父が友人の連帯保証人に押印した日から、私の家はめちゃくちゃになった。

その友人はすぐに失踪。

途端に多額の借金を返済することになった、私の両親。

 

2歳上の兄は「こんな貧乏な家なんか出てやる」と言って、返済不要の奨学金を得た

特待生として東京の大学に進学した。

残された私は、返済のために掛け持ちで働く母に代わって家事をする。

バイトで得た収入のほとんどは家に入れた。

 

全然生活はよくならなかった。

日曜日が休みだった父は朝から他の仕事に出かけていた。

母は掛け持ちの仕事の休みは重ならず、やはり母も留守が多かった。

 

家で顔を合わすとお金のことでケンカが絶えなかった両親。

お金がないということがどれだけ人の心をボロボロにするのかと

痛感した。

 

 

 

前記事に書いたように。

貧困で修学旅行の積立金を払えず、担任の取り計らいで市役所から教育支援金という名目で

旅行代金を用意することができた。

でも、その話を盗み聞きしていた奴がいた。

 

奴が言いふらしたせいで、私は机に落書きされるようになった。

休み時間にトイレから帰ってくるとカバンの中から弁当箱を盗まれてゴミ箱に捨てられていた。

私はそれを拾って、グラウンドの隅で食べた。

 

そんな日が続いて。。。

ある日、いつものように登校した。

あれ?私の机といすがない。

 

周りにいた女子に「私の机知らない?」と聞いた。

すると、廊下を指さした。

 

見ると、廊下の一番隅に机があった。

駆け寄ってみると「貧乏人!金がないくせにデブ、最低!」と大きくサインペンで書かれていた。

 

机といすを運んで教室に入れた。

また奴らだ。弁当箱を盗むだけでは物足りないの?

 

休み時間は席から離れるとまた机を放りだされるんじゃないかと怖くなって、

できるだけ席に座っていた。

すると、盗み聞きした奴、そいつを操っている学年成績のトップの子、その他数名が

進学の話をしていて、〇〇大学がどーだこーだ話していた。

「ま、金に困ってると大学に行けねーよな~」なんて、私に聞こえるように大声で言った。

「親がろくでもないと子供は大変だな」と周りの子が呼応するように言った。

 

ろくでもない親。

そうなのかもしれない。

 

真面目だけが取り柄で、自分たちの責任でない借金なんだから自己破産すればいい、

今の私ならそう助言するし、そのための方法もわかる。

でも、当時は自己破産なんて今ほど身近な存在ではなかった言葉。

親はとにかく返済することしか頭になかったのだと思う。

 

そして数日後。

どうせまた机は廊下に放り出されているのだろうと思って教室に入ると、やっぱり机がなかった。

そして廊下を見たけれど、いつも放置してある廊下の隅に机がない!

 

どこ?私の机、どこにやったの?

授業受けられない。困った。

周りの子たちに聞いても「知らない」と言う。

 

困り果てている私をイジメている奴らはせせら笑っていた。

腹が立った。でもなす術がない。

 

すると、そっと他のクラスの子が私に話しかけてくれた。

「この机邪魔だから捨てちゃおうぜって窓から投げてるの見た」と教えてくれた。

 

その子が教えてくれたあたりまで行って窓から外を見ると、芝生の上に私の机が投げられていた。

急いで階段を下りて机を取りに行った。

 

前日は雨。

机もいすも濡れていた。机の中の教科書もビショビショに濡れていた。

 

私は堪えきれずに泣いた。

どうしてこんな目にあわなくちゃならない?

貧乏は私のせいじゃない。

 

修学旅行の積立金を手配してくれた担任にイジメられてると言いたかった。

だけど、そんなことを言ったら家庭の事情がクラスの他の子たちにバレてしまう。

 

嫌だった。恥ずかしかった。

もう学校に行きたくない、そう思った。

 

今だったら、まとめて相手になってやる。

絶対に負けない。

 

まだ、この頃は弱かったんだ、私(笑)

 

 

親にも言えない。

担任にも言えない。

 

もう、学校に居場所がない。

そんな思いがした。