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溺愛の姪っ子ちゃんに手紙を書いた。小学校2年生になる、姪っ子ちゃん。その前に手紙を書いた時は確か1年生だった。1年生では、どんな漢字を習うかな? とか考えながら、ほとんど、漢字は使わずに書いた。

二年生は、一年生で習う漢字はもう読めるだろうから、と、なんとなく頭の中に入っている、1年生で習った漢字のみを使って、後は、ひらがなや、カタカナで書いた。

彼女は刻一刻と成長している。送られてくる写真を見る度に、肉眼で分かる、明らかな成長っぷりで、すごいな、といつも感心&感動している。今回書いた手紙は、一年ほど前に書いた手紙よりも、相手が大人に近づいているのだと感じた。それは、喜ばしい事である一方、何だかもう、あのワンダーな姪っ子ちゃんが・・・と、どこか寂しいような気持ちもあり。どこか深い部分で、自分と重ねているのかもしれない。本当はいつまでもワンダーで在りたい。だけど、経験を積み、歳を重ねるにつれて、人はなんだか、大人の様なフリをまとってしまう事もある。私のイメージでは、皆、自分の中に『子供のまま、ワンダーな核』があり、その回りを「経験」やら「知恵」でくるみ、バランスを取りながら、大人をやっている。ワンダーな、子供の核を、ほとんど忘れて、大人オンリーになっている人も少なくないかもしれない。

 

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姪っ子ちゃんは言った。1年生の時

「学校なんて、ずっと勉強ばっかりしてるんだよ。つまんない!」と。

もちろん、学校の勉強が好き、という子もいる。でも、姪っ子ちゃんにとっては「つまんない!」らしい。私が子供だった頃は、決められた事を勉強したりするのは、どちらかというと、あまり興味がなかった。

あの頃に比べると、自分の好きな事に熱中しよう!みたいな雰囲気が広がっているのかもしれない。私が今想うのは、子供も大人も、自分が大好きな事、興味津々でワクワクがとまらない事に、情熱を注げ!という事だ。つまり、いつまでもワンダーな子供心で、本能的に突き進め!大好きな事を楽しみ尽くせ!!!