イジメのニュースを聞くといつも思う事。

 

イジメる方はもちろん、イジメられる側にも原因がある。。。と。

私はどうだったのだろう。。。

 

そんな事を考えながら、人生の棚卸しをするべく書き綴ります。

 

 

中学生の頃の私は生徒会役員と部活の部長をして、自分で言うのもアレだけど、

結構イケてたと思う(笑)

いつも明るくて元気で笑っていた。成績も学年でトップの集団に常にいた。

 

 

しかし、家に帰ると主婦に変わる。宿題は二の次。

夕方からまた仕事に出かける母に代わって家事一切をしなければならなかった。

ひっきりなしにかかってくる借金取り立ての電話に出るのが一番嫌だった。

 

クラスメートはみんな塾に通ってた。

私も通いたかった。勉強したかった。

でも、言い出せなかった。叶わないことがわかってたから諦めた。

 

 

私が進学したのは、県内でトップレベルの公立の進学校だった。

塾に行ってる子たちに負けたくない。教科書だけしかツールはなかった。

ひたすら学校の勉強だけを続けて、結果合格した。

 

これで、バイトができる。家にお金を入れられる。

返済の督促の電話がかかってこないようにできるかもしれない。

 

入学してすぐにコンビニに応募した。

履歴書の生年月日の欄に嘘の日付を書いて「16歳」とした。

でも、面接時に「学生証見せて」と言われて15歳だとバレた。

「16歳になったら応募してください」と、あえなく撃沈(^^;)

すぐにバレる嘘をつくところ、今思うと可愛いかも(笑)

 

 

 

部活動には興味があった。中学の時は吹奏楽部だったから高校でも音楽系の部を

見て回った。

でも、中学と違って入部すると担当する楽器を購入しないとならない。

 

お金のかかることはできない。

その気持ちが、私を部活動から遠ざけた。

 

私はひたすら16歳を待った。

同じ中学から進学した友達がいない。部活も入ってない。

私の進学した高校は、ある特定の中学校出身者が多くてすでに友人のグループらしきものが

存在していたから、その中に入っていくのはためらった。

 

進学校だけあって授業の進度は速かった。

得意な英語は問題なかったけど、すぐに数学で躓いた。

 

わからない。。。宿題もできない。

何がわからないのか、どこが理解できていないのか。

それがわからなかった。

 

そして、11月になった。

16歳になった当日にスーパーに面接に行って採用された。

 

家にお金を入れたら督促の電話がかかってこなくなるかもしれない。

母が掛け持ちで仕事をしなくてもよくなるかもしれない。

家にお金を入れることは一番の目的だったけれど、私はバイト代で英会話スクールに

行こうと決めていた。

 

高校の英語の先生のおかげで、中学の時以上に英語が好きになった。

だからもっと勉強したかった。

自分で稼いだお金だもの。少しだけ使って残りは家に入れよう。

 

高1の秋。念願のバイトデビューをした。

スーパーの人たちは皆とても親切ですぐに仕事にも慣れた。

さっぱり理解できない数学なんかよりもよっぽど楽しかった。

 

友達もいない。英語以外、面白くない授業ばかり。

私は、バイト先に『自分の居場所』を見つけたと思った。

家にも学校にもない、自分が明るくて笑える場所。

バイト先のスーパーは私にとって自分らしくいられる場所になった。

 

行きたかった英会話スクールにも通った。

20人のグループレッスンだったから発話の機会はほとんどなかった。

それでも楽しかった。

 

家には月に6万くらい入れていた。

「お母さん、これで夜働くの辞めれる?」と聞いたけど母は「ううん、それは無理」と言った。

「お兄ちゃんが東京に行くから仕送りしないとね」と、母。

 

私には2歳上の兄がいる。

「こんな貧乏な家から俺は出るから」と言うのが兄の口癖。

それを原動力にしたのか、入学金、授業料全額免除という特待生として合格した。

 

でも、私立大で自宅外通学。一番お金のかかるパターンだというのに。

既成事実を作って家を出た兄のことは今でも根に持っている(笑)

 

 

私は高2になった。兄が家を出た。

母は昼の仕事の給料をすべて兄への仕送りとした。

今思うと、結構な金額を送ってもらっていた兄。

またしても恨めしく思う(-_-;)

 

母は「お兄ちゃんに送らないといけないから」と何度も言うようになった。

口を開けば「お兄ちゃん」ばかり。

最初は私のバイト代を申し訳なさそうに受け取っていた母だけど、

「今月少し多めに入れてくれる?」と言って来るようになった。

 

私はこれ以上バイトのシフトを増やせなかったので英会話スクールを辞めた。

その分を母に上乗せして渡した。

 

バイトから帰宅して夕飯作って後片付けや洗濯の家事をする。

終わって机に向かう頃はもう日付が変わる頃。

兄は滅多に連絡することなく、たまの電話は「仕送りしてって言っといて」だけ。

私より遅くに帰宅する母に「お兄ちゃんバイトしないの?」と言った。

「大学が忙しくてバイトできないって」と母は答えた。

 

 

父が安易に借金の保証人なんかになったから多額の借金を返済しなければならなくなった。

その原因を作っておいて、こんなにまで貧乏な家にしておいて、

父は「大学行くなら勝手に行け」と言っただけ。

兄は、父の言葉通りにしただけなのだろう。

 

私の両親の親族に大学へ行った人がいなかった。

だから、母の自慢だったんだろう。

何としても大学に通わせたい、その一心だったんだろうな。

自分が親になってみて、わかってくる母の気持ち。

 

 

でもね。お母さん。

本当は私の話を聞いて欲しかったよ。

家に入れるお金増やせる?って言われたから増やしたけど、

そのお金どこからか聞いて欲しかったよ。

私、英会話スクール続けたかったのに辞めたんだよ。

そんな事、知りもしないで。

お兄ちゃん、お兄ちゃんばっかり。

 

誰も私の事なんか気にしてくれてないんだな。

中学の時の明るく元気な私は隠れてしまった。

 

 

そんな私が「貧乏」が原因でイジメられることになりました。

 

 

続きはまた書きます。