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ジェンダー語

要注意!日本語のジェンダー語

日本語の教科書・学校の授業やプライベートレッスンでも広範囲において省略されているのが、男女別に使い分けるジェンダー語です。無知であることのゆえに意図的にではないにしても、小さな女の子や男の子の様に話してしまう可能性があります。

では、具体的にジェンダー語とは何なのでしょうか?それは、男性と女性が話すのにいかに違いがあるかということに言及しています。スペイン語などの他の言語ではこの特色が見られますが、日本語においては性別によって別々の役割を果たす表現・いわゆる“ジェンダー語の文法”がありません。例えば、あなたが男性だとしてまるで女の子の様に話すとしてもそこには文法上何も間違いは生じません。ただ女性がしゃべっている様にしか聞こえず、それはおもしろくないと思います。

では、どの様にして日本語でジェンダー語を使い分けることができるのでしょうか?素晴らしいことに、その違いはさほど大きくありません。また、ジェンダー語の使い方を学ぶ際も記憶して一生懸命勉強するというよりは日本語のジェンダー語には(男言葉・女言葉)という表現の仕方があるという事をわきまえておく事が必要です。しかし、大きな違いを言うならば語尾の表現の仕方が異なります。例えば女性は多くの場合、語尾に「わ」を使います。この表現を男性は使いません。「高い」という言葉を使うとして、女性は「高いわ」というのに比べて、男性は「高い」と言います。他の違いは、自分自身を指すときに「僕」を使うと男性らしい表現となり、「私」を使うと女性らしい表現となります。他にもたくさんの違いがあるので、ジェンダー語シートを参照してください。

日本語のジェンダー語の背景には興味深い歴史があります。もしあなたが日本の教育システムを経験した事があるなら、国語学の先生がジェンダー語は4世紀から始まり皇室、仏教の尼、そして芸者を通してもたらされたとあなたを説得させようとしたかもしれません。日本人は伝統を愛しています。しかし国語学にとって残念な事に、実際日本語のジェンダー語が発達し始めたのは1800年代後期でした。痛いことに1500年も前の事です。

言語学者のエンドウオリエさんはこの事を始めて証明した一人です。彼は‘浮世風呂’(1813)と‘三四郎’(1909)の2つの文学本を比較することによって行いました。真実は、人々が女性語に気づき始める1887年の前は、男性も女性も同じ言葉の表現を使っていました。話し言葉における違いは性別に関係なく社会的な地位の違いにありました。エンドウさんは男女関わらず、同じ言葉の表現が‘浮世風呂’には使われておりその96年後に書かれた‘三四郎’では男性語と女性語に分かれていることを発見しました。例えば、「ぞ」や「だぜ」そして「ぜ」で終わる文は‘浮世風呂’では男女共使われていたにも関わらず、‘三四郎’では男性だけに使われていたのです。

どの様にしてこの様な変化が素早く起こったのでしょうか?明治(1868-1912)は触媒の時代でした。初めの頃は男性の知識人達によって女性語はまゆげをしめられていました。特に「てよ」や「のよ」また「だわ」という語尾の文は人々の注目を集めました。当時のこの‘下品な言葉’は今では長い間残る美しい伝統として考えられていますが、田舎者や下層階級の日本語として非難されていたのです。

女性語が下品な言葉から伝統として受け入れられる様になった、2つの大きなきっかけがあります。一つは、良妻賢母の考えです。この考え方は政治によって促進され女性が女性語で話している文も雑誌に多くとりあげられました。この様な女性達は中産階級の理想像とされていたのです。その結果として、他の女性達も彼女達に見習う様になり女性語は幅広く普及していきました。もし教養があり幸せで女性らしくありたいなら女性語が当然になっていったのです。

ジェンダー語が広がるのにきっかけとなったもう一つの大きな変化は、明治時代においての欧米化と素早い近代化にありました。まるで、日本の文化がなくなり日本人らしさがなくなってしまうぐらいの勢いで変化が素早く起こったのです。人々はしがみつくことができる伝統を求め始めました。その‘伝統’の一つが、女性語だったのです。日本人としてもっと西洋文化からユニークであるためにジェンダー語が使われました。ジェンダー語は素早い時代の変化の中で数多くある‘伝統’の一つだったのです。(また第二次世界大戦後、連合国が支配している時も「日本人論」として広がりました)

今日、日本語のジェンダー語は薄れつつありますが、言葉の習慣はすぐにはなくならないでしょう。まだ違いを理解することはとても大切でありあなたが、ジェンダー語を正しく使うために先ほど述べたシートに目を通すことをお勧めします!


コメント:日常生活では、意識することのないジェンダー語ですがこの記事を      通して歴史が関係していたことを知り興味深いと思いました。外国人の友人から外国語の中でも、日本語を学ぶことは難しいと聞いた事があります。日本人として歴史にも深く関係している日本語を自然に話すことができることを嬉しく思います。

ポジティブ思考はいいのか!?

バーバラ:

「そうね、この本は私が乳がんを通してどの様に経済の崩壊について学ぶに至ったかを書いた本とも言えるかしら。約8年前に、乳がんだと診断されてからネット上でいろいろな支援団体や情報を集め始めたの。でも私が見つける事ができたものは思っていたことと違っていたわ。何を見つけたかというと、その病気をプレゼントとして明るくポジティブな姿勢をもって受けとめましょう・・・という事だったの。もし本当に病気がプレゼントになるなら喜んで私の名前をクリスマスリストから外してくれていいわ!と思ったわ。その出来事以来、「病状がよくならないのであれば思いつく限りのポジティブな考えを集めればいい!」という考えが私を混乱させたの。ところが、このことを伝えることができる事が嬉しいのだけど、いつもそうじゃなくていいのよ!つまり、十分なほどに現在の科学的な研究で私たちの心の気持ちの状態が病状の進行に対して影響することはない、と私たちも知っているもの。

例えば、ある人がすでに深刻な病によって苦しんでいるとしてそれに加えて今度はいつも心の気持ちとも戦わなくてはいけない状態ー第二の病みたいにーがどれほどの重荷か想像してみて。


エイミー:

「あなたが調べて分かった事に関してもっと話して頂けますか?視聴者はあなたのリサーチに驚くと思うんです。

確か、何年か前にRockefeller 大学で生物学に携わってらっしゃったんですよね。」


バーバラ:

「はい、そうです。やっとその経験が役に立つこととなりました。

ただ手を離してポジティブに考えればあなたの免疫システムも回復するわ!という考えが広い範囲で普及し私たちの中でもお馴染みになっていると思います。もちろんそれも一理あるとは思うんですが、それだけが回復するための方法ではないんです。また、ポイントを言うと癌からの回復やまず第一に癌にかかってるかどうかなど、免疫システムがそれらの事に関係あるのかどうかも明らかではありません。私もこれらの考えを持っていたことがあります。でもこれらは空想の世界なんです。アメリカ人を見ればーもし正しい態度と思いをもっているならあなたはそれらを思いの中でコントロールする事ができるーという考えを至るところで見ることができます。問題を引き起こしている原因は世の中にあるのではなく、あなた自身にあるのです。」


シャリフ:

「ではどの様にこのポジティブ・ムーブメントがアメリカ人の社会に広がったのでしょうか?あなたの文書には文化によって起こったことが書かれていますが。


バーバラ:

「はいそうですね。私は歴史が好きなので19世紀にまでさかのぼるんですが、実際には80年代・90年代に大きく広がりました。企業がリストラ時代を通るにあたってこの考えに大変関心を示しはじめたのです。その時代というのは、誰かが職を失ったときは乳がんの患者に言うのと同じ様に「あなたの考え方次第で克服できるわ。何か悪いことが起こった時はあなたの態度がよくなかったのよ。もし全て良い方向に向かって欲しいと思うなら、ポジティブな考え方を持つことによって上手く物事はいく様になるわ。」と言われるのが一般的でした。

不景気の影響で職を失った人々が新聞でこの様に言ってるのを何回も読んだことがあります。

「ポジティブな考え方になろうと努力をしています。」と。

でも、実際はポジティブになる意味すらないかもしれません。時には、怒ってもいいと思うんです。世の中には同じ様に怒りを抱えている人たちがいるんですから。


コメント:確かに人の心にあることや、考えていることはその人自身に何らかの形で影響を及ぼす可能性を秘め      

ていると思います。でも、バーバラさんが言っているように世の中でよく言われているどんな時でもいつもハッピーでポジティブで行きましょう!!という考えはおかしいんではないかと思いました。人生の中にはいろんな出来事があるので、時には悲しいときや嘆きの時や喜びの時や幸せな時などあっていいと思います。そのいろいろな時を過ごすことによって自分自身も成長していくことができるし、いろんな人生の

季節を経験して初めて人生を楽しむことができるのだと思います。




The Sakuma assignment

学生・激しい抗議の声

東京の一流大学・自由求め政治的闘争の場

By David McNeill


法制大学・市ヶ谷キャンパスにて違法の逮捕による退学を要した事件が起こった。大学当局やある生徒達は、まるで治安の悪い刑務所へと変貌したキャンパスで有害な争いに巻き込まれた。門の入り口は最新の監視カメラが設置されており厳重な監視がされている。強制退学された生徒達は、「問題児」として警告通知が至るところで掲示されており警察も常備している。また、キャンパスから200m以内においての旗を掲げ演説することは禁止命令が下されている。

3年前にこの論争は始まり、すでに107人が逮捕され24人の生徒達が起訴された。その中には裁判まで6ヶ月の間、留置された者もいる。先週の金曜日、また5人の生徒達が警察によって取り押さえられ少なくとも2週間は監禁されている。グループの支持者たちは戦前に労働者の不満をなくす為に造られた労働処罰法を警察は利用していると言っている。生徒達の弁護をしている鈴木タツオ氏は「彼らは掲示板に張ってある強制退学の通知を剥がしただけで、労働処罰法によって起訴された。それはまさに極悪で違法だ。」と話している。

論争は2006年の3月に法政大学が過激な生徒達によるちらしなどを掲示板からすべて取り除いたことから始まった。これらの生徒達は、学校の方針を非難し大きな騒動を引きおこす結果となった。

逮捕された数え切れない生徒達を助けるために、立ち上がった学生たちが広島・大阪・他県からも集まり市ヶ谷キャンパス前で毎日の様に抗議し続けた。今も170人もの弁護士が生徒達の留置に対して申し立てを行っている。「今回、法政大学で起こっていることは日本においての新たな学生運動と大いに関わってくるんではないか」と鈴木氏は語る。






コメント:

キャー!!笑<^^>