人は未来を見ながら暮らすことができない

予測しながら生きてはいる

…しかしどこの誰が
10分後に事件の被害者になるか?
明日事件の被害者になるか?

と想像して生きていけるだろうか?

とても許せない犯罪が起こった

2018.6.9 新幹線のぞみ  での 殺傷事件

数日経って新たな事実やその時の状況
被害にあった方の行動がどんどん出てくる

そして
当事者、以外、の人々の様々な考えや思想も
どんどん出てくる

私も当事者ではない

もし、私がその場に居合わせたなら
何ができたろうか?
被害に遭われた方、果敢に加害者に立ち向かった男性…

でも、この件について確実に言えるのは
悪いのは犯罪者、犯人、だけだと思う

新幹線がたまたま
舞台になってしまったけれど
全く違う場所で行われたかもしれない

無差別殺人犯が、いつどこで行動を起こすかなんて予知できるわけもないのだ

たまたま
新幹線のぞみに乗り合わせた
乗客の方々は深い傷を、心の傷を負う方がいるだろう

でも世の中には自分さえ逃げられればよかったのか?
淡々と事件の現場の状況をテレビに語るな!

と、乗客の方々に心無い言葉を浴びせているのをみている…

私がそこにいたなら何ができたのだろう?
貴方がそこにいたら何ができたというのだろう?

思わぬ、推測もできないことが目の前で起きた

そんな時人はどんな行動ができるだろう?

その場にいなかったのだから理想を語るのは容易い

でも、その場にいた人々の恐怖や不安は
その場にいた人にしかわからない

犯人がそこにいた
そこで犯行を行なった

そこにたまたま居合わせた人々全員が被害者なんだと私は思う

そして
なくなってしまった方へ
心から尊敬の念と畏敬の念を感じている

そこにいなかった人が
理想論を語るのは容易い
しかし無責任であるとも私は思う

報道や言論が
どうか、被害にあった方々を傷つけないようにあってほしい…
私は心からそう思う

本当に理想論

無差別な殺人に警戒しなきゃいけない世の中なんか
私は嫌だな…
理想論、なのが悲しいね


川の流れのように
身を任せていけたなら…
…人間はむずかしいね