『バニシング・ポイント』 ~“消失点”の先へ~ | ありがとうございました

ありがとうございました

 すべては、無。 
 

 今回はもっともニューシネマらしい映画と、私は勝手に思っています。なぜなら、いかにも「低予算」、「無名の俳優陣」、「考えさせられる内容」、「悲劇的? なラスト」等々…

 監督はリチャード・C・サラフィアン… 誰も知らないかもしれない。主演、バリー・ニューマン… ポール・ニューマンとはまったく関係なさそう。う~ん… B級臭がプンプン漂います。ただ、構成等がよくできた作品なのです。

 コロラド州からカリフォルニア州まで15時間で走破できるか? と賭けをした主人公が白いダッジ・チャレンジャーに乗って、走って走って走りまくる…。もちろんスピード違反なので白バイ、パトカー、ヘリに追われまくり、うざい走り屋がからんで勝負を挑んできたりするが、追うものをことごとくかわし、煙に巻いて、ひたすらアクセルを踏み続ける主人公。

 その姿はラジオでアメリカ中? 世界中? に放送され、しだいにヒーローじみた存在になる主人公。しかし、だんだん州境にはパトカーの数が増えて行く。途中で砂漠に逃げ込んで砂金採りのお爺さんに助けられたり、裸でバイクに乗ってるヒッピーのお姉さんやら兄ちゃんに助けられたり、スーパーソウルと名乗る盲目のDJが安全な方角へ導いてくれたりと、いろいろな人に助けられながら、主人公はカリフォルニアの州境までたどり着く。しかし、そこには大型のパワーショベルが道路をビッシリと封鎖し、主人公の行く手を完全に阻んでいた…。

 <ネタバレ注意です>

 主人公がなぜ、命を賭けてまで疾走するのか、危険な目にあいながら走り続けるのか、映画の中ではまったく語られません。走りながら、主人公は昔、レーサーだった、海兵隊員だった、警官をやっていた等のエピソードが流れますが、それが疾走の理由とは思えない感じです。しかし、見ている者はみな主人公が権力からスレスレに逃れて行く姿に拍手喝采してしまう。そこになんらかのカタルシスがあるからです。

 『バニシング・ポイント』とは“消失点、消滅点”という意味です。最後、主人公は目の前に立ち塞がるパワーショベルの壁に向かって全速力で突っ込んで行き、車は当たり前のように爆発炎上します。そこが彼の“消失点”だったのです。彼は肉体は失いましたが、精神は壁を突き抜け、破壊してThe Other Side 違う別の側、世界へ突入したのかもしれません。

 映画の冒頭、主人公の車はいきなり行く手を阻む数台のショベルカーの前に止まります。見据える感じです。そこで「午前10:02」の字幕が現れます。そこから2日前のコロラドにさかのぼり主人公は出発します。そして紆余曲折あって最後にカリフォルニア… 冒頭の場面がまた流れます。しかし字幕は「午前10:04」… 2分の誤差があります。これはどういう意味か… 2分間で主人公の凝縮された人生を描いた、主人公は思い出していた… いや、違うような。2分後の世界こそThe Other Side 違う別の側、別世界なのでは… という気がする。ならば主人公が平気で突入して行ってもおかしくはない。もう別世界の話なのだから。

 未だはっきりとした答えは自分の中で出ませんが、このあっさりとすべてを捨て去る主人公の姿。「あっけなさ」を描いているところが大いにニューシネマしているのです。それ以前の、そして今のアメリカ映画ならばなんだかんだと主人公は生き残り、もしくは一度捕まってそこから大逆転したというパターンなはずです。

 しかし『バニシング・ポイント』は真っ直ぐに突っ込んで行く…。そうしなければ“消失点”など見えないのかもしれません。これも“敗れざるもの”の映画なのかもしれませんが、その主人公はけして不幸ではなかったのかもしれない…。
蹴って蹴られて… うつけ者のニューシネマなブログ