これは自由なのか
わがままなのか
自問自答することがある。
夏に一人でアメリカに行くとき
子どもたちを置いていくことを
自由なのかわがままなのか、思いあぐねた。
私が本気で行きたいのかどうか、
子どもたちはよく分かってて
その時は快く「行っておいで」と行かせてくれた。

自由は幸福につながるのか?
自由でないと幸福ではないのか?
なんでも自分の思い通りにできたら
本当に幸せなのか?

13年前、心臓の病気で入院された
岸見先生は本を読むことも音楽を聴くことも
長い間許されず、毎日天井を見て過ごしたそうで。
活字中毒の先生にとって本が読めないって
どれだけ辛かったか、と思う。
そんな時、頭の中で俳句を作ることをずっとされてたそうだ。
夕方、病院に寄ってくれる奥さんに伝えようと
覚えても忘れてしまってたらしいけど。

限界状況の中で何ができるか?を
考え、できたことが喜びだった、と。

自由だから幸福とは限らない。
そんなお話だった。

70を過ぎても仕事をしている父を同級生は
「平日ゴルフ行かれへんし、可哀想や」と
見てたそうだけど
父は不自由な中で自由を楽しむ天才だったと思う。
父が本当に幸福だったかどうかは分からないけど
父は父の人生を生き切り、幸福だったと私は
信じている。
父の哲学は私の中に生きていてふとしたとき
答えをくれる。

ほどよい自由と
ほどよい不自由が喜びを生むのかもしれない。


最新刊『先に亡くなる親といい関係を
築くためのアドラー心理学』は
『介護のためのアドラー心理学入門』の改訂版。

8年前、先生の本に出会ったとき
文章が優しくて大好きになった。
人柄が出てる、先生の文章が。 
文章は嘘をつかない。

だからこそ
文章で嘘をついてると
生きづらくなると確信している。