 その役割になんの疑いもなく
適応できる人にとっては、
 
 
ある意味、
すごくラクな生き方だと思うんですよ。
 
 
だって、
オートマティックだから。
 
 
 中でも「尽くす女」は美徳とされました。
(今でそうかもしれないけれど)
 
 
でも、
 
心理学を学ぶうちに、
 
尽くす行動に秘められたエゴイズムに気づき始めると、
 
美徳とされる「尽くす女」の存在そのものが、
 
 とても不気味に思えてくるのです。
 
 
 
 
「尽くす」ことで何かを得ようとしたとき、
 
それは「愛」ではなく、
 
「執着」へと容易に変貌します。
 
 
 
彼の愛が欲しくて「尽くしている」のだとしたら、
 
それは取引きや契約条件でしかありません。
 
 
 「私はこれだけ【尽くしている】のだから、
 
 あなたはこれだけ私を愛してね」
 
 
という【取引き】が隠れているのです。
 
 
 
 
 
 
さらに、「尽くす」ことで
 
相手を意のままに操ろうとする意図まで
 
見えてくるのです。
 
それが【イネーブラー】です。
 
 福祉の分野では肯定的にとらえられる概念ですが、
 
アルコール依存症の治療現場では、
 
 この【イネーブラー】が問題になります。
 
 
 
「尽くす」行動の中に、
 
取引きや契約条件が、
  
相手の怒りや暴力を
誘発する引き金となったりします。
 
 
偽物の愛では、
 
愛の学びは得られません。
 
 
「愛を欲しがる本当の理由」
に気づかない限り、
 
 本物の愛を学ぶことはできないと思うのです。
 
 
あなたが、
いつでもいつまでも、
幸せであることを祈ります。
いつもありがとうございます。
感謝しています。
 
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あなたは良くがんばっています。
あなたは素晴らしい存在です。
このメッセージがあなたに届きますように。
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