ちょうど一週間前の水曜日の朝
左肩のリハビリを受けている真っ最中に、ウォッチがブンブン振動しました。LINEの通知です。
「出なくて大丈夫ですか?」
ってPTさんが聞いてくれたけど、多分、私の実家にいる娘からの近況報告だろうなーなら急ぎじゃないな
って判断して
そのあとも何度かメールやLINEの通知が来ていたけど、膝の診察も入っていて、しかもめっちゃ痛い注射の日で
いででででって足を引きずってお会計待ちしている間に、またスマホが鳴りました。今度は電話。
その通知を見た瞬間、すごく嫌な予感
叔母の名前。まさか、コロナで入院している叔父に何か‥?
嫌な予感って当たるんですよね
電話に出て、なんでもするから言うてねって伝えて、LINEを確認したら、やっぱり娘から。「今、おじいちゃんに電話がかかってきたの聞いちゃった。きっと、お母さんにもすぐ連絡来ると思う。覚悟しといて。」という文面でした。
叔母は私の母親の妹なのですが、妹や弟にかかりきりだった母親の代わりに、私をめちゃくちゃ可愛がってくれました。彼女の言葉、愛情がなかったら、私はもっと卑屈な性格になっていたと思う。それくらい恩のある叔母の、ダンナさんです。
随分前の事ですが、久しぶりにおじいちゃんおばあちゃんに会いたい、という子どもたちと、お正月に私の実家に帰省しようと思ったら
「お正月はあなたの妹や弟が帰省してくるから、あなた方は来ないで。」って言われました。その時、叔母が
「じゃあ大阪の実家に帰っといで」
って言ってくれて、家族で大阪の叔母の家でお正月を過ごしました。お酒飲み過ぎてベロンベロンに酔っ払った夫の相手を、叔父がしてくれました。その後も、何度も「大阪の実家」に行きました。祖父母の月毎日のお参り、お墓参り。いつも、叔父の運転で行くお店で、ご飯をご馳走になりました。
最後に会ったのは、8月のお盆でした。いつも饒舌な叔父が、ちょっと今日は静かかなあー?とは思いましたが、山盛りのハンバーグだったかステーキだったか?を平らげて、別皿で「これ好きやねん」てフライドポテトも注文していました。
コロナで入院したと聞いたのは、亡くなる一週間前。お葬式は、奇しくも、横浜から妹家族も呼んで、みんなで月毎日のお参りをしてお寿司食べよう!って言っていたまさにその日でした。
70キロを超えている体格のいい人で、合唱をやっていて声も大きくて、膝が悪いとか腎臓の数値がとか言いながら、
「じゃあチョコさんまた!」って元気に別れたのに。
ねえおじちゃん。天国で、ミルキー(飼ってた犬)には会えた?おばちゃんと従弟のことは、私も力になるから、あんまり心配しないでね。
いろいろ、ありがとう。
またね!