変わりつつある常識に、いかに早く気付けるか。 | 修実スクールブログ~アメージング・グレース~

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明日はもうクリスマスイブ。

 

なんだかホワイトクリスマスになるような、ならないような。。。

 

 

講習も復習に入ります。

 

 

 

高校生の現代国語の問題に、

 

古典的な化学の世界では、

 

論理的な作業が高級で、

 

今ではもうコンピューターがやってしまえる難しい計算を

 

正解することや、

 

知識を記憶できることがすごくて優秀な人材だったのが、

 

 

 

どんどんと、

 

そこんところは、すでにコンピューターがやってのけて、

 

もっと発展させる力や、意識や心理的な部分は、

 

人しかできない、という考えに変わって、

 

 

いやいや、今では、それすらも

 

コンピューターができるんじゃないのって、

 

感じになってきている科学の世界感を書いている論説文がありました。

 

 

 

 

 

何でも機械ができちゃう世の中だと、

 

それこそ認知能力が必要なくなるのかって思うと、

 

何を生きている糧にするのかわからん世界になって、

 

それもむなしいような気もするのですが。

 

 

 

 

ただ、一昔前の、

 

それこそ機械的に正確な計算力があって、

 

記憶力がすごくて、の人が、

 

今では、それだけではあまり

 

重宝されない時代だということは、

 

なんかわかるような気がします。

 

 

 

その頃でさえ、

 

もちろんなぜ間違ったのか、

 

違ったのかもあやふやなままに

 

勉強や知識を入れていた人たちの中には、

 

大人になる過程で、

 

何とか言われるままで過ごしたり、

 

昔の風習や、

 

当たり前と思われてきたことを主張することで、

 

少しごねたら通る世の中で生きてきた人たちもいて、

 

それが当然とばかりに、

 

今に至っているのかと思うようなことがあります。

 

 

ただ、

 

どんどんと、無茶ぶりをしていた人が訴えられたりしているのを見ると、

 

 

 

今までは当たり前だったことが、

 

自分本位の強引な言い訳でしかないことに

 

これからを見ることができる人たちは、

 

気付き始めているように思えます。

 

 

 

ただ、面倒な人とはなるべく関わらないようにすることが、

 

賢い生き方でもあるために、

 

最後には相手にされなくなるかもしれなくても、

 

まだまだ、気づかずにいる人もいるのも事実。

 

 

 

 

だから、計算だけをこなして、

 

記憶だけに終始することを

 

勉強だと考えずに、

 

 

なぜそうなるのか、

 

納得できる知識を入れていこうとする勉強の仕方で、

 

時間を使おうとする生徒さんを見ていると、

 

しっかりと考え、正しく行動する人が、

 

報われて当たりまえになっていくはずだと、

 

頼もしく思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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