善と悪のパラドックス

 
善と悪はなぜあるの? 
環境に応じて協調と闘争を使い分けられる者達が、
生き残ってきたから ……というと身も蓋もないですが、
善悪の基準自体も時代や集団によって変わるので難しいですね。 
 
人間は知性を持ちますが、本能的攻撃性よりも知的攻撃性の方が、
間違えると大変なときもある。 
富の生産と配分に加え、人の向上と協力も促す、
技術と政策による文明の持続的発展を願います。
 
(補足)
 
文明によるものであれ、自然的なものであれ、環境が良くなると、
生物には衰える部分も生じるというパラドックス(逆説)がありますね。
 
特に文明(知的生活様式)は、人間という生物の能力を増幅するので、
①富を生み出す高度な技術の導入(安全措置も含む)ができなかったり、
②技術が生み出す富の配分(生産投資も含む)を誤ったり、
③作って分ける人間自身の向上(支援も含む)ができなかったり、
④高めた人間の活用(参画も含む)ができなかったりすると、
高い所に上るほど落ちたら痛い……となる恐れがあります。
 
しかもその文明の発展は、今や人智を越えて複雑加速化しつつあり、
マグロ泳ぎというか自転車操業というか赤い靴というか、恐いほどです。
しかし一方、生活水準は向上し、AI中心の次世代技術も生まれ、
かつてない希望もあって、何ともスリリングで面白い時代ともいえます。
 
最悪に備えつつ最善を期して、皆で着実に文明を発展させ続けるしかない。
……そこで現在、技術的政策DXと国際総合政策SDGsというように、
次世代技術の導入を含めた総合政策が、
求められているのではないかと思います。