今日、創価学会員が来た。


新聞配達してる人で婦人部の人二人で。


お金は払わなきゃいけないから嫌々出たのに・・


長話・・


 おばさん   「ご本尊様うけるのには印鑑がいるんよー」


 アタシの心 (そんなもんいらねーよ)


 おばさん   「旦那さん反対してはる?」


 アタシ    (くだらないってよ!あたしもそう思う)


 おばさん   「婦人部は昼に戦ってるから一時間ほどできるやろ?」


 アタシ    (何と戦ってるんだよ・・行く気なしですよ)


 おばさん  「何歳?わかいなぁ・・二十歳みたいに若い人いないけど」


 アタシ    (19歳で結婚したんだよ!ほっといてくれ!!)


 おばさん  「今はお守りみたいな小さなご本尊様が・・etc・・」


 アタシ    (話なげぇよ・・眠いし・・アタシの時間を邪魔すんなよ)


 おばさん  「また近々婦人部の人連れてきますから・・」


 アタシ    (うぜぇ・・くるんじゃねぇよー!今はまだ1人でいたいんだよ)


そういって電話番号を渡して帰っていきました。


これだから創価学会は嫌われるんだよ。


人の気持ちも考えずにべらべら強引に喋ってさ


アタシはしたくないのに無理やりさせられてたんだよ!!


本当に・・どうすればいいんだろうか。


旦那はほっとけって言うんだろうな。。


宗教って皆どう考えてるんだろう。


あたしは群れてるだけ・・馴れ合いに見えちゃうんだよな。


神とか対象に祈って届く願いって言うのがあんまり信じられない。


人間は最終的には自分が一番で


余裕がある上辺だけで世界平和を祈るとかいわれてもね。。


もし、自分の子供と世界の貧困に苦しむ子供


どちらか一方しか助けられないと迫られたら、自分の子供を助けるでしょう?


それが一般の人間だと思う。


中には稀な人もいるけどさ・・自分のすべてを投げ出したマザーテレサとか。。


でも家族がいたら・・?


きっと全ての人生はかけられないと思う。


守るものが他にできるから。。


まぁ・・そこまで究極にいってたら息がつまると思うけどさ・・


神に祈るってそういうことじゃないのかな?


得るためには、何かを捨てなきゃいけない。


最近の宗教は中途半端に見えて・・ごっこ遊びをしているみたい。


昔の巫女やら坊主やらが結婚したりできなかったのは


それを貫かなければ中途半端になっちゃうからじゃないかな?


今は楽なもんだよね・・


っと・・いろいろ話がずれたけどさ・・


皆はその宗教で、何をもって、何を信じて、何を貫きたいんだろう。


宗教って言うもの自体がよくわからんから・・聞いてみたいんだけどなぁ。。


みんな頑固だから、アタシの質問にイライラするらしい。


いつからか、何も聞けなくなってたさ。


幼い頃から疑問だった宗教の問題。


常に不安定だった心。


魂と器・・それが定着しなかった。


本当に魂が抜け出してしまいそうな感覚に陥った。


誰が救ってくれたんだろう。


少なくとも創価学会ではなかった。


アタシは、題目(お経みたいなもの)を先祖や子供や神のような存在に気持ちを伝えている。


それは事実ですが、言葉が見つからないので題目を唱えます。


本当の宗教は心の中にあるのでしょうか。


本当の自分を守ってくれる神様は、自分の中にいるんでしょうか。


なんだかそう思えてきました。


まだまだ宗教や、自分に迷うでしょうなぁ・・


皆さんは何に悩んでいますか?


何に迷っているのでしょう。。