少し前、友人が亡くなりました。


彼はカフェの店主で、
自家焙煎のコーヒーを淹れていました。


亡くなってからしばらく、
私は不思議なくらい実感がなくて。


葬儀に出ても、涙も出ず、
「もういない」という感覚が
どこか現実になりませんでした。


今思えば


頭でしか理解してなくて、
身体がまだ追いついていなかったのだと思います。


東京へ行く前、
四十九日の少し前だったので
お花を届けにお店へ行きました。


いつものように
ケーキセットを食べて。


もちろん、
そこに彼の姿はありません。
その時も実感がまだありませんでした。






昨日、お花のお礼にと
奥様からコーヒー豆をいただきました。


そして今朝、
そのコーヒーを飲みました。


ちゃんと美味しい。
でも同時に、
何かが違うなぁ、と感じました。


その瞬間、
「あぁ、本当に彼はいないんだ」
と初めて実感したのでした。


やっと、
寂しいと思えたのでした。


たぶんこの時、
本当にいないという感覚がやっと身体に届いたんだと思います。
身体と頭が一致したと言うか。


味が違う、と言いたいわけではなくて。


私が感じていたのは、
味そのものではなく、
そこにあった彼の気配だったのかもしれません。


お店で飲んだ時は、
そんなふうには感じなかったのに、
家でひとり飲んだ時、
急に身体が理解した。


頭での理解は
本当じゃないんだなって改めて感じるのでした。


逆に身体が先に反応して(わかってて)
頭が置いてきぼりな事も私にはたくさんあります。


だから、ちゃんと
どんなことも身体を通すこと
この肉体を通して感じることが大事なんだなと思うと同時に


こういう、時差や
頭では理解できないことも
許していくといいんじゃないかなって思いました。

人はきっと、
目に見えなくても、
いろんなものに
その人自身を宿している。


声や空気や、
立ち方や、
淹れ方や、
触れ方や。


彼はきっと、
コーヒーに
自分の時間や感覚や想いを
静かに込めていたんだなと、
今さらながら感じています。


もちろん、
亡くなったからと言って、
その気配がすべて消えてしまうわけではないのも
どこかでわかっています。


今もきっと、

いろんな場所にいる。

ただ、
今までとは少し違う形になっただけで。


だから今度は、
もっと大きな場所に存在している
そんな彼の気配も感じながら、
またこのコーヒーを飲んでみようかな。


そう思っていたら、
たまたま立ち寄った場所で、
かつて一緒に演奏した曲が流れていました。


なので、
書いておこうと思いました。


こんなふうにまた
感じさせてくれることに
心から感謝します。
ありがとう。