彼女はそこで、説明の流れを変えた。
いよいよ、人間の向上と活用が必要という話のようだ。
『でも文明が進むと、環境の限界や社会の統合・複雑化、
生活の向上、武器の強化で犠牲や|費用《コスト》、|危険《リスク》が増えて、
従来の政策だけでは代価が増えすぎ、効果も減ってくる。
だからこそ次の時代には、技術開発と利益配分だけでなく、
人々と制度を直接高めて、淘汰の代償を減らす政策も必要。
これはもう理想とかじゃなくて、|算盤《そろばん》の問題なのよ』

『政策の共同考案が仕事になる世界で、何も知らされず、
不安と不満を抱えた遊民ばかり増やしても自滅行為でしょ?
古代の奴隷だったら牛馬のように扱えたかもしれないけど、
一緒にものを考える人達は、そんなことじゃ活かせない。
命の値段も高くなり、|危《あや》めるぐらいなら最初から産むな、
産むんだったらしっかり高めて活かせ!ってなるわよね』

うわあ……まったく|身《み》も|蓋《ふた》もないなあ(苦笑)。
しかしそうした厳しさも、この世の現実なのだろう。
結局、人はみな|霞《かすみ》を食っては生きられず、
必要な〝富〟を作って分けることで生きている。
今ではその中に、人間自身の健康や教育も含まれる
ようになった、というだけのことなのかもしれない。



『文明が進むほど、人間や社会は衰える。
そもそも生きやすくなるのが、文明の恩恵だから。
だけどそんな〝文明の|逆説《パラドックス》〟を|侮《あなど》っていると、
知らない|間《あいだ》にみんなで〝|茹《ゆ》で|蛙《がえる》〟になっちゃうわ。
肉体・精神だけでなく、腐敗、衆愚化、蛸壺化、
利己集団化など、社会的な健康の低下も恐ろしい。
私達自身も、側近種族の専横と暴走を止められなかった』
声が沈んだ。 やっぱり本当は、後悔しているのか。



『でも!』 いきなり明るく、元気な声に驚いた。
『私達の臣下選びは、全てが間違っていたわけじゃない。
弱虫サタンの最大の功績は、惑星文明の発展を助ける中で、
銀河帝国もいずれ必ず同じ状況になるって気づいたことよ』
ああ、一瞬でも|慰《なぐさ》めようとした私が馬鹿みたいだ(苦笑)。

『私達は文明で栄えた。 だからもう、昔には戻れない。
ならば文明の仕組みから、次は何が必要か考えればいい』
しかし、なるほど。 文明開発長官だったサタンが
亡命者達の移住先に選ばれ、後には新皇帝種族として
|担《かつ》がれ……もとい(笑)、|推《お》された理由が分かった。

ずいぶん露骨な表現だったが、私は政治記者として、
彼女の論理を否定することができなかった。
必要性と許容性は、政策の両輪だ。
永きに渡り、血で血を洗う覇権抗争を繰り広げ、
あるいは生き延びてきた古き|種族《もの》達が、
素敵な理想の追求だけを許すはずがない。



それが可能になったのは、先進軍事技術に加え、
個体群種族の淘汰なき資質向上、
量子人格種族の専制化防止や共通個体の設計、
共用量子頭脳規格、量子頭脳の遠隔通信連携など、
多様な種族の向上と協力を人道的に|叶《かな》える技術と、
それらを活かす総合政策を考案できたからこそだ。

『幸せを得続けるには、努力が要る……と?』
『まあ簡単に言ってしまえば、そういうことね。
もっとも、サタンが築いたこの素晴らしい時代、
ある意味で皆がより|狡賢《ずるがしこ》く、幸せになれる時代に、
いかに優しく、でも確実にそれを伝えるかは別問題』
彼女はそこで片眉を上げ、意味ありげに微笑んだ。

いざとなったら、知的種族はどんな酷いこともする。
そうしなければ、生き残れないこともある。
しかし賢い種族なら、以降の〝無駄〟は避けるだろう。
そもそもそんな状況には、陥らないようにするものだ。
それができれば、できた者達が星間社会を|先導《リード》する。
逆に今度は、できない連中が|後《おく》れをとる。



だが、そうしたことをあけすけに言い過ぎると、
せっかく平和を手に入れた人々の心が揺らぎ、
相互不信に陥って、積極性を失ってしまう人達や、
再び利己主義に走る集団が出るかもしれない。

神と悪魔は知性の両面、天国地獄は紙一重。
皆の心が荒れぬよう、夢と希望を知らせたい。
しかし、油断がさらなる悲劇を招かないよう、
現実的な政策も考えて行い、栄え続けてもらいたい。



途上種族から先進種族に飛躍的発展を遂げ、
星間社会の模範となった人類に、
そんな願いを実現するための|物語《ストーリー》を、
上手に伝えてほしいということか。

『まあ私個人としては昔、優しいあの子達に
憎まれ役を演じさせたのも、悪かったと思ってる。
この|映像体《アバター》を使ったのは、
そんな気持ちの表れでもあるのよ』



『なるほど、お気持ちは分かります……。
〝|冷静な頭脳・温かい心《クールヘッド・ウォームハート》〟ということですね』
緊張と興奮を抑えて、笑顔でうなずきながらも、
私の心には様々な思いが駆け巡っていた。

当時全ては救えなかったが、今後はもっと救いたい。
必要とあれば、今度は自身が悪役となってでも、
自ら築いた国家の繁栄に貢献したいということか。
自他共に厳しい、名君だっただけのことはあるな。



もっとも、歳月を経た量子人格化種族には、
種族の違いに意味などないのでは?とも思う。
淘汰の回避が可能になった時代に合わせて、
優しい臣下を表に立てただけのようにも見える。



とはいえ、他の種族ならもっとマシな方法が
とれたのか? と聞かれると疑わしい。
最も|若輩《じゃくはい》の〝最先進種族〟となった人類にとっても、
淘汰なき社会の到来はありがたいことなのだ。

真実は一つだが表と裏がある、という言葉もある。
人は誰しも自分や集団、社会の複雑な利益の|均衡《バランス》で動く。
彼女達も厳しい元〝先帝〟出身者と優しい先住者の間で、
|上手《うま》く|釣合《つりあい》を取ろうとしているのかもしれない。


 

彼女は、さらに続けた。
『貴方達の世代なら、皆と協力できるから、
もう少し楽ができるだろうと思う。
だけど、誰かに私達の失敗を繰り返させたり、
サタンの努力を無駄にさせたりする気もないわ。
さあ……私の話を|聴《き》いてくれる?』

同意しつつも私は、最近地球で〝種族の向上と協力〟に
関する著作や報道が増えていることを思い出した。
彼女のような〝情報提供者〟と出会っているのは、
私だけではない可能性もある。
サタンが祭司だったなら、今度は人類が預言者か?
さすがは〝神〟と呼ばれた種族、恐るべし(笑)!

いずれにせよ、陽が沈み、月が昇る|黄昏《たそがれ》にあっても、
優しい月を見えない所から輝かせているのは、
|苛烈《かれつ》な光を放つ太陽なのかもしれない。
私は真剣に、彼女の話を聞いていくことにした。