とうとう、『ゴッド・ファーザー』を取り上げることになってしまいました。べつに避けていたわけでもないのですが、アル・パチーノの映画を取り上げてないなぁと思っていたら、あ、そうだ… という感じで『ゴッド・ファーザー』です。ニューシネマ、というより映画史上に残る作品でしょう。そんな重厚かつ高予算の大作なので、ニューシネマを代表する作品ながら、まったくニューシネマらしくない作品でもあります。なんだか“格調”という言葉が合いますよね~。それもこれも、主役のドン・コルレオーネを演じたマーロン・ブランドの風格ある佇まい、表情らがそうさせているのでしょう。
ニューシネマ以前の映画の興行収入の記録は『風と共に去りぬ』だったそうで、この作品はその記録を塗り替え、大ヒットというやはりニューシネマらしからぬ称号を得てしまった映画です。しかし、その内容はやはり素晴らしい。監督のF・コッポラはニューシネマの申し子的な叩き上げの映画作家ですが、興行収益と内容が伴っているのはやはりこの作品でしょう。代表作ですよね。その他の映画はほとんど興行的にコケて、興行的になんとかなった『地獄の黙示録』は賛否両論で、やはりコッポラ監督といえばって感じで… もう、あのニーノ・ロータのテーマ曲がいやでも頭に浮かびます。
ただ、配給会社のパラマウントがなぜ、当時まだ若く、監督経験も浅いコッポラにこんな大作の監督をまかしたのか… 未だに私の中では謎なのです。おまけに内容にすぐ口出すらしいM・ブランドを主役にしてしまったり、シチリアロケを強行し、予算オーバー、日程オーバーを繰り返したことを許してもらったのは… わかりません。それでも作品は大ヒットし、アカデミー賞までとってしまったのでよかったのですが。ちなみに主演男優賞を受賞したM・ブランドですが、授賞式のときになぜかお立ち台にネイティブアメリカンの女の子が出てきて、「ネイティブアメリカンに対する差別を反対しま~す! 受賞は辞退しま~す!」とかやったエピソードがあるそうです。しかもそのネイティブアメリカンの女の子、調べたらネイティブじゃないそうで… なんともブランドさんもよくわかりません。しかし、ブランドのドン・コルレオーネの存在感は凄い。数年前に「アメリカ映画のキャラクターでもっとも好きな人物は?」というランキングで公開から30年近くたった当時でも1位のキャラでした。映画そのものが社会現象を起こした作品です… って、やっぱりニューシネマらしくないっすね。パートⅠでアカデミー作品賞と主演男優賞、脚色賞、パートⅡでまたもや作品賞、脚色賞そして監督賞とロバート・デ・ニーロが助演男優賞を受賞しています。やっぱりデ・ニーロさんはニューシネマ時代がすごいいい仕事されてますね。
<内容>
コルレオーネ一家の末娘の結婚パーティーが屋敷の庭で行われている。盛大な宴だが、ドン・ヴィトー・コルレオーネの部屋ではドンが知人たちの嘆願を聞いていた。中には昔世話したイタリア系の歌手が映画界に進出したいが、プロデューサーがなかなか役を与えてくれない… などという不満の訴えまである。「大丈夫だ、しっかり手を打ってやる…」と悠然と聞き入れるドン。ある朝、そのプロデューサーがおかしな感覚で目が覚めると、ベッドに血まみれの馬の首が放り込んである… 恐ろしいイタリアンマフィアの実力行使っぷり… その歌手はしっかり役をもらい、映画界進出を果たした。そんな大胆かつ、クールな仕事のやりかたで、どんどん大きくなっていくコルレオーネ・ファミリー。ファミリーは厚い信頼と鉄の掟で結ばれていた。
ある日、ライバルの組織であるタッタリア・ファミリーと関係があるソロッソという麻薬の売人が警察や政治家にコネのあるドンの元へやってくるが、昔かたぎのドンはそれを一蹴。そこから血の抗争へ発展していく。ある日、珍しく車を止めて路上の商店で買い物をしようとしたドンにヒットマンが送り込まれる。なんとか一命をとりとめたドンだが、重症を負ってしまう。
ファミリーの長男ソニーは血の気が多すぎてちょっと… の武闘派。次男のフレドーは兄と打って変わって、やさしいけどへタレのもうちょっとしっかりしてくれよ~ のタイプ。そして末っ子マイケル(アル・パチーノ)はマフィアの世界を嫌い、堅気でいこうと思っている大学出のクールな男。しかし暴力を否定はしつつ、マイケルはなんだかんだいっても偉大なるドンである父を尊敬していて、その一族の血もそうさせるのか、父への襲撃事件を知り、自らソロッソへ落とし前をつける。長男に足りない冷静な頭脳と次男に足りない勇気と度胸をなぜか兼ね備えている優秀な末っ子なわけです。なんだかシェイクスピアの世界みたいな話ですね。それはさておき、一命を取り止め、奇跡とも言える復活を果たしたドンは抗争を終結、そして彼の生まれ故郷のシチリア島へ高飛びさせていたマイケルを呼び戻し、後継者としての帝王学をそばで学ばせる。そして庭で孫の相手をしている最中にドンの太く、濃い人生が終焉する… ドンの最後の言葉は有名ですね、「人生は、かくも美しい」。
マイケルは二代目のドンを襲名し(この襲名シーンも神聖的というか、宗教がかっています)、次々にライバル、裏切り者等を葬り、名実ともに暗黒街の“ゴッドファーザー”となっていく。
パートⅡは、いきなりマイケルがじっと深く思いに耽る表情からスタートする。マイケルの仕事は大きくなりすぎ、どうにも治めきれなくなっていた。ユダヤマフィアとの対立、政府の犯罪調査委員会への召還、裏切り者の兄… 悩みは尽きないが、一つ一つを彼特有の非情かつ大胆な策で乗り切っていく。しかし、しだいに人間らしさを失っていくマイケルに耐えられなくなった妻ケイはついに離婚を申し出る。マイケルの苦悩は尽きない…。
パートⅡはマイケルが組織を大きくしていく過程と同時進行で先代のドンがニューヨークへ移民してきていかにしてファミリーを築き上げ、組織へと発展させたかが描かれている。若き日のドンを演じたデ・ニーロもまた違う演技で見ものだ。
パートⅡのラストシーンもマイケルが沈思する姿で幕を閉じる…。巨大な組織の運営がVシネみたいにイケイケドンパチだけではいかないことを示している(けっこうイケイケドンパチ好きですけど)。日本のヤクザ映画と海外のマフィア映画を比べる人間も少なからずいるが、少なくとも『ゴッド・ファーザー』は芸術的な美しさや格調がある。演出も脚本も音楽もかなり丁寧だ。そしてマフィア云々は置いておいても移民一族の年代記のような大河ドラマになっているのがおもしろい。他のマフィア映画と稀有なのはそんな点からも言えるのだろう。しかし、その“芸術的”、“格調”のような部分があるからこそ、ニューシネマらしくない作品なのである。パチーノもデ・ニーロもコッポラさんも、みんなニューシネマにどっぷり浸かっている人たちなのに。
ちなみに90年代にパートⅢが作られました。糖尿病のマイケルがヴァチカンへ近づいてその権力を絶対的なものにしようと暗躍する話です。三代目のドンにアンディ・ガルシア(最近、見ない…)が就任し、マイケルも静かにシチリアで死を迎えますが、どうもわかりやすいけど、脚本が練られてない感じがしてしまうのは… 私だけでしょうね(笑) あの重厚な感じが失せてしまった感じがします。コッポラさんは乗りかかった舟で、ただ終わらせたかったのかなぁと思いました。ノミネートはされましたが、もちろんアカデミー作品賞の3作品連続受賞とは、なりませんでした。