Everything Comes from Everything Else

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日々の徒然日記

愛する息子との生活
ハンドメイド
ちょっと脱線 など
思い思いを綴ります

あらゆるものは すべて あらゆるものから生まれてくる

 起点のないものなどありえない

だけど

理由がみつからないけど
とにかくそこに存在するもの


ADHDと高機能自閉症との併合障がいを持つの息子との毎日

そして 聴覚障がい者としての自分

キモチ
ココロ

素直に表現していきたい


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先週のことになりますが

17日

息子の22歳のBirthdayでした。

22歳にもなると、

本人はちょっと困り顔で照れ笑い。

「この年になって、こんな盛大に祝うなんて」

なんて言われるけど、

この日は母にとっては

ものすごく、自分のあらゆる記念日より大事だから

できるなら

ずっと毎年祝いたいなぁ。

 

海砂輝、22歳のお誕生日 おめでとう!!

 

 

息子も彼女ができて

今は脳内お花畑。

「この日はお母さんと一緒に映画だよ!」

という日をすーーーーーっかり忘れられて

さすがにちょっとむくれてたら

「映画行けなくてゴメン」

って言ってきた。

分かるんだけどね。

私が1人でむくれてても仕方ないのも分かってるだけどね。

 

そして、昨年末の12月。

半年ぶりの発達外来受診日でした。

小児科なので、

「家族の誰かのお薬もらいに来たお兄ちゃん」

みたいな雰囲気を出しながら待合室で待ってて。

 

私の中には、漠然と

「いつまでここに通うのかな?」

という気持ちもあったけど、

先生との面談を終えた息子が

「今日で終わりにします。って言ってきたよ。」

と言うのでビックリ!!

 

私が先生に呼ばれて診察室へ行くと

「たった今、卒業証書を渡しましたよ」

と笑顔の先生。

 

4歳で初めて受診して、それから18年か。

先生の前で泣いたこともあるし

とにかくじっとしていない息子をたしなめることもあった。

しんどい時もあった。

笑顔になれないときも多かった。

だけど、そんなこんなを乗り越えながら

息子は少しずつ少しずつ成長して

気が付けば

私の出番がほぼなくなっていた。

 

先生と昔話をしていたら

なんだか涙が出ちゃって。

成長を喜ぶ涙と

私から上手に離れて行った寂しさの涙。

 

「育てるのは大変だったけど

またもう一度、息子を育てたいって思う。」

って

先生に言ったら

「関りが深かった分、ゆっくりゆっくり離れていくといいんですよ」

と言われた。

 

22歳と言えば、世間的には大人。

でもまだまだ、本当の意味での大人ではないね。

これから少しずつ、いろんな経験をして

大変なことも嬉しいことも成長して

挫折を味わって、壁にぶつかりながら成長していくんだ。

 

私は、今でも一緒に映画に行ったりしたいし

いろんなことを一緒にしたいけど

私自身も離れていかなきゃ。

息子が、自分自身とちゃんと向き合えたように

私も私の気持ち、立場と向き合わないとね。

 

2024年になりました。

遅すぎましたが

本年もよろしくお願いいたします。

 

 

みなさま、ご存じの通り

1月1日、年が明けたその日に

能登を中心として北陸は

大地震に見舞われました。

私は富山県に住んでいますが、大変な日になりました。

 

ごくごく、普通の休日を楽しんでいたそのとき

1回目の揺れが来ました。

それは、富山では震度3。

「ちょっと強かったね」

と言いながら、テレビの地震速報を見ていたら

ホンの数分後

 

今まで経験したことのない強い揺れがきました。

 

父は立ち上がって、書棚が倒れないように必死に抑え

私は動揺しながらストーブを消して

ただもう

声にならない悲鳴を上げるだけでした。

 

棚の上のものが

投げつけられるように落ちてきて

部屋のあちこちで物がぶつかる音

 

長い長い揺れに感じました。

 

そして、テレビでは

『津波が来ます!逃げて!!』

のアナウンス。

 

富山では震度5強を観測。

そして我が家は海から近いところ。

とりあえずカバンを持って

ネコ2匹はキャリーケース

ケースが2個しかなかったので

おとなしい1匹は私が抱っこして

車で少し高台の場所まで避難しました。

 

避難している間も、ひっきりなしの地震警報。

 

生まれて初めて、

『もしかして、自分は死ぬんじゃないか』

そういう恐怖を感じたときでした。

 

3時間ほど避難していましたが、

津波はもう到達しているとのこと、

ネコもだいぶ我慢の限界がきていたので

家に戻りましたが・・・

 

大変な惨状でした。

 

 

写真は、私の部屋。

書棚やタンスの上に載せていた段ボールが散乱。

段ボールも、中身が全部どこかに飛んでいってます。

この崩れたものの中に、ネコが1匹埋もれてしまい、

助けに入った息子は必至でかき分け

ネコを探し出しました。

 

心が折れそうになるとはこのこと。

この有様を目の前に、何も言葉が出てこず。

とにかく、ネコの水、食事、トイレは探さないと。

自分が寝るスペースは作らないと。

必死にココロ踏ん張りながら片付けました。

 

1日の夜は、パジャマじゃなく服を着たまま

私は睡眠薬を飲んで寝ているのですが

いつ起こされるかわからないので

この日は飲まず

なんとも、ぼんやりとした夜を過ごしました。

 

それから、今日に至るまで

まだ余震は続いてますが

表面上

いつもの日常を過ごしています。

 

これまで

東日本大震災があり、熊本地震があり、胆振地震があり

「あぁ、大変なことになってるね。辛いね。」

と、胸を痛めていたけれど

それでも、それは

『他人事』

だったんだな、と感じます。

 

今回、自分自身が当事者となり

「こんなに辛いことなんだ、こんなにしんどいことなんだ」

「お願いだから、もう終わってほしい」

いろんな思いが胸の中を巡ります。

 

今、こうしてる間も、家も無くして避難所で過ごしている方たちがいます。

家が無事なだけ、私たちは助かった。

家族を亡くされた方もいます。

うちは、家族みんな無事。親戚も無事。

災難の中に、優劣をつけるわけではないけれど

 

命を落とされた方のご冥福をお祈りいたします。

そして

被害に遭われた方々が

早く平穏な生活を取り戻されますよう

心から願っています。

 

 

2024年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

前回のブログに書いた

「鉄骨制作管理技術者 2級」

の結果が、11月20日に届いて

 

合格!!クラッカークラッカークラッカー

  

 

受験した時に、

「合否の通知は11月13日以降に」

って言われていたので、

私の気持ちは13日からそわそわそわそわ・・・・・・

 

毎日、会社から帰って郵便受け覗いて

家族に

「何か届いてない?」

って聞いて

「何も来てないよ」

で、がっかりして。

 

まるまる1週間経った20日に、やっと届いた。

その1週間で、もう勝手に待ちくたびれ。

 

ドキドキしながら開封して、よーく確認して・・・

 

『合格』

 

を見たら、やっとホッとしました。

 

自分の高校受験とか大学受験よりも勉強したつもりだったんだけど

結果が出ないと

「勉強したはず」

とも言えず。

 

でもこれで言えるわ。

「私、勉強したもん!!!」

って。

 

この年齢になって、新しい知識を入れるのってホント大変。

どうやって勉強を進めていけばいいか、ってことを

21歳の息子に相談したり。

 

受験の最後の1週間は、過去問にみっちり取り組んだんだけど

実際の試験では、一生懸命覚えたことが出なかったりして

可能性は五分五分だったから、ホント不安だった(*´;ェ;`)

 

一時は、その難しさや専門性に悩んで、

「受けるなんて言わなきゃよかった」

って考えたりもしたけど、「受ける」って決めた以上、やるしかない。

今の自分でできることを後悔ないように頑張ろうって思った。

 

『合格』って結果が出て、本当にうれしいヾ(*´∀`*)ノ

努力の結果がこうやって形になるって、こんなに嬉しいことなんだ。

久しぶりに感じた達成感。

 

大変だったけど、こういう気持ちをまた味わいたい、と思ったりする。

今からでも取り組める資格試験に取り組んでみようかな、って考える。

 

結果が出るって嬉しいね!

 

息子にも『よかったね。頑張ったね。お母さん、できるじゃん!』

と言われて、

めちゃくちゃ喜んだ母でした(*´ω`)

 

 

このブログもそうだけど

今日のひとつ前のブログは昨年6月。

書くことないわけじゃないけど、書く気力がなかったというか(;´Д`)

 

息子が就職して早1年半。

どうなるかな、と心配していたけど

それなりに人間関係もうまくやっていけてるようです。

自分の興味が役に立つ仕事ができているのかな。

それに。

働いて、自分のお給料を頂いて。

学生時代は、私の顔色を伺いながら、

『これがほしいんだけど・・・買ってほしいんだけど。』

ってお願いしてきてたんだけど、

今では、ずっと憧れていた皮財布を買ったりとか

趣味のルービックキューブをたくさん集めたりとか。

友人と旅行に行ったりとか。

花の独身生活?を満喫しているようです。

 

私は、というと。

変わらず朝起きて、仕事行って、病院行って。

仕事の一環で、というか、

自己評価を高めるために、

一つ、資格試験を受けることにしました。

 

『鉄骨制作管理技術者』の2級です。

 

私みたいにほぼ、図面にしか関わってなくても

受験できる資格なので、少しでも自己評価の向上になれば、と。

 

 

でっかくて厚い教本を一通り読んでは見たけど

現場にでることがない私には、初見の文言ばかり。

時々、知ってる言葉もあったりするけど、それはホンの少し。

で、教本を一通り読んだところで問題集に取り掛かってみたけど・・・

なんっっっっっっっっっっっっにも!!

覚えていないことがわかりました。

 

どうやって勉強していけば?????

と試行錯誤しながら、

「わからない、わからない」って言いながら

問題集の問題ひとつひとつを教本から探してノートする。

試験1か月前の9月には、福井県であった事前講習会にも参加。

参加して正解でした(´ー`*)ウンウン

それからの1か月は、土日祝日は目いっぱい勉強。

最終の1週間は問題集をひたすらに何度も繰り返し。

 

そして今日。本番でした。

 

頑張った!って思ってたけどね。

やっぱ、

「これ?なに?」とか

「こんな文言、どこかにあったっけ?」

って頭の中ほぼパニックになりながら試験受けてきましたよ。

 

試験の問題も何も持ち帰ることができないので、

「あれはどれだったんだろう」

なんて振り返ることができないのですが(;´Д`A ```

 

まぁ・・・終わったなぁ。

 

合否の判定は、11月半ば以降に郵送されるとのこと。

焦らされますね(´-∀-`;)

 

 

でもでも。

たまには勉強する、っていうのも面白いかもなぁって思いました。

一定期間はそれだけに費やされるから、

そんなときに限ってほかのことをしたくはなるけれど。

 

また何か、そういう機会があったなら、積極的にやっていきたいなと思います。

 

んで、ブログも・・・気分次第だけど

できるだけこまめに書いていきたいな。

 

 

 

今日は6月14日。

昨日の13日は

私の誕生日でした(´艸`*)

・・・もう歳は数えたくないですが(笑)

 

長々とブログをさぼってる間に

息子は高専を卒業し

就職し

今は毎日元気に出勤しています。

 

このブログでは、発達障害を持つ海砂輝との

あれこれや自分の気持ちなどを書いてきました。

 

成長していけば楽になれる

そう思っていたら、

もしかしたら学校辞めちゃうかも?

ぐらい大変な時期もあったり。

そんなことも、本当はキチンと記録したかったけど

記録するための気力がなかったね。

今となっては、

『あぁ、大変だったな』

と思うくらいです。

 

私自身は、海砂輝には進学しかないと思ってました。

だけど、海砂輝から言われたのは

『大学は、お金に余裕があってこそいくところだと思う。

もう今以上に経済的に負担をかけたくない。

だから、自分は就職するよ。』

という言葉。

 

就職し、働いている今でも、私の中に重く残る言葉。

 

シングルであるがために、満足な勉強もさせてあげられなかった。

そんな思いがずっとずっと引っかかってます。

私に経済力があったなら。

貯金があったなら。

非正規雇用でなかったなら。

障害者でなかったなら。

 

なんて、今そんなこと言っても、どうしようもないことばかり。

私の力不足で、この子の将来を変えてしまった。

そういう思いが強くあります。

私自身が、大学へ行って、4年間充実させてきた

それなのに、自分の息子には我慢をさせた。

海砂輝を見てて、切なくなる。

 

・・・そういうことを、つい最近、自分の人生の恩師に

手紙でつらつらと書き、送りました。

 

すると。

 

昨日の私の誕生日。

 

その先生から、贈り物が届きました。

海砂輝へ。

『祝 ご就職

  健康に留意して頑張って』

との言葉を添えて。

 

海砂輝の就職を祝ってくれる人がいる。

 

親戚も、みんな『おめでとう』って言ってくれましたが

私の胸の底にあるなんとも言えない気持ちは

先生だけに打ち明けた。

その先生が、海砂輝の就職を祝ってくれた。

 

もしかして、心から祝ってもいいことなのかな?

こんな、親として情けない私でも

喜んでいいことなのかな?

 

『喜んでいいんだよ』

そう言われているような気がしました。

 

できなかったことを悔やんでも

自分はけっして怠けてきたわけじゃない

頑張ったけど、ここまでしかできなかった

そんな自分を許しても?

 

海砂輝へのお祝いの贈り物が

自分の誕生日に届いたこと

それがとても大きな奇跡に感じて。

 

いつの日か

『こんなこともあったね』

と話せる日がくるんかな。

 

海砂輝はけっして後ろを振り返ってはいない。

前を見てどんどん進んでいってる。

だから私は

その背中を少しずつ押してあげたい。

疲れたら、その疲れを受け止める器になりたい。