日本古代史好きの話題の中心といえば、邪馬台国と卑弥呼でお間違いないですよね?(笑)

 

ですが、時系列でわかりやすく話を整理していきたいので、まずは「金印」のおさらいからしていきます。

 

わかります。私も縄文や人類の発祥も話が止まぬほどダイスキですが、まずは金印からはじめさせて下さいませ。

 

さて、みんな一度は教科書で習ったことはあるけれど、内容は全く覚えていないというアレですね。

 

金印とは?

正式名称

漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)

 

出土

文献上は筑前国那珂郡志賀島村叶崎(かのうのさき)または叶ノ浜とされている。志賀島(現・福岡県福岡市東区)の島内であるが、正確な場所は明らかとなっていない。

この文献は?

・天明四年志賀島村百姓甚兵衛金印掘出・付口上書

※百姓甚兵衛口上書は複製しか存在せず、いつなくなったのかも不明

 

発見の経緯

江戸時代の天明年間(天明4年2月23日(又は1784年4月12日)、甚兵衛という地元の百姓が水田の耕作中に偶然発見したとされる。発見者は秀治・喜平という2名の百姓で、甚兵衛は2人の雇用者であり、那珂郡奉行に提出した人物という説もある。巨石の下に三石周囲して匣の形をした中に存したという。すなわち金印は単に土に埋もれていたのではなく、巨石の下に隠されていたということになる。

 

まあ、ざっくりいうと、志賀島で畑仕事してたら、石の下から印が出てきたよって話です。

で、この発見がとんでもない発見の理由がコレです。

 

後漢書に書かれた日本の歴史

建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬

「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う」

『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」(とういでん)

 

ざっくり言うとこうです

西暦57年!?に日本の「奴国」が中国に挨拶しに行ったら、皇帝から「あなたは王ですよ」と金印を授かった



後漢の光武帝が建武中元2年(57年)に奴国からの朝賀使へ(冊封のしるしとして)賜った印がこれに相当するとされる。

 

中国漢代の制度では、冊封された周辺諸国のうちで王号を持つ者(外臣)に対しては、内臣である諸侯王が授けられるよりも一段低い金の印が授けられた

 

朝賀・・中国の皇帝にお祝いと忠誠を示す儀式(外交)

大夫・・使者が名乗った称号(当時の高官の肩書)

光武・・光武帝(後漢の皇帝)

印綬・・印章(ハンコ)と、それを首から下げるひも=「公式な認定証」

 

前漢 (前206年 - 8年)

後漢 (25年―220年)

まとめ

 
西暦57年に「奴国(なのこく)」は存在した!

 

 

次回は、も少し金印を掘り下げます。
 

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